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第十五話 那岐の決断

 朝を迎え、互いに一睡もできなかったみつと磨徒は、のそのそと布団から起き上がり、千々に乱れた心を覆い隠すように、うっすらと微笑みあった。


「おはようございます、旦那様」


「おはよう、みつ。そろそろ朝餉の時間だろう。支度をしよう」


「はい」

 

 昨夜の話を引きずるべきではない、あくまで普段通りにと自らに言い聞かせながら、みつはてきぱきと身なりを整える。

 磨徒の身支度にも時間はかからなかった。

 昨夜、自らの体を術法により抉り破った磨徒だが、傷跡はきれいさっぱりなくなっており、ぼろぼろに破れていた召し物も、朔夜から借りたものに着替えてある。

 準備は万端だ。

  

 二人はすぐに大広間へと向かった。

 そこにはすでに、流花や従者一同が集っていた。

 

「あ、磨徒にぃおはよ! 正室も……あれ、なんか元気ない?」


 みつに対しても笑顔を向ける流花は、一晩で何かが変わったようだ。幾分かすっきりとした顔をしている。

 対してみつは、精一杯笑顔を作ってはいるが、どことなくぎこちない。


「流花様、皆様も、おはようございます。少し寝不足ですが、元気ですよ!」


「ん。まぁいろいろあったし、考えることもあるよね。で、あの後どうなったの?」


 少し遠慮ぎみに、流花は二人へと視線を送る。


「あれからゆっくり互いの考えを伝え合った。嵬屋敷に戻るかここに留まるかを、那岐に考えてもらっているところだ」


 話の詳細は省き、磨徒は簡潔に結果だけを伝える。

 あの時那岐が人ばらいをしたのは、込み入った話を外部に漏らしたくなかったからだろう。その気持ちは汲まなければならない。


「そっか……戻ってきてくれたらいいな。あたし、まだちゃんと謝ってないし」


 流花は肩を落としてため息をつく。

 

 すでに来客用の膳は人数分用意されており、あとは那岐を待つだけという状態だ。

 膳の上には、白飯と味噌汁、野菜の和え物と煮豆の小鉢などが乗っており人間の食事に近い見た目だが、中央にはじっくりと火を通して焼き上げた獣肉が鎮座している。

 あちこちから腹の虫がなく音が上がるが、一同は静かに正座して人数が揃うのを待った。


 

 

 それから四半刻も立たずに、那岐が姿をみせた。

 磨徒の隣に用意された膳の前にどかりと腰をおろし、声を発する。


「俺も今日帰る。てめぇが寂しがるからな、もうしばらくは近くに居てやるよ」


 磨徒とみつは喜色満面で顔をほころばせ、周囲のあやかし達も安堵したように頷きあっている。 


「ありがとう、那岐。俺にとってお前は大切な弟だ。これからもよろしく頼む」


「おう。腹へったし、飯食うか」


「そうだな。皆、箸をとってくれて構わない。食事にしよう」


 磨徒の呼びかけにより、各々が食事をはじめた。

 堕嵬の民たちの好む味つけは、嵬屋敷にて出される料理よりも薄く淡白なものである。舌が人間に近いのだ。

 磨徒の忠実な配下であるあやかし達は、ただ黙々と箸を動かしている。

 ただひとり流花だけは箸が進まぬようで、向かいに座す那岐に対してちらちらと視線を送っている。


「……うっとうしい。見んな」


 流花と目を合わせることなく一言発すると、那岐は勢い良く味噌汁椀を傾けた。

 流花は一瞬ぴくりと反応し、眉尻を下げて俯くが、やはりこのままではいられないと口を開く。


「ナギ、今まで本当にごめん。許してほしいとは言わない。ただ、帰ってきてくれるのが嬉しいよ」


「……俺もてめぇを傷つけた。お互いさまだ」


「お互いさまじゃないよ。あたし初めて会った時からずっと、よくない態度とってた。嫌われて当たり前だと思う」


「べつにいいじゃねぇか。互いに嫌いなんだろ。関わらなきゃいい話だ」


 返す言葉もなく、流花はうずまく後悔の中そっと目を伏せた。

 自分はさんざん見下し嫌っていたくせに、相手からそうされたら傷つくなど、あまりにも勝手がすぎる。

 そう痛感しながら、過去の己の行いを悔やんだ。

 時を戻すことができない以上、今後の行動で償っていくしかないのだ。

 



 朝餉を平らげ、朔夜と長老に挨拶を済ませた一行は、今度こそ日暮れ前に堕嵬の途を抜けられるよう、集落の入り口に集った。

 詛獣が巣くう暗き森の(きわ)まで、朔夜が見送りに出てきてくれた。


「那岐、君の居場所は常にここにある。それを忘れないでほしい」


 朔夜は優しく那岐の肩を叩く。

 一度この集落を訪れた者が、外の世界へ戻ることは稀である。

 大抵の者は心が壊れた状態で集落へとたどり着くため、そのままここに引きこもるようになる。

 しかし那岐には磨徒がいる。この世でただ一人、心から信頼する相手だ。

 まだこの集落に堕ちるには早いと、朔夜は思うのだった。


「世話になったな、伯父貴。またいつか会おうぜ」


「ああ。君が書いた本も読んでみたい。またいつでも遊びにおいで」


「おう。んじゃ、達者でな!」


「君もね。いってらっしゃい」


 別れの言葉をかわす二人をあたたかい目で見守りながら、世話になったと磨徒も頭を下げる。

 そうして一行は、森の中へと步を進めるのだった。

  

「那岐、一人でこの森を抜けるのは大変だっただろう。怪我はなかったか?」


 隣を歩く那岐に視線を送りながら、磨徒が尋ねる。


「走ってきたからな、獣につかまるこたぁなかったぜ。あいつら遅ぇし」


「なるほど、確かに那岐の足には追い付けないだろうな」


「帰りはてめぇらの歩みに合わせてやるが、日が暮れそうだな」


「可能な限り急ぎたい。皆、走るぞ」


 後続へと磨徒が呼び掛ければ、各々頷きながら疾走をはじめる。

 山童子もみつを抱え上げ、地響きを起こしながら走る。

 先頭を行くのは那岐だ。生まれつき風神の加護をまとっており、地面を一蹴りすれば翔ぶように前進する。

 全速力で走ると一刻もかからず出口までたどり着くが、後続を引き離しすぎないよう力を抑えながら進んでいく。

 詛獣を引きつけながら走り、一掃して再び地を蹴り前進する。その連続だが、息をきらすこともない。


「那岐、先頭を変わろう。疲れただろう」


 半ばまで来たあたりで磨徒が那岐の肩を叩くが、那岐は大きくかぶりを振った。


「この程度で疲れたりしねーよ。黙ってついてこい。帰ったらまた働くつもりなんだろ?」


「それはそうだが……すまない、力を使わせてしまって」


「べつに構わねぇよ。温存しながら走りな」


 一瞥すると、那岐はふたたび地面を強く蹴り、瞬く間に磨徒の視界から消えた。

 那岐の走ったあとには、ごろごろと詛獣の死体が転がっている。

 この調子で行けば、想定よりも早く出口までたどり着くことができそうだ。


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