第十話 集落
「磨徒にぃかっこいい! だぁいすき! あたし一刻もはやく側室になるね!」
詛獣の死体をよけて歩きながら、流花は磨徒の腕をつかんでその身を擦り寄せる。
歩きにくいと内心思いつつも、振りほどくと何倍も騒ぎ立てることが分かっているので磨徒はそのまま歩みを進める。
先ほど放った斬覇により四方の木々がばっさりと切り倒され、視界は良好だ。
「皆さま、お怪我はありませんか?」
山童子の手から降りたみつが、奮闘を終えた面々をねぎらい声をかける。
後列の警固兵たちは皆かすり傷で、心配無用であると頭を下げた。
「大事ない。みつも無事で良かった」
柔らかく目を細めながら、磨徒は傍らに歩み寄ってきたみつの頭を毛皮ごしにそっと撫でる。
みつも安堵の表情を浮かべた。
「磨徒にぃをとらないでよ! ねーねー、あたしも撫でてぇ!」
身を乗り出して威嚇する流花に、みつは苦笑いするしかない。
「流花もよく頑張ったな」
ぽんと流花の頭に手を置けば、とろけそうに幸福な笑顔で、磨徒の腕に頬をすりつけている。
単純で御しやすい娘だ。長い付き合いにより、磨徒は扱い方を熟知している。
ひととおり殲滅できたのか、あたりに敵の気配はない。
半刻ほど歩けば、はるか前方に建物が見えてきた。視界はますます暗転し、夜の訪れを感じさせる。
蛇羅の灯火術により、空中に発光する氣球を浮遊させているため、周囲は明るく照らされている。
人間よりもあやかしの方がはるかに自然界へ適応する力を持っていると、みつは感心するばかりだった。
歩みを進めるたびに、家屋の輪郭が濃く浮かび上がってくる。
ぽつぽつと灯る人里の明かりは、本来ならば安堵感を与えてくれるものだが、一行にはただただ不吉で薄気味悪いものに見えた。
「あれが集落でしょうか……あそこに那岐様が?」
みつが尋ねると、磨徒は静かに頷いて見せる。
「おそらく、あの中だろう」
「無事でいらっしゃるでしょうか……」
「那岐は強い。心配はいらない」
「そうですか、ですが……」
なぜわざわざこんな危険な場所に?
そう問おうとして、みつは口をつぐんだ。
それは那岐から直接聞き出すべき話だと思ったからだ。
磨徒もそのことを汲み取り、神妙な顔をして頷いてみせた。
たどり着いた集落は、小規模ながらしっかりとした造りの木造家屋が軒を連ね、中央には井戸があり、見たこともない四つ足の獣が家畜として飼われていた。
夕餉の準備であろうか、窓からは湯気とともに食欲をそそる香りが漂ってくる。
しっかりとこの地に根をはって暮らしている者達の生命の営みを感じる。
もっとじめじめとして退廃的な空気をまとった場所を想像していた面々は、しばし呆気にとられていた。
「何用じゃ、新しき嵬の頭領よ」
奥の家屋から、ゆらゆらとこちらに歩み寄ってくる影がある。
小柄で背は曲がり、杖をつきながら歩む老人だ。頭髪はなく、耳の先端が尖り、頭頂からは一本の角が生えている。
傍らには二人の男が侍っている。年のころは人間でいうと壮年にあたり、双方耳は尖り、角は一本。頭髪は黒々としている。
三人に共通するのは、額に嵬族の紋様が刻まれていることだ。
外見的特徴から、彼らが人間とあやかしの間に生まれた者だと分かる。
そう、那岐と立場を同じくする者達だ。
「集落の長は貴方ですか」
一歩前に出た磨徒がたずねると、老人は静かに首肯する。
「そうじゃが、我ら堕嵬の民はあやかしを歓迎せん。引き返してもらえんか」
「少し話がしたいのです。まずは、閉ざされた領分であるこの地に、無遠慮に分け入った非礼をお許しください」
磨徒が片膝をつき、深々と頭を下げる。
尊重と畏敬の念を体現したふるまいである。
磨徒がこうして第三者に頭を下げる姿は、あやかしの都においてはまず見ることができない。
それは異文化を形成する未知の集団に対し、礼を尽くした末の行動だった。
「ほう、傲慢なるあやかしが我らに頭を下げるとは」
「人間とあやかしの間に上下はなく、ただ軽輩者として先達に敬意を払うのみです」
「殊勝な心がけじゃが、我らが嫌うのはあやかしの血そのもの。主らに流れるその血にしみついておるのは、人間への嗜虐心よ。どれだけ外面を取り繕おうとも変わらぬ。血には抗えぬ、醜く愚かな存在じゃ」
頭を垂れたまま、磨徒は強く瞼をとじた。堕嵬の長の言葉は嘘偽りない真実であるからだ。
婚礼の儀での失態が頭をよぎり、言葉につまる。
「血の呪縛に抗おうとするあやかしの、どこが醜いのでございましょう。現状を変えたいと思う意思は、立派で美しきものだと存じます」
磨徒の傍らまで歩みを進めたみつが、堕嵬の長を正面から見つめる。
みつの姿を視界におさめるや、長をはじめ脇に侍る二人もわずかに目を見開いた。
「おお……人間か。混じりけのない純血に会うたのは何百年ぶりか」
「お初にお目にかかります。磨徒様の妻、みつでございます」
あやかしの作法にならい、磨徒と同じ姿勢で膝をつき頭を垂れるみつに、長は眉をひそめた。
「おおかた力で屈服させられておるのだろうな。あやかしの都は地獄であろう。存在の否定、日常的な暴力、力による支配。逃げ出したいと思ったことはないか?」
「ございません」
顔を上げ、凛とした表情で長と向かい合うみつには、言い知れぬ凄みがある。
揺るがぬ強固な意思。言わされているのではない、偽りのない衷心からの言葉だ。
「じきに嫌でも思い知る。あやかしの醜さを」
「あなた方が接してきたあやかしの皆さまは、そうだったかもしれません。されど磨徒様は違います。私に日々幸せをくださる、優しい旦那様です」
「笑止千万。人間があやかしの世で幸せを掴むなど──」
「どうか凄惨な過去にとらわれないでください。種族や家名で、その性質を括らないでください。磨徒様は、あなた方が接してきたどのあやかしとも違います」
「……」
堕嵬の長は、脇に侍る二人に視線を送る。
未知の感性との接触に、少なからず戸惑いがあった。
そもそもおかしいのだ。
嵬族に嫁いだ人間が、こうも美しくきらびやかな出で立ちでいることが。肌艶もよく、生き生きと表情を変えることが。
人間の嫁は薄汚れた離れに住まい、みすぼらしい着物をまとい、虚ろな目でただただ死を待っているだけの存在だ。
そこにはひとかけらの幸福もない。
そう。そうだったのだ。堕嵬の民の記憶に残る母の姿は。
「私は、人間を蔑み虐げるあやかしの現状を良しとしません。そして、狡猾な策謀をもって外交による搾取をはかる人間の現状にもまた、疑問を感じております。我らが代で終わらせるべきです、この歪んだ関係を」
毅然とした態度を示しながら、磨徒が立ち上がる。堕嵬の長を大きく見下ろす形になるが、不思議とその姿を威圧的に感じる者はいなかった。
「……ついてきなさい。話を聞こう」
しばしの沈黙をはさみ、堕嵬の長はきびすを返す。
そしてまたゆらゆらとした足取りで、奥に立つ屋敷を目指すのだった。




