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天より降り注ぐ氷の軌跡

場所:モノリス海上監獄 —— 監獄長室ジ・エイペックス


時刻:午前1時(ノクターナス標準時)


 魔法強化ガラスの向こう、ノクターナスの永劫の嵐は「まどろんで」いた。嵐が止んだわけではない。息を潜めているのだ。普段なら数千トンの猛威を振るい塔の支柱を打ちつける波も、今は星なき空の下、こぼれたインクのような漆黒を湛え、重く、緩やかにうねっている。


 静寂に包まれた室内、畏怖の対象たる監獄長ウォーデン、レヴィアラはパノラマウィンドウの前で彫像のように佇んでいた。


 その優美な手には、薄手の磁器のティーカップ。ベルガモットの香りを乗せた湯気がゆらりと立ち昇り、彼女のミステリアスで浅黒い肌を撫でる。彼女は一口、茶を啜った。温かい液体が喉を滑り落ちていくが、それは彼女が放つ冷徹なオーラとは対照的だった。


「ふむ……静かね」


 さざ波のような囁き声。薄暗く発光するシアン色の瞳は、外の虚空を見つめている。


「静かすぎる」


 その思考が過ぎった刹那、頭上の空が裂けた。


 稲妻ではない。いつもの紫電ではない。それは、遥かに異質な何かだった。


 成層圏の闇から、ある物体が墜落してきた。蒼白あおじろい光の軌跡が雲を引き裂き、夜空を断ち切る完全な垂直線を描く。


 レヴィアラの目が鋭く細められた。


 その物体は音速を超越して落下していたが、奇妙なことにソニックブームは鳴らなかった。分厚いガラスを貫いて届く、微かな衣擦れのような音だけが響く。


 海面に近づくにつれ、レヴィアラはその正体を視認した。それは武器だった。槍——より正確には、鋭く残忍に湾曲した二つの穂先を持つ双叉槍バイデント。漆黒の金属で鋳造されているが、凍てつくような蒼いオーラを纏っている。


 何より恐ろしいのは、その背後に残された痕跡だ。


 武器が通った後、大気は燃えることなく、凍りついていた。その軌跡は溶けかけの氷の彗星の如く、煌めく結晶の粒子を撒き散らしている。だが凝視すれば、その粒子はただの氷ではないことがわかる。それらは渦を巻き、蠢き、古代の文字——忘れ去られた言語の死語を形成していた。


 氷に囚われた魂たちだ。


 その武器はモノリスから数キロ離れた海面に激突した。


 巨大な水柱も、津波も起きない。


 穂先が水に触れた瞬間、その一点を中心に海が瞬時に凍結した。氷の波紋は急速に広がり、うねる波を死した水晶の彫像へと変え、やがて武器は凍てつく地獄の冷気を伴い、深淵アビスの底へと沈んでいった。


「あれは……何?」


 レヴィアラは好奇心を刺激され、呟いた。ただの水属性魔法ではない。あれは……冷徹な死そのもののようだった。


「退屈ッッ!!」


 唐突な苛立ちの叫びが、レヴィアラの思索の時を打ち砕いた。


 レヴィアラはゆっくりと振り向く。驚きはない、ただ少しだけ煩わしそうに。


 執務机には、監視スペシャリストのセレナが座っていた。ピクシーカットの白い髪をした女吸血鬼ヴァンパイアは、黒檀の机に頭を突っ伏し、哀れなリズムでテーブルをバンバンと叩いている。


「退屈、退屈、退屈すぎて死にそう!」自分の腕に顔を埋めたまま、セレナが呻く。


「どうしたの、セレナ?」レヴィアラは冷静に問いかけ、机に戻ってティーカップを置いた。「今夜はずいぶんと騒々しいわね」


 セレナが顔を上げた。ARグラスが傾き、赤いデータグラフが点滅している。美しい顔は不満に歪み、まるで玩具を壊された子供のようだ。


「囚人7734」セレナが歯噛みする。「デヴォンよ」


「彼がどうしたの?」レヴィアラは玉座のような椅子に腰を下ろし、足を組んだ。「この一週間、行儀よくしていたはずでしょう? 日報によれば、文句も言わず採掘作業に従事し、騒ぎも起こさず食事をし、第12ブロックのモンスターたちとも馴染み始めている。模範囚じゃない」


「それが問題なのよ!」セレナが立ち上がり、机を叩いた。


 彼女は空中にホログラムスクリーンを投影した。そこには過去一週間のデヴォンのCCTV映像が映し出される。食べるデヴォン。寝るデヴォン。ゼラスの頭を撫でるデヴォン。壁を見つめるデヴォン。


「見てよこれ、レヴィアラ! この顔! 一週間、24時間体制で監視し続けたのよ。私は待ってたの。彼が牙を剥く瞬間を。実は魔王の隠し子だったとか、神が変装してるとか、少なくとも大量虐殺を企む天才サイコパスだったとか、そういうイカれた展開を!」


 セレナはフラストレーションに任せて、自分の白い髪をくしゃくしゃに掻きむしった。


「なのに何よこれ? 何もない! 異常な細胞再生能力と頭に変な羽が生えてるだけの、ただの平凡なティーンエイジャーじゃない! 退屈よ! 野心もない! 邪悪なオーラもない! 彼は……ただそこにいるだけ!」


 レヴィアラは呆れたような眼差しで部下を見つめた。「セレナ、人間界の犯罪ドラマの見過ぎよ。良いことじゃないの。問題を起こさないなら、私の仕事が減るわ」


「私の直感は外れないの!」セレナは頑として譲らない。「あの目の奥には何かがある。何か隠してるわ。それを完璧に隠し通してるって事実が、逆に怪しさを増長させてるのよ!」


 セレナは非難がましい目でレヴィアラを見た。


「それに……あなただって怪しんでるでしょう? 先週、個人的に彼をここに呼び出したじゃない。何を話したの? 普通ここに入った人間は医務室行きになるのに、なんで彼は五体満足で出てこれたわけ?」


 レヴィアラは一瞬沈黙した。デヴォンとの会話が脳裏をよぎる。退屈についての、あの少年の分析。


「別に」レヴィアラは素っ気なく答え、別の書類を手に取った。「あなたには関係ないわ」


 セレナは目を細めた。上司が嘘をついていると気づいたのだ。そしてセレナのような執着心の強い観察者にとって、解けない謎は掻いても治まらない痒みのようなものだ。


「そう」


 冷たく言い放つと、セレナはホログラムを消し、出口へと背を向けた。足取りは速く、力強い。


「どこへ行くの?」レヴィアラは視線を向けずに尋ねた。


「個人的な用事よ」セレナは短く答えた。「自分の楽しみは自分で見つけるわ」


 自動ドアが音を立てて開き、セレナは廊下の奥へと消えていった。冷めた紅茶と、外の闇に落ちた氷の槍の残像と共に、レヴィアラ一人を残して。




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