如月一族 その4(訂正)
連也が帰った後。
研究所の一室。
相澤は机の引き出しからガラケーを取り出し、
どこかへ短い電話をかけていた。
「……ええ。」
「……承知しています。」
声は低い。
時折、静かに頷く。
通話を終えると、
再びコーヒーサイフォンに点火した。
青い炎が、ガラス越しに揺れる。
「エンキドゥの子孫……七十年振りに始動か。」
独り言にしては、重すぎる。
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ノック。
制服姿のショートヘアの長身の女性が入室する。
色女――いかにも京女という、隙のない雰囲気。
「六波羅二等海上保安正、参りました。」
姿勢は完璧。
だが目は柔らかい。
「コーヒーでもどうかな。珍しい豆が手に入った。」
所長は二人分を紙コップに注ぐ。
香りが、研究所の無機質な空気をわずかに和らげる。
「いただきますわ。」
六波羅蜜子は受け取る。
「確か君は、アギトと如月の間の入省だったな。」
「はい。」
「如月をJ.I.Dにスカウトしたそうだな。」
「ええ。」
「どうだ。」
蜜子は一瞬、視線を落とす。
「理屈では断りません。
感情では――揺れています。」
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JAPAN Intruder Detector。
略してJ.I.D.。
対日侵入検知機構。
表には存在しない組織。
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相澤は頷く。
「手当は家族の数だけ百万円増える。
商品券だがな。」
「助かっていますわ。
化粧品代と車のローンが、笑。
まるで海外駐在員みたい。」
軽く笑う。
だが、その目は揺れない。
⸻
「確か君は警備情報課だったな。」
「警備情報第二係です。」
「だがJ.I.D.では別の顔を持つ。」
蜜子はコケティッシュに微笑む。
「命令があれば、どちらにもなります。」
「如月とは以前、付き合っていたそうだな。」
「今でも付き合っています。」
間。
「どうだ。」
「理屈では動く。
感情では迷う。」
「アギトは?」
「揺れません。」
即答。
沈黙。
サイフォンの泡が、静かに落ちる。
「二人が同時に動いた場合――」
蜜子は一瞬も考えない。
「止めます。」
「出来るか?」
「私の役目ですから。」
冗談の響きは、一切ない。
制服の足元に覗く、茶のクロケット&ジョーンズ。
官給品ではない。
左手首には、ロレックスのエクスプローラーI。
完璧な足取りで踵を返す。
ドアが閉まる。
相澤が呟く。
「四代目も、そろそろ潮時か。」
炎が消える。
「血は巡る。」
⸻
外苑西通りに面し、新宿御苑の緑を北面に抱く、白いタイル貼りのマンションの駐車場に、スバル・インプレッサ22Bを滑り込ませる。
周囲はポルシェをはじめとするドイツ車ばかりだ。
千駄ヶ谷駅から徒歩三分。
慶應大医学部にほど近い静かな立地。
マンション――シルビア。
バブル期以前に建てられた十一階建て。
住人の多くは医者だ。
共用部は、昭和の金の匂いがする。
重い大理石。
低い天井。
柔らかな間接照明。
音が反響しない。
昭和の金は、音まで買っている。
かつて“高見沢という有名なF1レーサー”が住んでいたらしい。
今は海外だ。
非常階段を四階まで一気に駆け上がる。
ヒューゴ・ボスのスーツ。
クロケット&ジョーンズ。
走りやすい。
重い玄関ドアを開ける。
この新宿御苑を臨む部屋は、母方の祖父の遺産だ。
如月の姓も、母方のもの。
104平米の3LDKを2LDKへ変更。
ガラスはペアに交換。
内装はアルヴァ・アアルト風に改装済み。
シャワーを浴びる。
鏡に映る自分を見る。
蜜子曰く、
炭鉱夫上がりのボクサー。
悪くない。
ポルトローナ・フラウの一人掛けに沈む。
東儀秀樹。
笙の音が、部屋の角でほどける。
東儀と西儀。
奈良の律令で分かれた血。
俺の血は、西儀だ。
その時。
インターフォンが鳴った。




