第7章 静寂の前夜
2011年3月初頭。
冬の名残がまだ街に残り、海風が金属のように冷たかった。
ディスカウントショップの駐車場で夜通し騒ぐ奴ら。
原付に彼女を乗せて海まで走る奴ら。
カラオケでオールして声が枯れる奴ら。
──同級生たちが一度しかない十八歳の春休みを謳歌している中、
俺は教室の隅で補講に出席していた。
国立いわき高等工業専門学校――いわき高専。
高校と短大を合わせた五年制で、卒業後には即戦力の技術者として社会へ出る。
服装もバイトも自由だが、カリキュラムは狂気じみており、毎年二割が脱落する。
武漢でのゲーム大会、そして入院。
そのせいで出席日数が足りず、俺も危うく留年しかけていた。
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補講を終えた帰り道。
紫に塗装した愛車――2004年式 MZスコーピオン660を走らせた。
ドイツ製の車体に、ヤマハの水冷ビッグシングルを積んだ異端の一台。
見た目はどう見ても250ccだが、実際は660ccの単気筒。
乾燥重量170キロで48馬力。
まさに “羊の皮をかぶった狼”――いや、“紫の蠍”だ。
給油のために海沿いのスタンドに寄る。
紫のジェットヘルメットを脱ぐ。
スコーピオンというブランドのそれは、母の実家――スカルピア家の紋章を刻んでいた。
紫の盾に、黒い三匹の蠍。
古代ローマ親衛隊の意匠を継ぐその紋章は、いつしか俺自身の象徴になっていた。
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「おー、久しぶりじゃん。相変わらず紫ずくめだな。」
振り返ると、中学の同級生・吉岡蓮が立っていた。
TW225は林道仕様で、相変わらず無骨だ。
「久しぶりだな。……一年ぶりか?」
「そうだな。……何だよそのバイク、SRXのカスタムか?」
「MZスコーピオン。ドイツ製だけど、エンジンはヤマハの660ビッグシングルだ。」
吉岡は目を細めて笑う。
「見た目よりずっと暴れそうなマシンだな。」
しばらくバイク談義が続き、ガソリンの給油口が閉まる金属音が響いたところで、
吉岡が言った。
「そういえば……来週、中学の同窓会あるの知ってるか?」
「聞いてない。」
「まあ、お前だしな。そういう連絡網からは永久に外側だろ。」
「だろうな。」
「来いよ。バイクの話の続きはそこでだ。」
「……考えとく。」
「考えとく、は来るやつの返事だ。決まりな。」
俺は苦笑して肩をすくめた。
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吉岡はふと思い出したように言う。
「なあ、お前、なんで高専行ったんだ? トップ校でも余裕だったろ。」
「中三のとき、マレーシアから帰国しただろ。
内申が無くて柔道部入ったが、それでも足りなくて高専に流れた。
……でもお陰でバイクで転倒しても受け身は上手く取れるよ。」
「今でも柔道やってんのか?」
「まあな。“人間工学”って授業で柔道の知識が意外と役に立つ。」
(実際のところ、高専は五年制で“層が厚い”。
だが、近隣の大学、高専を含めて俺に敵う者はもういない。
破壊衝動と限界を測るため、週に三度は総合格闘技ジムへ通っている。
元プロレスラーが主催する地下格闘技イベント《アウトラン》では三戦無敗。
見た目こそ70キロ前後だが、
フラクタル化した俺の身体の実質重量は90キロ。
リードストレートだけで1トン近い衝撃を叩き出す。
理論上は、ヒグマとも正面から殴り合える。
……ヒグマの圧に耐えられれば、の話だが。)
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吉岡はヘルメットを被りながら言った。
「そういえばさ、居ないから言うけど――裏番の金本。
柔道推薦で他県の高校に行ったけど、帰省のたびに兄貴と族を締めてたらしい。」
俺は小さく息を吐く。
「あいつは昔から別格だった。インターハイでも上位らしいし。
でも、そういやお前って、危険物取り扱いの資格持ってただろ?」
「まあな。」
吉岡は笑い、TWに跨がる。
「じゃあ、同窓会でまた話そうぜ。」
俺は軽く手を上げて別れた。
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紫のスコーピオンに跨がり、セルを押す。
エンジンの咆哮が、夜気を震わせる。
向かう先はサバゲーの先輩――岩野が待つ、カラオケBOX。
仲間内では「イワノフ」と呼ばれていた男だ。
その夜の予定も。
街を包む穏やかな灯りも。
十日後に訪れる “断層の揺らぎ” に飲み込まれるとは――
この時の俺は、まだ知る由もなかった。




