表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/121

第四部 1話 勝利に栄光あれ

2017年9月。

新都知事による国政政党の結成を恐れた与党が、

突如として衆議院を電撃解散した。


政治の潮目が変わる。

その瞬間を前に、如月蜜は無所属で立候補を決めた。


リオ五輪フェンシング金メダリスト。

東大卒。

誰もが振り返る美貌。


だが彼女の掲げた公約は驚くほど素朴だった。


「富国強民」


漫画『サンクチュアリ』で見た言葉。

嫌いじゃない。むしろ、流行語大賞になってほしい。


戦後七十年談話を踏まえた新保守論。

日本が抱えてきた自虐史観の終焉を宣言し、

中国当局によるウイグル迫害を

自らの出自と絡めて正面から語った。


「正しい国際認識を持つべきだ」


蜜の一言は、戦後日本の軟弱な空気を切り裂く刃だった。


例えば国連。

戦勝国クラブとも呼ばれる常任理事国には、

敗戦時に存在すらしていなかったロシアや中国が並んでいる。

敗戦国の常識など、もはや意味を成さない。


飾り気のない“真実”が、

有権者の胸を深く撃った。


──そして俺たちは、その選挙戦を影で支えた。


選挙事務所は夢の島マリーナに置かれた

フルサイズのエアストリームのトラベルトレーラー。

銀灰色の外壁が夜の光を柔らかく返し、

まるで秘密基地のようだった。


だが、戦場は陸ではない。


蜜陣営の“機動選対”は、蘭の十二メートル級セイラー。

俺とパイカルが操るそのヨットは、

マストを可倒式に改造し、

ヤンマー製のディーゼルを搭載していた。


都内の低い橋梁の下を、

静かに滑るように潜り抜けていく。


橋桁に飛び乗った蜜がゲリラ演説を放ち、

そのまま水上へ消える――

そんな奇襲戦法を日々展開した。


さらにヨットに積んだファットバイクで街に繰り出し、

金を使わず最大限スタイリッシュな映像を制作した。


若者だけでなく、保守層の高齢者にも刺さった。

蜜にはいつしか二つの渾名がついた。


「アラサーキューティーハニー」

「巨乳ジャンヌダルク」


五輪後、広告オファーを断り続け、

“直接向き合う場所”だけを選んできた蜜。

その姿勢が、この選挙戦で本当の価値を放った。


俺とパイカルは砂嵐を起こすタイプだが、

蜜だけはその中を真っ直ぐ歩く、

“太陽を盗む女”だった。


映像化は吉岡と赤井の凸凹コンビが担当。

登録者200万のユーチューバーの実力は伊達じゃない。

吉岡の実務、赤井の悪ノリ。

二人の呼吸は驚くほど完璧だった。


俺とパイカルは水上警戒、

橋桁の安全確保、不審者の排除を担った。

外国の工作員めいた連中をつまみ出したこともある。


一方で、いつの間にか俺たち自身に“追っかけ”が現れ始めたのは予想外だった。


そんな日々の中、

赤井彗だけは早い段階で気づいていた。


蜜という女が、

“本当の女としての魅力”を開花させはじめていることに。


ある夜。

運河から戻ったセイラー。

スタッフは皆、疲れ果てて眠り込んでいた。


薄暗い船室で、

蜜だけがひとり書類を読み続けていた。


化粧は薄れ、

頬に疲れの影が出るはずなのに、

その横顔はむしろ美しかった。


脆さと強さが同居する、

“生き方が光り始めた女”の顔だった。


赤井は小さく呟く。


「……ああいうのが、

 本当に綺麗になる女なんだよ。

 これから、もっと魅力が出る。」


男としての直感の痛みが滲んだ声だった。


──そして注目を集めた選挙戦は、ついに投開票を迎えた。


◆ 当確の瞬間 —— 決め台詞の“由来” ◆


テレビの速報がエアストリームを震わせた。


《如月蜜 当選確実》


狭い室内が一気に沸き立つ。

吉岡の拳が上がり、赤井は「よっしゃああ!!」と吠えた。

スタッフは涙ぐみ、抱き合い、

小さな空間は勝利の熱気に満ちた。


だがその中心で、蜜だけが静かに立ち上がる。


目を閉じ、

短く深呼吸をひとつ。


俺は思い出した。


──リオ五輪。

金メダルを首にかけた蜜が、

インタビューの最後に放った台詞。


『勝利に、栄光あれ』


SNSは“女騎士の宣言”と騒ぎ、

翌朝のニュースを独占した。

あれ以来、それは蜜の代名詞となった。


蜜はゆっくりと目を開け、静かに言った。


「……そして世界は動き出す。」


一拍。


その次の言葉は、

まるで時代の扉を押し開くようだった。


「勝利に──栄光あれ。」


歓声よりも強く、

その一言は事務所の空気を貫いた。


──夜。

小さな祝勝会を終え、俺たちはセイラーに戻った。


吉岡は船室で眠り込み、

紙コップが静かに転がっている。


赤井は甲板へ出て、

夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。


そのとき――


桟橋の先で、寄り添う二つの影が揺れた。


蜜と、味沢 岳。


以前、赤井が“男の証を持つ男”と呼んだ、

あの寡黙な男だ。


蜜は柔らかく笑い、

味沢は珍しく優しい目をしていた。


その横顔に浮かんだ

“守られている女”の表情を見て、

赤井は悟った。


──ああ。

 完全に……負けた。


胸に鋭い痛みが走る。


その瞬間、船室から音楽が流れた。


『Never Can Say Goodbye』


赤井の“フラグソング”。

敗北のたびに風に乗るあの曲。


今夜ほど、この曲が沁みたことはない。


赤井は肩を震わせ、泣き笑いしながら言った。


「……やるじゃねえか、味沢の旦那……

 覚えてろよ……!」


そして夜空を見上げ、

音楽と同じリズムで呟いた。


「……Never Can Say Goodbye、か。

 わかってるよ。

 まだ立つさ、何度でも。

 勝利に──栄光あれ。」


赤井はにやりと笑い、そっと呟く。


「……ア・バ・ヨ。」


その声は静かに、夜の海へ溶けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ