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3話 黄金の4人


リオの空は、真昼でもどこか砂煙の匂いがした。

海風と熱気が混ざり合い、遠くで鳴り響く歓声が都市全体の脈動になっていた。


日本代表控室。

俺――安樂蘭アラク・ランは、ただ剣の先を見つめていた。


エペの細い刃は、光を吸うように沈黙している。


「蘭、緊張してる?」

声の主はみつ。女子フルーレ日本代表で、東アジア最強と言われる美女だ。


「いや、むしろ……静かすぎて退屈なくらいです。」

俺は素直に答えた。


その横で黙っていた杏子(要杏子)が、ふっと微笑む。

女子エペ代表。真っ白なユニフォームが似合う、そのスッと伸びた背筋は、まるで日本刀の化身のようだった。


俺は肩を竦めた。


視覚・反射・筋連動が“スコーピオン仕様”に再構築された今の俺には、

相手の“未来”が視えるも同然だった。


最早、勝てるかどうか――そんな次元ではない。

圧倒しすぎれば悪目立ち、

ギリギリの勝利では、それもまた嘘になる。


動けば技になる境地。

名人上手は黙ってただ剣を振るだけだ。

それが一番“美しい”。


別に俺は、スポーツヒーローになりたいわけじゃない。

――尤も、日本を舐めている連中にはお灸を据える、少々怖いお兄さんでいても構わないが。


そんな思考のまま、俺たちは闘技場へ向かった。



観客席が割れるように騒ぎ始めた。

入場してきたのは――


Kenji Masiro。

コロンビア大学フェンシングチームの象徴にして、全米チャンピオン。

魔術師マジシャン”の異名を持つ男。


パイカルは静かに呼吸を始めた。


母親が法輪功の幹部だったため、呼吸法は20年以上の習慣だ。

大学に入ってから、その理屈がようやく腑に落ちた。


ヨガや仙人の小周天――

背骨に沿って炎の柱が立つとされる現象は、ミトコンドリア活性による電圧生成が自律神経を最適化しているのだと。


世紀末拳法漫画にある「人は本来の力の30%しか使えない」というくだり。

パイカルは特殊な遺伝子と呼吸法の組み合わせで、

体内60兆の細胞に共存するミトコンドリアを“覚醒”させていた。

コウモリがウイルスの宿主として極端なミトコンドリア耐性を獲得してきたように、

彼の体質もまた、それに近い“適応”を見せていた。


側から見れば――

皮膚の下に別の生き物が潜んでいるような静けさ。


表情は薄い笑み。

動きはほとんど“無”。


相手は欧州王者。世界ランキング1位のサーブル使いだ。


合図が鳴る。


パイカルは動かない。

青眼の構えのまま、彫像のように静止した。


……次の瞬間。


金属音が炸裂。


実況が裏返った声で叫ぶ。


「速い……!

 いや、あれは超スピードとか催眠術とか、そんな生易しいもんじゃない……

 もっと……おそろしい“何か”だ!」


カメラマンも混乱して声を上げる。


「お、おい俺のカメラ!?

 アイツ……動く前に刺さってるぞ!?

 ……バグじゃねえよな……?」


実況席が焦りながら叫ぶ。


「落ち着け! 今だけでいい、理性で実況しろ!!」


パイカルは動かない。

なのに攻撃だけが起きている。


静止画と高速映像を交互に見せられているような矛盾。


300kg近い握力が生む予備動作ゼロの振り込み。

“未来の起こり”に鋭針を差し込む古流剣術の理。


46秒。世界王者は崩れ落ちた。


「どんなパワーがあろうと“当たらなければどうという事はない”」


パイカルは意味深に呟く。


関係者席で蜜が笑った。


「先を留めた剣先でジャケット裂くなんて、もうライトセイバーよ。」


■結果:サーブル個人戦 金メダル

Kenji Masiro(日本代表)



◆ 蘭 エペ個人戦・決勝


俺の番が来た。


エペは俺に合っている。

攻撃権が無い――それが良い。

好きな瞬間に、好きな場所を突ける。


普通の人間が見ているのは0.2秒前の“過去”。

神経伝達の限界だ。


俺は違う。

振動を全身で捉えることで、反射と視覚が一本につながっている。


“いま”と“未来”が、一本の線になって視える。


合図。


相手が動いた瞬間――

未来の“揺らぎ”が見えた。


一本。

二本。


相手は透明な壁にぶつかり続けているようだった。


実況が呆然と呟く。


「……攻撃してない……のに刺さってる……

 いや、刺してるのか? どっちだ……?」



◆ 観客席(男塾式解説パート)


「……今の技、理解できたか?」

パイカルが言う。


蜜が首を横に振る。


「全く。

 “突いた”のか“当たった”のかすら分からなかった。

 あれはフェンシングの速度じゃない。」


杏子は目を細める。


「予備動作が存在しない。

 呼吸すら無駄がない。

 いわば――“動かずして動く”技。」


蜜が震える声で続ける。


「……無住心剣術の“相抜け”みたい。

 抜いた感覚すら無いのに、こちらが切られる……そんな感じ。」


パイカルが軽く顎を上げ、天井を見ながら言った。


「違う。あれは……“音”だ。」


杏子・蜜「音?」


「陽音階と陰音階――

 和楽器の“二つの拍”。

 あれが交互に出ていた。」


蜜が眉を寄せる。


「フェンシングに音階……?」


「初めて見たのは東工大の試合だ。

 あのときも妙な“間のリズム”だった。

 打突でも突きでもない。

 “前へ押し出す拍”と“後ろへ引く拍”が重なっていた。」


杏子が息を呑む。


「陽音階は“前へ押す拍”。

 陰音階は“後ろへ引く拍”……。」


パイカルは頷いた。


「普通の人間は揺らぎが“動きとして現れた後”に反応する。

 だがあのリズムなら――

 揺らぎが発生する前、“未来の点”を突ける。」


蜜「それで……

 動いてないのに、相手だけが刺されていった……。」


杏子は震える声で言った。


「……もう“技”じゃない。

 “理”ね。」


パイカルは小さく笑った。


「動けば技になると言ったが……当たらなければどうという事はない。」


蜜が苦笑する。


「またシャアみたいなこと言って……。」


杏子が静かに言った。


「分かったわ。

 今日の蘭は“未来の拍”で戦っていた。」


■結果:エペ個人戦 金メダル

安樂蘭(日本代表)



◆ 女子の部:杏子エペフルーレも金


杏子は正確無比。

蜜は斬りつけるようなスピード。

この大会で蜜は“アラサーキューティーハニー”の異名を取ることになる。


中国・韓国の強豪を圧倒し、

日本代表は4つの金メダルを持ち帰ることになった。



◆ 横浜・紅葉ヶ丘 パイカル邸


帰国後の祝賀会は、横浜・紅葉ヶ丘のパイカルの家で行われた。


山の上の洋館。

モダンな建築が並ぶ中で、そこだけ時代に取り残されたような

アメリカン・ラップサイディングの家。


崖下にはビルが建ち、

反対側から見上げると――

カルナック神殿の列柱の上に

一軒家が浮いているように見えた。


思わず口から出た。


「周囲の開発から取り残されたジャン・ギャバンの家みたいだな。

 まるで『地下室のメロディ』のオープニングシーンみたいだ。」


パイカルはシャンペンをビールのように飲みながら言った。


「ショッカーの秘密基地みたいだろ。」


隣でリズ・クリストフが笑う。


「でも金メダルを四つも持ち帰るなんて、あなたたち正気じゃないわ。」


杏子が珍しく口を尖らせた。


「正気じゃないのは、あの握力で振り込む方よ。」


パイカルは静かに笑った。


「――ようこそ。

 混沌の中の静寂の宮殿へ。」



第3部はここから、

“四度目の人生”の本筋へと潜っていく。


次話へ続く。



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