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第22章 革命前夜

雨は上がっていた。

8月の湿気が、墓地の芝を重たく沈める。

無名の丘。風は弱く、空はまだ濡れていた。


白い石の前に、黒い影が二つ――俺と、花束。


「……やっと、来れたな。」


銘板に刻まれた簡素な文字。

松田 瑠衣。


検死は“外因死の疑い”のまま止まり、

紙はどこかで折り曲げられ、事案は縁へ押し出された。


噂は二つ。

ひとつは湯田――父の資金を回した手先。

もうひとつは岩野――裏金の匂いを最初に嗅ぎ、最後に消えた先輩。


どちらが真か。あるいは、どちらでもいい。

ここにあるのは、結果だけだ。


「瑠衣。あのとき言えなかったことがある。」


言葉は風より軽く地に落ちる。

湿土と石灰の匂い。遠くで環七の流れ。

胸の奥で、蠍の鼓動が一拍だけ遅れた。


これは、誰か一人の刃じゃない。

父の虚栄、男たちの欲、都市の熱。

複数の“力”が一点で共鳴し、閾値を越えた。

地震と同じだ。断層は一本では動かない。


ポケットで金属の重みが鳴る。

オールプラチナのロレックス。サファイアの面に、墓標の白が反射する。

秒針は、救いを知らない。それでも、進む。


「……裏切りは、装備だ。」


口にしてから、わずかに笑った。

悪口でも、免罪でもない。

この街で生き残るための、虚飾と見栄の重量。

真実は少ない。重さだけが残る。


花束の紫が、夕光を吸って濃くなる。

黙礼。踵を返す。



タクシーの後席に沈む。

「羽田まで。」

短い返事。静かな発進。


窓の向こうで、都市の骨格が後退する。

明かりの連なり。

俺の内側の“設計図”は、すでに別の形に組み替わっていた。


パイカル――“魔術師”。

一度だけ火花を散らし、決着はつかなかった。

刺し合わずに終わる戦いもある。

勝敗は剣では決まらない。時代が決める。



電話が震える。

発信者:母。


「準備はできた?」

「パスポート、Eチケット、現金。全部カバンだ。」

「……ありがとう。一緒に来てくれて。」

「なに俺のわがままさ。サンパウロの空気は、肌に合いそうでね。」


通話が切れ、ラジオがニュースを流す。


《臨時ニュース――2020年夏季五輪大会の開催地は東京に決定》


短い拍手の効果音。すぐにBGMへ沈む。

祝祭の音。

俺の耳は、それを“無音”として受け取った。


祝祭は、ときに鎮魂だ。

見なかったものに蓋をするための明るい音。


額を背もたれに預け、目を閉じる。

低解像度の記憶が点滅する。


波に飲まれる金本兄弟。

湯田の薄い笑い。岩野の横顔。

親父の転倒。パイカルの笑み。杏子の鳶色の瞳。


全部、保存。

消さない。美化もしない。

俺は観測者として、それらを静かに積層していく。



羽田。

ガラスの天井の下、人の流れが川のように分岐しては合流する。

母はすでに到着ロビーにいた。紫のストール。荷は少ない。


「遅かったわね。」

「さっき迄の雨の影響で渋滞だ。」


それだけ言って、視線を合わせる。

瞳孔は、以前よりも光をよく吸う。

恐怖を長く保存した者だけが持つ、深い眼。


「向こうの住まいは、もう押さえてあるの?」

「ヴィラ・マリアーナ。地上階、非常口まで二十七歩。」

「あなたらしいわ。」


微笑。

その奥に、もう地下鉄の影はない。

あるのは、慎重な航海者の眼差し。


その横顔を見て、胸の蠍が一拍、緩む。



保安検査場のモニターが、東京の祝祭を映す。

《TOKYO》の文字列が点滅する。

一瞥だけして、視線を戻す。


革命は、そこで起きない。

俺にとっての革命は、いつだって無音だ。



搭乗口。

シートに腰を下ろし、ベルトの布を指でなぞる。

隣で母がブラインドを半分だけ下ろす。

スマホを機内モードにし、メモに一行。


――革命とは、“救えない”を受け入れる選択である。


滑走。ライトが一定の間隔で滲む。

胸腔の中心で、毒息の回路が閉じる。

代わりに肺の空気が、新しい配列で並ぶ。


海抜ゼロの街から離れる呼吸。

別の重力へ移る呼吸。


思考の余白で、あの台詞が再生される。

――裏切りは装備だ。


不思議と、頭の中で**シューベルトの《セレナーデ》**が流れていた。

あの旋律だけが、まだこの世界で“祈り”の形を保っていた。

誰も救えず、誰にも赦されず――

それでも、旋律は消えない。


俺は目を閉じ、胸の蠍の鼓動と重ねる。

低く、静かに、呼吸の奥で拍を刻む。


革命は外に起きない。

俺の内部で、音もなく始まる。


夜の雲が割れ、翼のフラップがかすかに震えた。

銃声も、勝利の音楽もない。

あるのは――進むことだけ。


俺は進む。

誰も救えなかった蠍として。

それでも、なお、生き延びるために。


サンパウロまで、十二時間二十五分。

時計の針は、相変わらず無慈悲で、美しい。



ダークヒーロー志願  完

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