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第21章 磁場臨界(Field Critical)


六月初旬。

親父の死から、一ヶ月。


仏間の灯は弱々しく揺れ、

線香の煙が細い糸のように天へ昇っていく。


位牌の隣には、親父が生前ずっと使っていた古いCDプレーヤー。

再生ボタンを押すと――低く湿ったベース音が部屋を満たした。


最初に流れたのは、中村裕介『夢商人』。

三浦友和のタバコCMを思わせる、和製AORの残り香。

バブルの後ろ影と、少し苦い大人の匂い。


曲が終わり、数秒の沈黙。


次に流れ出したのは、CCR《Have You Ever Seen the Rain》。

湿った風景、遠い記憶。

親父がよく「これは人生の天気予報みたいなもんだ」と笑いながら聴いていた曲だ。


今日だけは――

その曲が“遺書”の前奏にしか聴こえなかった。


蝋燭の火が、わずかに揺れた。


「……親父。あんた、本当に“そういう男”だったんだな。」


CCRが終わる。

しかしプレーヤーは止まらない。


沈黙のあと、小さなノイズ。

そして――親父の声。


シークレット・トラック。


『……亜門。

 これを聴いてるってことは、もう俺はいないんだろうな。』


空気が急に重くなる。


『あの“動画流出”で俺は表向きクビになったが……

 本当は義憤でも正義でも何でもない。

 色んな場所に顔を突っ込みすぎて、

 日本、中国、台湾を繋ぐ裏資金ルートに近づきすぎて

 “そろそろ消される”気配があった。』


淡々とした声だった。

泣き言でも後悔でもない。

ただの事実報告。


『だから、世間の注目をあえて自分に向けた。

 少しでも生き延びるための、ただの戦術だ。』


短い沈黙。


『このCDは自動的に消滅する。

 痕跡は残らない。

 心配するな。

 これで本当に全部終わりだ。』


——ブツッ。


録音は突然切れた。



CCRのジャケットが静かに倒れる。

線香の煙だけが、まっすぐ天へ昇っていた。



高級マンション二つ。

ブラジル国債。

金。

不思議なほど高額な生命保険。


あれが“贅沢”ではなかったことが、ようやく分かった。


逃げ道の確保。

名義の分散。

資産の真空パック。

そして――“もしものときの俺への通路”。


例えそれが蟷螂の斧だとしてもだ。


CDをケースをカバンにしまうと仏間を静かに出た。



雨粒が窓を叩く頃、

俺は駒場の体育館にいた。


東大 × 東工大フェンシング交流戦。


照明が金属床に滲み、湿度のせいで音が吸い込まれる。


対戦表を見た瞬間、背中の神経がざわめく。


真白 乾児――パイカル。


あの夜、お台場で瑠衣の隣にいた“魔術師”。

闇をまとう男。


「萬尾、頼んだぞ。」


主将の声にうなずき、マスクを装着する。


心拍数27。

筋繊維が点火の合図をひっそり待つ。


合図。


剣先が触れた瞬間、世界の“時間”が軋んだ。


パイカルの剣は異常だった。

速さではなく、強さでもない。

未来そのものに干渉する剣筋。


予測ではない。

支配だ。


俺の神経も反応する。

磁場が干渉し合うような感覚。


――こいつは、俺の“反対側”。


火花。

踏み込み。

無音。


一閃で肩をかすめる。


「トゥシェ!」


審判の声。

しかし空気は止まっていた。


パイカルは面を外し、静かに言う。


「……悪くない。」


蛇のような光。

冷静で、どこか愉しげ。


「なあ、萬尾。」


胸骨が震える声。


「――この世界で、一番強い男がどっちか。知りたくないか?」


雷鳴。

照明の揺れ。

ガラスの雨粒。


磁場が反転した。

誰より早く、細胞がそれを理解した。


俺も面を外し、笑う。


「そう思うなら――次は仮面なしでやろうぜ。」


パイカルの口角が、わずかに上がる。


「いいね。次は決着をつけよう。」


その瞬間、照明が一瞬だけ落ちた。


闇。

稲光。

蝙蝠の影。


蠍と蝙蝠。

地と空。

光と闇。


――同じカードの表と裏。


パイカルが静かに背を向ける。


「また会おう。

 そのときは……世界が一つ焼けるかもしれない。」


雷鳴。

光。

そして、消える気配。


俺は剣を握ったまま、動けなかった。


――どちらが“世界で一番強い男”か。


その答えは、確実に近づいていた。




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