第1章 The Venom (毒)
大会会場は、異様な熱気に包まれていた。
巨大スクリーンの前に、各国代表の席が並ぶ。
中国、韓国、ロシア、シンガポール――
国家の威信が、ディスプレイの中で火花を散らしていた。
「北斗百裂拳!」「アタタタタタッ!」
叫びながら俺はキーボードを叩いた。
勝負は反射神経ではない。
思考の速度だ。
隣の中国代表は無言のまま、
冷たい光を宿した瞳でキーを叩き続ける。
指先が、意識よりも速く動く。
AIユニットは敵機を次々と殲滅し、
ピクセルの残滓が消えるたび、胸の奥で小さな“快感”が点滅した。
――思考が、現実を上回る。
AIが自分の神経の延長になったような錯覚。
その感覚の中で、
俺の中の“何か”が静かに熱を帯びていく。
⸻
2010年、秋。
日本と中国のあいだには、見えない火花が散っていた。
尖閣諸島の漁船衝突事件。
レアアース禁輸、ゼネコン社員拘束。
ニュースは連日、両国の緊張を報じ、
街の空気までどこか張りつめていた。
中国からの“意図的な嫌がらせ”が続き、
何もしない政府への国民の怒りは限界に達していた。
そんな中――
中国・武漢市で《国際Eゲーム大会》に日本が参加することが決まったのは、
開幕のわずか二週間前だった。
主催は中韓合同。
当初、日本代表の出場予定はなかった。
だが“交流枠”として急きょ招待が下りた。
常連プレイヤーはスケジュールの都合で辞退。
その代役として声がかかったのが俺――
萬尾亜門。
理系高専の三年。
バイクとプログラミングとカメラだけが友達の孤独なオタク。
投稿していた自作AIバトルゲームが偶然運営の目に留まり、
代表枠を手にした。
旅費も滞在費も全て先方負担。
気楽なつもりで引き受けた。
――その決断が、
俺の人生を“毒”で染める始まりになるとは知らずに。
⸻
決勝戦。
俺は中国代表を破り、個人戦で優勝した。
賞金は二百万円。
現金の重みを感じる暇もなく、記者会見、表彰式、記念撮影――
すべてが現実感のないまま、夜は更けた。
⸻
打ち上げの夜。
運営関係者や各国のプレイヤーが入り乱れ、
ホテルのロビーは異国の笑い声で満ちていた。
俺は一人、端の席で水を飲んでいた。
その時、シンガポール代表チームの通訳が声をかけてきた。
「Hey, Samurai Boy。いい店を知ってる。
武漢に来たなら、行かないと損だ。」
「……薬膳料理か?」
「そう。強壮に効く。君の国でも流行るかもな。」
軽く笑い返した。
その夜の俺は賞金二百万に浮かれていた。
“少しくらい珍しいものを食べてもいい。”
そう思い、彼らの誘いに乗った。
⸻
タクシーは繁華街を外れ、
急に舗装が剥がれた裏路地へと滑り込む。
街灯はノイズのように明滅し、
車内のラジオからは
ジャッキー・チェン《Project A》 のテーマが流れていた。
運転手は一言も喋らず、
ミラー越しの目だけが何かを知っているようだった。
監視カメラのない通り。
もし一眼を持っていたなら、迷わずシャッターを切っていただろう。
露出オーバー気味の赤い提灯、湿った壁、
そして夜の闇に浮かぶ一枚の看板。
『蝙蝠薬膳館』
店の“売り”はコウモリの姿煮。
壁の水槽には蛇、ムカデ、トカゲ、
そして――黒光りする巨大な蠍。
さすがにコウモリはリスクもビジュアルも無理だった。
だが俺の目は、
アルコールで酔わせた “生きた蠍” に釘付けになった。
透明な酒の中で、蠍はゆっくり脚を動かしている。
アルコール漬けは寄生虫のリスクが低い。
たとえばカマキリがハリガネムシに寄生されると
脳を乗っ取られ、水辺へ飛び込む。
だがアルコールに浸された蠍に、その心配はない。
俺は理屈で自分を納得させた。
子供の頃、蠍を飼っていた。
その呪術的なフォルム。
毒を内に秘めた静かな美しさ。
ずっと惹かれていた。
皿の上の蠍は、まだ脚をわずかに動かしている。
尾の先で光る一滴の液体。
それが――俺の運命を決めた。
「噛むな。飲み込め。」
グラスの酒を一気に流し込み、
俺は蠍を喉へ押し込んだ。
――甲殻が裂ける。
舌の上で弾ける熱。
鉄と硫黄の味。
世界が裏返る。
視界の奥に実験室が浮かぶ。
無数の毒虫が互いを喰い合い、
白衣の男がガラス越しに呟いた。
「蠍は、自分の毒では死なない。」
その声を最後に、世界は闇に沈んだ。
⸻
目を開けると、ホテルのベッドの上だった。
シーツは汗で濡れ、喉が焼けつくように乾いている。
鏡の中――
瞳の奥が、一瞬だけ紫に光った。
その瞬間、
世界の輪郭がわずかに揺らいだ気がした。
何かが、俺の中で、目を覚まそうとしていた。




