第17章 敗北を知りたい
◆ラスベガス・GRAVITY WORLD FINALS
ラスベガスの夜。
紫のライトが砂漠の空気を染め、
観客三万人の熱気が渦を巻いていた。
《GRAVITY WORLD FINALS》。
高さ二十メートルの鋼鉄タワー《OBLIVION》。
その頂を照らすライトの中心に、ひとりの男が立つ。
スクリーンには巨大な演出文字が踊った。
Amon de Scorpia
Age 20 / São Paulo, Brazil
“Hybrid of Samurai & Crusader Knight”
名前も国籍も――すべてスポンサーが決めた。
“萬尾亜門”という文字はどこにもない。
控室で運営スタッフが笑いながら言った。
「アメリカの観客には“エキゾチックなブラジルの忍者”が受ける。
そして君のコードネームは……“Aracrán”。
スペイン語でサソリだ。今日からそれで売る。」
アラクラン。
サソリ。
俺の意志ではなく、外側が勝手に貼ったラベル。
だ。
――くだらない。
俺はもう、どこの国にも属していない。
旗も、国籍も、称号すらも。
すべて演出であり、外側の“物語”でしかない。
ただひとつだけ事実がある。
俺は、誰よりも強く――そして、美しい。
「……そして、俺はまだ敗北を知らない。」
紫のライトが胸のエンブレムを照らした。
紫の盾に三匹の蠍。
古代ローマ親衛隊の紋章。
それは、俺自身のアイデンティティでもあった。
呼吸を制御し、神経を一点に集束させる。
全身の磁場が、世界の時間と同期していく。
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◆決勝ステージ
スタートの合図。
爆音とともに身体が弾けた。
鉄骨を駆け、バーを飛び、ロープを渡る。
筋肉は意志を持った構造体のようだった。
最終ステージ――水上のプール。
踏み切る。
水面が割れ、沈む――はずだった。
沈まなかった。
空気が止まり、光が屈折をやめる。
表面張力が固定され、俺はその上を――
三歩、走った。
「Oh my God――He’s running on water!!」
実況の悲鳴が歓声へ変わる。
稲光のようなフラッシュ。
最後の跳躍でバーを掴み、塔の頂に――到達。
紫のライトが金色に変わる。
三万人の視線が一点に集まった。
世界が止まる。
音が消える。
俺は笑い、指を開く。
「……敗北を知りたい。」
一秒の静寂のあと、爆発するような歓声。
紙吹雪が舞い、ライトが閃く。
俺の影は二つに裂けた。
ひとつは光へ。
もうひとつは闇へ――どちらも俺自身だった。
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◆翌朝・スイートルーム
翌朝。
ホテルのスイートルーム。
テーブルには《100万ドルの小切手》と《副賞10万ドル》。
しかし俺は20歳。
ラスベガスのカジノには“入れない”。
世界はいつだって、ルールの方がお子様だ。
鏡の前で髪を払うと、
淡く緑光を宿した瞳が揺れた。
蠍の血が、まだ熱い。
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◆杏子
「アモン。」
振り返ると杏子がいた。
白いワンピースに薄いスカーフ。
砂漠の朝をそのまま纏ったような姿。
「昨日言ってたやつ……行くでしょ?」
「ミュージカルか。」
俺は頷いた。
ラスベガスで未成年が合法的に楽しめる、
唯一の夜の娯楽。
杏子が選んだのは――
『君の瞳に恋してる』のミュージカルだった。
終幕の歌が静かに広がる。
杏子はそっと、俺の手を握った。
その指先だけが、
世界のどんな歓声よりも“現実”だった。
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◆バーの夜
バーのカウンターで氷が鳴る。
ブラックライトが酒の液面を走り、
紫と緑が混じり合う。
俺の髪も瞳も、蠍の甲殻のように淡く光っていた。
「アラクラン……ね。」
俺は小さく呟いた。
パスポートに刻まれることのない名。
国が与えたわけでもない名。
だが――
妙にしっくりきた。
最小限の動きで、最大の結果を奪う。
砂漠の夜に潜む狩人。
“蠍”は、俺の本質そのものだ。
胸の奥で蠍が脈を打つ。
それは“解放”ではなく――
《召喚》の合図だった。
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◆同時刻・日本 川崎・浮島
雨に濡れた埠頭。
黒いランチア・テージスのリムジンが、無音で滑り込む。
どの車にも似ていない造形。
直線でも曲線でもない。
思想そのものが形になったボディ。
後部座席にはブラックタイ姿の真白 凱とパイカル。
★パイカルのブラックタイは、イタリアの職人仕立て。
肩には芯がなく、影だけが滑る。
まるで“人型の毒”が礼装を着込んでいるようだった。
腕の関節がわずかに “可動し過ぎている” のを、誰も知らない。
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後ろから、近づいてきたBMW5シリーズのセダンからは4人の男が降りて来た。
その身のこなしからいって、軍人か。
「大使館からつけられていたみたいだな、乾、殺すなよ。
丁度、臓器が欲しいという政治家がいる。」
父の低い声に、銀髪の青年はわずかに目を細めた。
「なるほど…善処するとしましょう。」
★胸元のボウタイが、風もないのに微かに揺れた。
体温というより、毒素の振動で布が震える“異常な揺れ方”。
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車外に降り立つと、雨が光を裂いた。
影が広がり、世界が静かに縮む。
エコロケーション。
空間の3Dマップが、脳内に立体投影される。
ジークンドー。
最短距離、最短時間の殺意。
リードストレートが空気を裂き――
肉が鈍い音を立てて砕ける。
★拳を戻す動作が異様に“無音”だった。
打撃で砕けた肉片が雨に溶けても、
彼のスーツの袖は一滴も濡れていない。
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一分も経たずに、武装した男達が地面に転がる。
パイカルは、気絶した連中の懐を探り
うち2人をコードで縛るとBMWのトランクに放り込む。
★縛る動きは手品師のように素早い。
コードが“勝手に締まっていくように”見えるほど手際が異常だった。
BMWのエンジンを掛ける。
倒れた2人に向けて、3人分の重量が乗った車をスタートさせた。
デリケートなBMWのハンドルは、異物の感触を正確に伝える。
念の為、バックで念入りに踏みにじるとさらに、もう一度前進させた。
★タイヤ痕だけが規則的で、血痕は雨に溶けて軌跡がぼやける。
まるで“なかったこと”にするための儀式のようだった。
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監視カメラの赤いランプが点る。
パイカルはゆっくり顔を上げ、
レンズに向け――笑った。
★その笑みと同時に、カメラのセンサーが“ノイズ”を起こす。
熱源が乱れ、像が歪む。
吸血鬼のような“電磁汚染”を伴う笑顔だった。
雨と光が交差する。
世界は違う空の下で、静かに動き始めていた。




