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第15章 擬態

横浜・紅葉ヶ丘。

能楽堂や美術館が並ぶ文化の丘に、一軒だけ時代に取り残された洋館がある。


通りから見れば、レンガ造りの瀟洒な邸宅。

だが裏手は崖。下から見上げると、まるでビルの屋上に洋館が突き刺さっているように見えた。


崖下に入口を持つそのビルは、昼はホールやギャラリーとして開かれ、

夜は外交官や企業家たちの秘密のサロンへと姿を変える。


その主――真白 ましろ・がい

思いやり予算を使って米海軍向けの制服を製造する会社を経営し、

都心のホテルには高級テーラーを出し、また横浜と目黒には外国人向けの高級マンションを所有している実業家。


外交官、軍人、投資家。

彼の顧客は、常に“表と裏”の境界を歩く人間たちだった。


だが、その正体は別物だった。

背乗りで日本人になりすまし、中国人民解放軍のために暗躍する工作員――

本名は白 バイ・カイ


陽気で洒脱。

その立ち居振る舞いは、映画『007/ロシアより愛をこめて』のケリム・ベイを思わせた。

だが笑顔の奥では、国家の機密と人間の欲望の匂いを嗅ぎ分ける冷たい嗅覚が光っていた。



木馬計画(新グランドスラム・プロジェクト)。

日本における責任者は、白凱――日本名、真白凱。

その最終目標は、単純で、そして残酷だった。


――ハリガネ虫ウィルスを標的の脳神経に定着させ、

神経系を遠隔から制御する。


わかりやすく言えば、

政治家、官僚、学者、あるいは裏社会の実力者たちを

“リモートコントロール化”する――生きた傀儡の創出である。


現段階では、動物実験と政治犯・少数民族を用いた臨床が進行中。

そのリーダー・如月博士には、

法輪功幹部であり、博士の助手でもあったウィグル人妻とのあいだに一人娘がいた。


現在、実験はハニートラップを介して、

他国の要人への感染段階に入っている。


だが、例外もあった。

被験者の中には“バグ”を起こす者がいる。

暴走、幻覚、自殺――。

あるいは、**パイカルのように、制御から脱した“逸脱個体”**も存在した。



そして偶然にも、

野生動物市場に横流しされた実験用のサソリを口にしたのが――萬尾亜門だった。


彼は幼少期、地下鉄毒ガステロで一度“死に”、臨死体験を経て蘇生した。

その際に得た抗毒・抗ウィルス体質、

さらにサリン治療薬による代謝変異が複合的に作用し、

ハリガネ虫ウィルスのDNA配列は**未知の構造体――“フラクタル生命構造”**へと変化した。


結果として、

“支配のための兵器”であった木馬計画は、

偶然生じた被験体の一人・亜門によって、

人類の想定を超えた“進化”の扉を開くことになる。



夜。

紅葉ヶ丘の屋敷を離れ、ガンメタのアバルト500Cが闇に滑り出す。


崖を下り、港を抜ける。

アスファルトの反射がフロントガラスを走り、都市の血管のように光る。


アクセルを踏み込む。

霧が降り、街灯が滲んだ。


京浜国道を平和島競艇場の脇で右折。

運河沿いのDINKS用マンションの駐車場にアバルトを止める。

エレベーターで四階へ。


窓辺に立ち、ワインを傾ける。

眼下には無人の競艇スタジアムと黒い水面。

静まり返った運河は、まるで廃墟のように美しかった。


自分でもわかっている。

唐沢寿明にも似た、芝居じみた男だと。

だが――背乗り中国人の息子として生まれた以上、

名前から人生のすべてがフェイクで塗り固められた俺には、それが宿命みたいなものだ。


ベッドでは、女が眠っている。瑠衣だった。

同じ相手とは三度までしか寝ない主義だったが、この女だけは違った。

儚げな表情に宿す上目遣いの瞳を思い出すたびに、時間が止まる。



バルコニーに出て、黒い水面を見下ろす。

足裏から微かな振動が伝わる。


「……今、一瞬、存在を感じた。」


赤い液体を唇に含み、瞳を閉じる。


「あの萬尾という男――確かに俺と同じ“キメラ・バイオニック”だ。

生体磁場の共振で、お互いの存在がわかる。

半径四百メートル以内に入れば、神経網の奥が疼く。」


眉をひそめ、独りごちる。


「だが……見たことがない。ベースは何だ?

インテル国際科学フェアで見たときは、確かに人間だった。

本来、プロトタイプは俺と蜂女ハニーだけのはず……あれは、計画外の異常変異体か。」


グラスを回す。

赤い液体が揺れ、瞳に映る。


「……同族嫌悪、かもな。」


そして低く笑った。


「だが――この世界で“魔術師”は、俺ひとりで十分だ。」

「見せてもらおうか、第三のアンノウンの性能とやらを。」



風が強まる。

低周波が骨を震わせた。

胸の奥が微かに反応する。


「……近い。」


瞳孔が細くなり、耳の奥で超音波が反響する。

遠く――都市の方向。

蠍の鼓動が、共鳴していた。


「俺たちが出会うとき、世界の磁場は臨界を迎える。」


アバルトのキーを回す。

エンジン音が闇を裂く。


「俺は闇を測る者。

あいつは光を刺す者。

世界は――その狭間で平衡を保っている。」


ヘッドライトが森を照らし、

その影が夜気に溶けていった。



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