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第ニ部  第11章 The Ark(方舟)


朝。

眩しい光で目が覚めた。

もう悪夢からは卒業し、今では好きな時に明晰夢を見ることができる。


冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、一気に飲み干す。

舌の奥に、まだ金属の味が残っていた。


洗濯物をバケツに放り込み、ハッチを開けて外へ出る。


ここは江東区・夢の島マリーナ。

――1stルパンのエンディングで描かれたこの場所は、

海と都会の分水嶺として、どこか“現実の外側”の静けさをまとっている。


福島から脱出した俺は、この方舟――タートル号で両親と合流し、

東京湾の縁で暮らしている。


タートル号は全長12.5m。

一般的なヨットが船尾に舵を持つのとは違い、

舵が中央寄りにあるセンターコクピット構造の幅広セイラーだ。

故に後部デッキが広く、屋外リビングのように使えていた。


センターハウスでシャワーを浴び、洗濯とトイレを済ませて戻ると、

後部デッキのテーブルには母――リンダが用意した朝食が並んでいた。


茹で卵、ドライフルーツ、ポンデケージョ、

岩塩を振ったトマト、キュウリ、レタスのサラダ。

どこか軍隊の朝食を思わせる合理的な均整。


コーヒーを飲みながら胡桃を指で挟む。

軽く力を入れると、コリッと音を立てて殻が割れた。

九つほどを連続で割り、母が卵の殻と一緒にラップで包む。


「後でコンビニに寄ったときにでも捨てて来てね。」


そして母がFMをつけると、

なぜか朝からフランク・シナトラの《夜のストレンジャー》が流れていた。


湿った朝の光の中に、あの低い声が溶けていく。

ロマンチックな旋律との乖離に、親父と母は顔を見合わせて笑った。



原発二十キロ圏に避難指示が出たのは、震災翌日の三月十二日。

あれから一か月半。俺は書類と転入先の調整に追われつつ、時間を持て余した。


その間――英語研修を兼ねて、フィリピン・スービック湾のタクティカルスクールに参加した。

元海兵隊基地の跡地を使った民間訓練施設。焼けたアスファルト、潮風、金属と油の匂い。


コースは中期(10日間)。

射撃精度、移動射撃、夜間戦術、車両射撃、チーム戦術。

講義も指示もすべて英語。

教官は元〈フォース・リコン〉で、まるでサム•ペキンパーの「戦争のはらわた」のスタイナー軍曹みたいな男だった。


さしずめ日本の政治家はシュトランスキー少佐みたいな責任回避に長け、

権力の椅子にしがみつくだけの無能が多いとは親父も言っていたが。笑。


「戦術とは、構造の理解だ。」


弾道の角度、呼吸のリズム、リロードのタイミング。

すべてが“設計図”になって頭に入った。

おかげで――ジャッキー・チェンの映画みたいに、数秒でベレッタを分解できるようになった。


機械も筋肉も、構造さえわかれば迷わない。

本来なら岩野と行くつもりだったが、あいつは消えた。

結果的に、一人で充分だった。

――と思っていた。



夜のスービック湾は、昼の灼熱が嘘のように静かだった。

波が古い桟橋を叩き、遠くで犬が吠える。


訓練棟の裏。

自販機で買った瓶コーラを片手に、俺はコンクリの段差に腰を下ろした。


瓶の口に指をかけて開栓すると、パキッと乾いた音が夜に散る。


「……アモン?」


背後から、日本語。


「イワノフ。」


振り返ると、迷彩パンツにサンダルという雑な格好で、イワノフが立っていた。


「よぉ。まさか、ここでお前に会うとはな。」


二人で並んで段差に腰を下ろす。

湿った風と、遠くの海の匂い。

訓練場のナトリウム灯が、アスファルトを橙色に照らしていた。


イワノフは俺の瓶コーラを見て、少し笑った。


「相変わらずだな、アモン。

 訓練終わりにコーラとか、ガキかよ。」


「カフェインより、中枢の振動が安定するんですよ。」


「……意味わかんねえよ、理系は。」


そう言いながら、イワノフは

夜の気温でぬるくなりかけた缶コーラを取り出して開けた。


炭酸の音が、二つ重なる。


少しの沈黙のあとで、イワノフが言った。


「……金本兄弟の話、聞いてるか?」


「いや。」


「アイツら、土台人だよ。

 忍者で言う“草”みたいなもんだ。

 東北一帯の“北”の資金と、陸側のライン管理を任されてた。

 兄貴の雄一なんざ、ル・シッフルみたいな会計係だった。」


イワノフは缶の口を指で拭い、低く笑った。


「ま、あいつらもいつの間にか“行方不明”って話だ。

 世の中ってのは案外、都合よくできてる。」


アモンは瓶コーラを軽く揺らし、

炭酸の気泡越しに黒い海を見た。


「ああ、世の中平和なもんさ……

 奴らは、自分のハードラックと──ダンスっちまったんだよ。」


イワノフは一瞬だけ意味を理解したように目を細め、

何も言わずに笑った。



四月二十七日。

都立高専への震災特例転入の初日だ。


ヨットを出て、夢の島公園を横切る。

桜は散り、若葉が陽に透けている。

潮風と草の匂いが混ざって、春の終わりを告げていた。


新木場駅へ向かう遊歩道。

すれ違うのはランナーや犬の散歩客だけじゃない。

朝の光の中、男同士のカップルが手を取り合って歩いていく。

戦友みたいな静けさをまとって。


ここは週末の夜、ゲイたちの“ハント場”になる。

港町の湿気と人肌の温度が混ざる、海と都会の境界。

どちらにも完全には属さない、“狭間の楽園”。

最初は驚いたが、今は風景の一部だ。


フェンスの向こうでは、ゴミ処理場の白煙が上がっている。

風向き次第で臭気がマリーナまで届く。

それを除けば環境はいい。海と緑に囲まれて、都心も近い。

――この矛盾した立地は、うちの家族に似合っていた。


マリーナを振り返る。

白い船体のタートル号が、朝日を反射して光っていた。



新木場駅のホーム。

遠くから京葉線のモーター音が近づく。


電光掲示板の時刻を目でなぞり、

ポケットの中で指を折り曲げる。

反応速度、視野角、呼吸。数値は安定している。


ふっと笑う。

金本兄弟から頂いた“迷惑料”は五千万円超。

そしてオールプラチナロレックス。


俺の人生は、静かに――

次の構造へと組み替わり始めていた。


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