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花房主水でございます。その4


――渋谷区神山町・低層マンション


主水は、ナチュラルな白い漆喰壁に囲まれた

ダイニングへ戻った。


マンションに“ダイニングルーム”という言葉は、少し大仰かもしれない。

だがここは神山町の低層物件。

エリート外国人向けの仕様だ。


住人のほとんどは外資系企業の役員か、大使館関係者。

一住戸あたり平均五十坪以上。

廊下は広く、モジュールはインチとフィート。

天井高は二七〇〇から二八〇〇。

トイレは三つ。


だがオーナーズ住戸は別格だ。


七十坪。

四十畳のリビングに薪ストーブ。

二二〇〇×一一〇〇のウォールナットのテーブル。

脚は太く、無骨。


椅子は米海軍潜水艦で使われるネイビーチェアが6脚。

軽い。だが壊れない。


ここで、父は図面を広げていた。


測量図。

赤鉛筆の線。

盤面を測る背中。


主水は一瞬だけ、その光景を思い出す。



黒いUSB


カチリ。


《NEW GRAND SLAM》


背乗り。

浸透。

資本。

半導体。

軍事転用。


そして――真白凱。


四年前、武漢で死亡。

生物系研究。


断定はない。

証拠も薄い。


だが匂いがある。


国家でもない。

資本でもない。


層だ。


複数の層が、静かに重なっている。


主水は椅子に腰掛けるが、体重は預けない。


「……大きすぎる。」


ウイルス兵器。


その単語は脳裏に浮かぶ。

だが、口には出さない。


兵器かどうかは、本質ではない。


空気は境界を持たない。


それだけだ。



去り際の岩野の言葉が反芻された。


「あなたは個人ではない。」


「ほう。」


「長く続く国体が、自らを守るときに選ぶ“形”です。」


主水は笑う。


「俺はただのサラリーマンだ。世界を守る気はない。」


岩野は首を振った。


「守るつもりがない者が、一番守る。」


室内は静かだ。


秒針だけが正確に刻む。


駒か。

観測点か。

構造か。


どれでもいい。


ただ一つ確かなのは、


見えないパンチは防げない。

だが、打たれる位置には立たない。


一、いつ如何なる場合にも、生き残る事を是とせよ。

歌舞伎者の家に伝わる、唯一の家訓だ。



主水は画面を閉じた。



地下ガレージ


ナッパ革のアルマーニのライダースを羽織る。


地下へ降りると、

BMWのサイドカーの隣に、ゲイシャの豆の様な薄いコーヒーメタリックのクーペが沈黙している。



フェラーリ412。


父の遺したもの。


燃費は悪い。

実用性もない。

120Lのタンクは、給油にやけに時間がかかり、少しイラつく。


だが一人で走るには、これ以上ない。


水平ラインを強調した、静かなボディ。

右ハンドル。

キャメルレザー。

当然、マニュアル。


キーを差し込み、

一拍置いてからひねる。


セルが一瞬重く回り、

次の瞬間、十二気筒が揃う。


本来なら5000ccのV12が宝石のように吠える。

だがこの車には後付けの消音システムが組まれている。


主水は目立つことを好まない。


――以前、車に詳しくない射撃場の若い女性スタッフから

「スカイラインGTRですよね?」

と言われたときは、さすがに吹いたが。


エンジンは低く、抑えられた音で目を覚ます。


「……食えない奴が多すぎる。」


静かに発進。


旧山手通りへ滑り出す。


信号は青。


歩道には犬を連れた夫婦。

帰宅途中の若い外交官。

遠くにNHKの灯り。


この辺りの世界は静かだ。


主水はアクセルを深く踏まない。


V12は抑制されたまま、滑るように回る。


冬の匂い。


何も起きない。


だが、それでいい。


本当に怖いのは、

何も起きない夜だ。


その時、バックミラーの光が、

わずかに水平を崩した。


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