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花房主水でございます。その3

夜。


帰宅すると、宅配ボックスからクール便を取り出す。


岡山産の黒毛和牛。


母方の従兄がJAに勤めている。

月に二度、生産調整で出た肉を送ってくれる。


北米での生活が長い俺は肉食だ。

だが、やはり国産牛に勝るものはない。


塩と胡椒だけ。


オリーブオイルを薄く敷いたフライパンに落とした瞬間、脂が鳴く。


余計なことはしない。

焼き過ぎない。


香ばしい肉を皿に移す。


香草を、申し訳程度に振る。


アゼルバイジャン産のビオワインを開ける。


酸が立つ。


悪くない。


視線を上げる。


目の前で岩野――いや、イワノフが、実に美味そうに肉を頬張っている。


ダンガリーシャツに、

Leeのオフホワイトのサテンのジージャン。


ラフだが、不思議と似合う。


チャック・ノリスの刑事のようだ。


この赤ワインは、奴が持ち込んだ。


「国境の味だ」と、笑っていた。


主水はグラスを傾ける。


「カラオケは趣味か?」


「盗聴対策ですよ。あれなら解析も面倒でしょう?」


相変わらずだ。



ルーカスフィルム時代、奴は俺の部下だった。


帰国後、日本に腰を据えた。


いまは公安系天下り受け皿の総合セキュリティ会社で、

サイバー部門の責任者。


大した出世だ。


岩野の帰国からほどなくして、俺はソニー・ピクチャーズに移った。


映像から国家へ。


ジャンルは違う。


だが、“編集”という点では似ている。


不要なものを切る。

残すべきものを残す。



主水はナイフを置く。


イワノフが言う。


「で、皇宮警察。どうです?」


主水は答えない。


肉の断面を見ている。


まだ赤い。


「悪くない。」


それが肉なのか、

皇宮警察なのか、

目の前の男なのか。


分からない。


イワノフは一瞬だけ笑みを消す。


「忠告です。」


主水の目が、わずかに動く。


「御所は安全ですよ。物理的には。」


一拍。


「でも、あそこは“中”が多すぎる。」


主水は黙っている。


イワノフは続ける。


「警察庁。宮内庁。内閣府。防衛。外務。公安。

それぞれが“善意”で関わっている。」


ワインを回す。


「善意ほど、厄介なものはない。」


主水は静かに問う。


「具体的には?」


イワノフは首を振る。


「まだ言えません。ただ――」


視線を上げる。


「あなたが狙われるなら、外からじゃない。」


沈黙。


「中です。」


主水は微笑む。


「敵を欺くなら、まず味方から、だろ?」


イワノフは小さく息を吐いた。


「だから、忠告してるんです。」



それから三十分後。

主水の淹れたゲイシャを飲み干した岩野をエントランスまで見送る。


夜気が冷たい。


岩野はマンションを振り返った。


「どこかで見た風景だと思ったんですよ。」


主水は無言。


「NHKが見える。……ここって、東映スパイダーマンの主人公の家があった場所ですよね。」


主水はわずかに笑った。


「よく分かったな。」


「映像屋ですから。」


岩野は肩をすくめる。


スパイダーマンの撮影が終わり、

バブルの頃、祖父が自宅をマンションに建て替えた。


土地は手放さなかった。


形を変えただけだ。


岩野は視線を外さない。



「相変わらず、ポジショニングがさりげなく上手い。


狙って出来る事じゃない。


そしてスパイダーマンも」


一瞬の沈黙。


岩野は軽く手を上げ、夜に溶ける。


主水はしばらくその背中を見ていた。


――岩野は、何をどこまで掴んでいるのか。


相変わらず、面白い男だ。


だが。


面白い男ほど、信用はしない。


主水は振り返り、エレベーターへ向かった。


屋上へ上がるか。


それとも、寝るか。


秒針は、正確に刻んでいる。


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