如月一族 BEFORE4
四月。
東大の研究室に籍を置いた。
海保からの派遣という形になるため、
週に一度は立川の研究所へ報告に戻り、
月に二度は霞が関の会議に顔を出す。
二足の草鞋、というより三足かもしれない。
立川の地下射場での射撃訓練は、
良い気分転換になる。
銃声は、余計な思考を消してくれる。
東大に来てまず感じたのは、
想像以上に中国人留学生が多いことだった。
それ自体は珍しい話ではない。
だが、彼らに与えられている奨学金や医療保障の厚さを知ったとき、
胸の奥に、うまく説明できない違和感が残った。
海保の現場で、
違法操業の中国船を視界に入れながらも、
“捕まえない”判断を下す日常を経験してきた身からすれば、
今さら驚くことではないのかもしれない。
制度には理由がある。
理由には事情がある。
事情には、政治が絡む。
その構造について、さすがに蜜ネエと議論になることはない。
分かっているから、お互い口にしない
――如月蜜。無所属の新人議員。
風はまだ弱い。
だが、風向きは変わることがある。
それは僕にとっても、同じことだった。
だがそれ以上に
不思議な事もある。
ここには変わった気配を持つ者がいるのだ。
アギト先輩じゃないがまるで人ではないかのようなあの気配を感じる。
それも二人、
具体的に、誰だと知っている訳じゃないのだが、
明らかに、異質な気配を感じる事がある。
そう言えば、ぞくっとするあの気配は、時々、蜜ネエからも感じる事がある。
そして、嬉しい誤算、六波羅蜜子との再会。
海保大の一年先輩。
京女としての立ち姿が余りにも美しく、放っておかれない女だった。
在学中、彼女を巡って争いがあったと聞く。
だが本人は、どこ吹く風だった。
なぜか、予定調和の如く僕の隣にいた。
そのおかげで、
狭い学内で視線を集めることになった。
悪い気はしなかった。
その彼女と再会したのは、霞が関だった。
遠目に、やけに目を引く女がいると思った。
髪型が変わっていて最初は分からなかった。
それにあの頃より、少し大人びていた。
だが40m以内に入った瞬間、歩行リズムと生体電位で分かる。
蜜子だ。
そして会議で顔を合わせた蜜子は、あざとい微笑みを浮かべる。
久しぶりの蜜子とのデートは千駄ヶ谷の国立能楽堂で
観世流の舞を見た。
個人的には、その前の狂言の方が好みだったが、
その後で蜜子の知り合いだと言う四谷のホテルのテーラーで
トーマス•クラウンみたいなブルーグレーの三揃えをあつらえる。
右脇に拳銃ホルスターを吊っても形が崩れないよう、
静かに注文をつけた。
母体は米海軍のユニフォームを手掛けているらしく
特殊な注文にも慣れている店らしい。
ちょうど射撃協会から、2着分の仕立て券を貰っていたので
一着分は蜜子の分の麻混のスーツに充てる。
蜜子は大はしゃぎだ。
新宿御苑に面した大京町のマンションを見た蜜子は、その大きな
目を丸くした。
俺がコーヒーを淹れている間、
リビングでは何か女の匂いのするものがないか、さりげなく目を配っているが、
やがて安心したのか、窓の外へ視線を流す。
その白い脚を、ゆっくり組み替えた。
俺はブラジルコーヒーを淹れた。
雑味を嫌うのは俺も、蜜子も同じでブレンドは飲まない。
お茶請けはキングドーナツだ。
「相変わらずね、お子様みたいな味覚は。」と笑う。
「今では、猫もこれが好物さ。」
ベンガル猫の「ピカソ」の背中を撫でる。
蜜子は答えず、
ただ喉を鳴らした。
如月一族BEFORE 完




