第9章 最も危険なゲーム
俺は海辺を走る電車の窓から、午後の光を反射する海を眺めていた。
頭に浮かんでいたのは、次の駅で待ち合わせている瑠衣の白い顔と、ツンと上を向いた胸の輪郭。
若者らしい昂ぶりに、下半身は否応なく熱を帯びていく。
この東北沿岸の町に移って、もう四年。
公務員だった親父の転勤で転校を繰り返してきた俺には、地元意識なんてものはなかった。
先週の同窓会の夜。
三年ぶりに再会した瑠衣と俺は、予定調和のように関係を持った。
上目遣いの視線、唇の熱、呼吸の重なり。
白い肌が紅潮し、震える声を漏らす。
だが――ここは、ようやく“安息地”と呼べる場所になりつつある。
──
やがて電車は無人駅に滑り込む。
俺は読んでいた――ギャビン・ライアルの『最も危険なゲーム』の文庫本を閉じた。
静かなホームに降りると、瑠衣の姿はなかった。
代わりに、革ジャン姿の三人組が立っていた。
その中の一人――坊主頭の巨漢、金本光一。通称ジャイアン。
俺の極めて正確な目測では、身長188、体重100。
ジーパン越しにもその足腰の強さが窺える。
柔道推薦で隣県の高校に進み、帰省のたびに兄と二人で暴走族を締めていた。
その存在自体が、ある意味“伝説”とも言えた。
光一の背後、短髪の男が一歩前に出る。
兄の雄一。貧困ビジネスで成り上がったと噂の男。
目の奥には、薬で焦げたような光が宿っていた。
さらにもう一人。
頬骨が浮いた痩躯、金属フレームのサングラス。
どぶ川のような気配を纏う、年嵩の男。
まあ、頼まれても近寄りたく無い見本みたいなタイプだ。
その三人の身体を包む“光の揺らぎ”が、俺には見えていた。
武漢以来――精神の波動、すなわちオーラが視覚化されるようになったのだ。
三人のそれは黒い。粘り、絡み、憎悪と欲望が溶け合っていた。
──
「よう、萬尾。元気だったか? 卒業式以来か。」
光一が笑う。だがその声はどこか芝居がかっていた。
「おかげさんで。……その愛想の良さはどうした?」
光一がニヤついた。
「随分という様になったみたいだが、甘いな。
女をダシにすりゃ、簡単に釣れる。
瑠衣は俺の女だ。最近飽きてきたがな。」
俺は小さく笑った。
「そうか。……ダサい男が趣味とは、瑠衣も見る目がねぇな。」
一瞬で、光一の笑みが消えた。
空気が重くなる。
雄一が前に出る。
「お前が萬尾か。岩野からも聞いてるよ。”リアル天羽時貞”ってのも、まんざら嘘じゃない。
イキがるのもいいが、最近、少しオイタが過ぎるらしいな。」
「なあに、可愛いもんさ。アンタらに比べればな。」
肩を竦め、軽く笑う。
雄一の目が細くなった。
「……気に入った。話は単純だ。岩野から預かってるモンを返してもらおうか。」
「?」
「あいつ、湯田と組んで裏金作ってた。で、金だけ持って消えた。」
岩野歩――イワノフ。
高専の先輩で、サバゲー仲間。
元・自衛隊高校出身。女にも金にも困らないタイプだった。
ベンツGクラスを転がし、乱痴気騒ぎを繰り返していた男。
その車を、俺が譲り受けた。
湯田は岩野のバイト先のパチスロ店の店長で、俺もバイトに勧誘された事がある。
「確か、和貴と言ったはずだ。
裏切りモノの“ユダ”が、“和を以て貴しと成す”とは――姓名判断も捨てたもんじゃない。
そう思った記憶がある。」
──裏で、すべてが繋がっていたのか。
自然と三人は俺を囲むように並び、海沿いの遊歩道へ歩き出した。
ドブ男、こういう誘導に慣れてやがる。素人じゃない。
一見すれば、囲まれた俺の方が“獲物”に見えるかもしれない。
だが、もしヒグマの視点で見るなら――
蜂蜜をたっぷり抱えた餌が三匹、のこのこと近づいてきたようなものだ。
そして俺もまた、ヒグマと同じ側の生き物だった。
──
海沿いの広場。
三人の足音が砂利を踏む。
雄一が言う。
「もう一度言う。──返してもらおうか。くすねたモンをな。」
「残念だが――」
俺は息を軽く吐き、ほんの少しだけ笑った。
「北斗の拳で“ユダ”は、俺の推しキャラなんでね。
その名前をテメェらの通名に使われると、正直ムカつく。」
光一が唇を歪める。
「テメェ、舐めてんのか!」
怒る弟を、兄がまあまあと手で制す。
まるで昭和ヤクザの芝居だ。
オーラを見るに、バレバレだった。
その瞬間――地面が吠えた。
轟音。
空気が圧縮され、波が湾を逆流する。
電線が鞭のようにしなり、電柱が倒れる。
鳥が空でバラバラに飛び散る。世界の骨格が、きしんだ。
地震だ。
だが、俺は動じなかった。
脚の裏から、地面の波形が読める。
重力の軌跡が、まるで生き物の呼吸のように伝わってくる。
(来たか……)
心拍は一定。
視界のすべてが、スローモーションになった。
雄一の口が何かを叫ぶ。
光一が膝をつく。
その横で、海が立ち上がる。
俺は空を見上げた。
雲の裂け目。光の筋。
その中心に――世界の鼓動が見えた。
地殻が共鳴している。
人の恐怖も、街の音も、すべてがひとつの波に飲み込まれていく。
俺は知っていた。この瞬間が来ることを。
紫の閃光が、網膜を焼いた。
世界が、再び 構造変化 を始めた。
これからが――最も危険なゲームだ。
──




