1-4 大切な時間と変化
駿が倉庫裏に着いた時、そこにはまだ誰もいなかった。
本来なら、バドミントン部の方が先に終わるはずだ。
自然と、胸の奥がざわつく。
(……練習、長引いてるだけだよな)
そう言い聞かせながらも、別の考えが頭をもたげる。
昨日の出来事が、全部勘違いだったら。
本当は、ここに来ないつもりだったら。
不安が形を持ちかけた、その瞬間。
「ごめん! 練習、長引いちゃって!」
息を切らした声と一緒に、早川さんが現れた。
それだけで、全身の力が抜ける。
自分でも分かるほど、ほっとした顔をしていたのだろう。
「……安心した表情してるけど、どうしたの?」
「い、いや。別に」
誤魔化したつもりだったが、早川さんはじっとこちらを見つめてくる。
「もしかして……私が来ないと思ってた?」
言葉が、喉で止まった。
「……そんなこと、するわけないでしょ」
早川さんは眉をきゅっと寄せた。
怒っている――そう思ったけれど、違った。
その瞳には、はっきりとした寂しさが滲んでいる。
「私も初めてなんだから」
ぽつりと、早川さんが言う。
「今まで、何度も告白されてきた。でもね……」
一瞬、言葉を探すように視線を落としてから、続けた。
「“可愛いから”とか、“好きだから”とか……そういう理由ばっかりで。ちゃんと私を見てくれてるって、思えなかった」
胸が、締めつけられる。
「でも、駿は違う気がした」
「ちゃんと、私を見てくれる人だって思った」
「だから、付き合おうって思ったの」
早川さんの瞳が揺れ、光の粒が浮かぶ。
「……なのに、来ないかもって思われるのは」
「ムカつくし……悲しい」
何か言わなきゃいけないのに、言葉が出てこない。
遠くで聞こえる生徒たちの声だけが、やけに耳についた。
「……ごめん」
早川さんが、小さく息を吐く。
「私も、言いすぎた。ねえ……ちゃんと、伝わった?」
その問いに、迷いはなかった。
「伝わってる」
はっきりと、そう答える。
「俺の方こそ、ごめん。早川さんの気持ちに気づけなかった」
「でも……知れて、すごく嬉しい」
早川さんは一瞬、目を見開いて。
次の瞬間、頬を赤く染めた。
「……ねえ、駿」
「私、ちゃんと“好きな人”と付き合えてるよね?」
「もちろん」
「早川さんの気持ち、ちゃんと受け取ってる」
その言葉に、早川さんはほっとしたように笑った。
「じゃあさ……呼び方、変えて」
「早川さんじゃなくて、“果奈”って呼んで」
「……分かった。よろしく、果奈」
「そこは普通に“よろしく”でいいのに」
そう言いながら、嬉しそうに微笑む。
「でも、こちらこそ。よろしくね」
一度、関係が揺れたからこそ。
その距離が、確かに縮んだ気がした。
「ちなみに、みんなの前では?」
「そこは今まで通りでいいよ。でも、2人の時は……ちゃんと呼んで」
「分かった」
「いつかバレたら、その時はみんなの前でもね」
「……視線が痛そうだ」
「その時はその時」
「人事だな〜」
笑い合いながら歩く帰り道は、驚くほど短かった。
「じゃあ、また明日」
「……待って」
足を止めて、果奈が振り返る。
「今週末、空いてる?」
「土曜の午後なら」
「じゃあ、遊ばない?」
もしやデートなのでは?と、胸が跳ねる。
「……楽しみにしてる」
「私も」
別れ際、つい口をついて出た。
「また明日、早川――」
「果奈、でしょ」
じっと睨まれる。
「土曜に間違えたら、帰るからね?」
「ごめん……果奈。また明日」
「また明日」
果奈の背中が遠ざかるのを見送って、空を見上げる。
あの時の俺は、思っていた。
――ちゃんと選んだ、と。
——同じ夕暮れ。
美生は、スーパーで夕飯の食材を買っていた。
部活が終わると、ここに寄ってから駿の家へ向かう。
それが、ずっと当たり前だった。
袋を手に店を出て、通りを見渡す。
「……あれ?」
いつもなら、もう見えているはずの姿がない。
練習が長引いているだけ。
そう思いながらも、胸の奥がわずかにざわつく。
「……駿君、遅いな」
その一言が、夕暮れに溶けていった。




