3-13 明るさに憧れて
三日後の放課後。
週に一度の大きな買い物を終え、美生は駿君と並んで帰路を歩いていた。
夕暮れの空はまだ淡く、手に提げた袋が小さく揺れる。
家に着き、玄関の扉を開けた瞬間――
「ただいまー」
駿君の声に重なるように、奥から低い声が返った。
「おかえり」
その声に、駿君が目を見開く。
「父さん!? 何で居るの?」
「何でって酷いなぁ。たまには早く帰る日もあっても良いだろ」
リビングには浅村健介の姿があった。
普段は夜遅くに帰宅する人だ。
この時間にいるのは、本当に珍しい。
「美生ちゃん、いつもありがとう。今日は俺が作るよ。ゆっくりしてなさい」
「いえ、そんな……」
そう言いながらも、胸の奥がふっと温かくなるのを感じていた。
「たまには父親らしいことさせてくれ」
健介さんはそう言って笑う。
その笑顔の奥に、ほんのわずかな疲れが見えた気がした。
結局、台所に立っていた。
「野菜、切ってくれるか?」
「はい」
包丁がまな板を打つ音が、規則正しく響く。
湯気が立ち上り、出汁の香りが広がる。
「……改めて、ありがとう」
不意に健介さんが言った。
「夕飯も、買い物も、結の勉強も。俺1人じゃ回らない」
少しだけ手を止める。
「仕方ないですよ」
笑ってから、続ける。
「ここに居る時間が、好きなんです。
駿君や結ちゃんと過ごしていると……なんだか、本当に家族と一緒に居るみたいで」
言葉にした瞬間、自分の胸の奥が少しだけ震えた。
健介さんは、黙った。
火の音だけが、台所に残る。
ふっと、深く息を吐く気配。
「……そうか」
それだけ言って、鍋をかき混ぜる。
それ以上は何も言わなかった。
食卓には、いつもより多い皿が並んだ。
四人で囲むテーブル。
笑い声が重なり合う。
いつもより、少しだけ賑やかだった。
温度が、あった。
駿君の家をあとにして、自分の家に帰ると、そこは暗闇だった。
玄関の灯りを点けると、白い光が床に広がる。
さっきまでの笑い声が、遠い。
夢だったみたいに。
靴を揃え、静かな廊下を歩く。
仏壇の前に座る。
小さな遺影の中で、母は優しく微笑んでいる。
お母さんの島内伽耶は六歳の時に事故によって亡くなってしまい、今はお父さんの島内拓也と二人で暮らしていた。
お父さんも健介さんと同様に仕事で帰ってくる時間が遅い。
線香に火をつけると、淡い煙がゆらりと揺れた。
「……ただいま、お母さん」
声が、部屋に溶ける。
「今日はね、健介さんも合わせて、四人でご飯を食べたの」
少しだけ笑う。
「なんか、いいなって思った」
煙が、静かに天井へ昇る。
「私、ああいう時間が好き」
しばらく、何も言わない。
時計の針の音だけが、規則正しく響いている。
「……おやすみなさい」
水を替え、手を合わせる。
立ち上がった時、家の中はやはり静かだった。
でも胸の奥に残っているのは、さっきの温度。
それを抱いたまま、美生は部屋の灯りを消した。
闇の中で、微かな出汁の香りだけが、まだ記憶に残っていた。




