第66話 グンマーのカザマ
宿屋の主人であるジョナサンは、揉め事の種になりそうだと感じたのか、ふたりのエルフから目を離さないように食堂にいた。
「ごちそうさまでした、今夜も美味しかったです」
食事を終えたトーリがジョナサンに声をかけると「おう、そいつはよかったぜ」と嬉しそうな顔をした。イザベルも残りの肉を食べてスープを飲み、すべて平らげた。
ウェイトレスをしている恰幅のいいご婦人のミゼッタが、ふたりの食器を下げた。
「では、おまえの部族の……」
トーリに身体を向けてさっそく話し始めるイザベルを手のひらで止めると、トーリは「すみません、エールをふたつ、お願いします」とジョナサンに注文した。
「あのですね、食べ終わったのに食堂に長居をするのはマナーに反しますから、少し付き合ってくださいね」
「……おお、そうか」
エルフの美女は頷いてから「わたしを酔い潰すつもりではないのだな」と確認してくる。
それを聞いたリスは素早く木の実の殻をむき、殻だけイザベルに投げつけて「す!」と鋭く鳴いた。どうやら『うちの子になにを言う』と腹を立てているようだ。
「そんなつもりはまったくないんですけど……イザベルさんはもしかして、めちゃくちゃお酒に弱かったりしますか? それなら、無理に飲まなくていいですよ」
「いや、飲める」
イザベルはちょうど目の前に置かれたエールのジョッキを手にして「ありがたくいただこう」とトーリをじっと見た。
「そうか、どちらかというとおまえが酔い潰される方だな」
トーリは顔をひきつらせた。
「僕を酔い潰す気なんですか!?」
「しない」
トーリは顔をしかめてから、いつものように魔法でエールを冷やした。
「やっぱり冷え冷えのエールが美味しいですよ」
「なにをしている?」
「魔法でエールを冷たくしているんです。もっと美味しくなりますよ」
「なんと」
彼女は少し固まって考えてから、そうっとジョッキをテーブルに戻し、トーリに向けて押した。自分の分も冷やして欲しいらしい。
「礼は払う」
「じゃ、銅貨三枚ね」
銅貨と引き換えに冷やしたジョッキを渡すと、イザベルはエールをひと口飲んで「これは美味しい」と呟いた。
「水魔法の応用でできますよ」
「……水は、あまり得意ではないのだ」
銀髪の美女は肩を落とした。
そして「いや、エールの話をしている場合ではないのだ」と顔をあげた。
「改めて。わたしは栄える月のイザベル。栄える月のことは知っているか?」
「いえ、まったく」
「そうか、割と有名な部族なのだが……ユーセニア大陸のアラゴルの森に住む大きな部族だ。わたしはその戦士である。で、おまえは?」
「僕は……カザマ、かな?」
「カザマ? どういう意味を持つ部族なのか?」
「風の間のトーリです。日本列島にある、群馬……という、場所にある部族でしたが……」
群馬。懐かしい故郷。
マスコットキャラは謎のウマ。
トーリは『あれ? あのキャラの顔がよく思い出せないです……もう二度と見られないのに……』と、急に感じた寂しさにうつむいた。
「そうか。グンマーの風の間という部族か。聞いたことがないのだが、ニホンレットーは大陸なのか?」
「いいえ、日本は島国で……」
(ああ、群馬。もう戻れない僕の故郷。会えない僕の家族……)
「この世界には、ない島です……カザマの部族は、この世界には誰もいなくて、僕ひとり……父さんも母さんもおばあちゃんもおじいちゃんも、もう二度と会えない世界にいるんですよ……」
鼻の奥がツンと痛くなる。
「もう、会えない……」
涙ぐんでしまったトーリは目をこすって顔をあげ、驚愕した。
イザベルが、その美しい緑の瞳から盛大に涙を流していたのだ。しかも、無表情のままで。
「天涯孤独の子ども……おまえの部族は……滅びたのか……島が海に沈んで……」
「ちっ、違います、沈んでませんし」
よく見ると、スッと通った鼻梁の先にある穴からも盛大に水が出ている。美女台無しだ。
「滅びてなんかいません! 僕の家族は今も群馬で元気に暮らしているはずです。もう会えないけど、きっと、いつか会える時が来て、それまでは元気に暮らしているはず……ぐえ」
イザベルがトーリの頭を抱え込んだので、グラマー美女の双丘で顔を潰されたトーリは変な声をあげた。
「す! すーっ! すーっ!」
ベルンがイザベルの腕を連打するが、ちっちゃくて非力なリスの攻撃は気づいてもらえない。
「すまないことを聞いてしまった。うん、そうだな、エルフは天にもその国を作って、いつも我々を見守っているという。いつか会えるはずだ。気をしっかりと持つのだぞ、たとえ部族が違っても我々は兄弟姉妹なのだ。トーリはひとりではない、寂しくなったらいつでも……ん?」
「イザベル! おまえ、子どもを絞め殺す気かよ!」
鬼の形相のジョナサンが力尽くでトーリを解放してくれたので、彼は天にあるエルフの国に昇らなくて済んだのであった。
「アクアヒールぅ……」
意識を取り戻したトーリは自分に回復魔法をかけ、さらにイザベルの涙と鼻水で大変なことになっていると気づいて浄化もかける。
マジカバンらしいポシェットから出した布でぐちゃぐちゃな顔を拭き、鼻をかんだイザベルは、自分の目の前でぷんすか激おこ状態のリスに「すまん、違うんだ、そんなつもりじゃなかった、すまん」と謝っている。
(僕は、この世界に来てから一番の命の危険にさらされたんですね……凶悪すぎる攻撃でした……)
トーリは遠い目をして、「これを飲め、気つけ薬だ」とジョナサンが持ってきてくれた二杯目のエールを冷やして飲んだ。
と、そこへ冒険者パーティがやって来た。どうやら酒場でたっぷり飲んできたらしい一団は、ジョナサンに「おう、久しぶり! また部屋を頼むぜ。先にイザベルが……」と言ったところで言葉を切った。
「イザベル、なにをやってるんだ?」
「わたしは保護者に陳謝しているところだ」
「いや、リスだろう、それ」
反省をあらわすイザベルを「す! す!」と叱りつけるのは、確かにリスだ。
「よお、デリック。なあに、『烈風の斬撃』っつーパーティの力自慢のアタッカーが、ちょっとばかり子どもを絞め殺しそうになっただけだ」
「なんだと!」
締め殺されそうになったトーリは「大丈夫、生きてまーす」とそっと手をあげた。
「……申し訳ない!」
赤茶の短い髪をした『烈風の斬撃』のリーダーであるデリックは、すっかり酔いが醒めた頭を深く下げて、イザベルと並んでリスに叱られるのであった。




