第23話 行ってきます
「いただきます」
トーリはスープの良い香りにおなかを鳴らしながら、スプーンを手に取った。
「す」
彼の肩に乗ったリスは器用に木の実を割ると、殻だけテーブルに落とそうとした。トーリが手のひらを出してさりげなく受け止める。たいした反射神経である。いや、リスと心が通じ合っているからこその技術かもしれない。
朝食は、昨晩のスープの残りに大きなソーセージが入ったものと、焼きたてのパンだった。
ソーセージはかぶりつくと皮がパリッと弾けて、たっぷりの肉汁が溢れ出し肉の旨みが口いっぱいに広がる。
野菜がとろけたスープにパンを浸しても美味しいし、ジョナサンの妻エリーヌが煮た真っ赤なベリーの蜂蜜煮と一緒に食べてもいい。蜂蜜煮が欲しい客は、ロナに銅貨を一枚払うと、パンに塗ってもらえるのだ。
トーリが夢中になって食べていると、ロナが蜂蜜煮の入れ物を持って厨房から出てきた。
「蜂蜜煮はいかがですかー、美味しいですよー」
「ロナ、塗ってくれ」
「わたしにも塗ってね。ロナちゃんの蜂蜜煮パンは、いつも美味しくて楽しみなんだよ」
店内を売り歩くロナの姿が可愛くて、客たちは追加で蜂蜜煮を買ってしまい、さらにパンまで追加するのである。焼きたてのパンは二個までお代わり無料なので、ほとんどの客が蜂蜜煮を挟んで紙に包み、お昼ごはんやおやつのパンにするのだった。こういったさりげないサービスで、この宿は大人気らしい。
朝食が終わると、冒険者らしい泊まり客は準備を終えて宿を出て行く。冒険者ギルドに貼り出される依頼は早く行った方がたくさんあるので、その中からベストなものを選ぶことができるのだ。
トーリもおやつにしようと、蜂蜜煮を挟んだパンをマジカバンにしまって部屋に戻る。ベッドで少しゴロゴロしてから出かけることにした。混雑したところに行っても、ギルドマスターを困らせるだけだ。
このように彼は、日本にいた時からなるべく人の邪魔にならないように、人を困らせないようにと気遣う男だったのだが、彼の誠実な性格は怖い見た目にすべてかき消されていた。
「外見で他人から否定され続けて、正直何もかもを恨んだこともありました。けれど、顔に怨念の塊が貼り付いていただなんて、そりゃあ生理的に恐れるし怖くなりますよ。コミニュケーションの第一歩すら踏み出せなくて当然でした。僕だって、鏡を見るたびにぎょっとしていたくらいですもの。それでも、そんな諸々を吹っ飛ばして僕のことを可愛がってくれた両親や祖父母には、いくら感謝してもし足りません」
「す?」
トーリの過去を知らないリスは、不思議そうに首を傾げた。
「僕が事故で死んでしまって、残された家族のことを考えると心配ですが、幸い保険金だけはたくさん入ったことでしょう。ぶるぶる震えながら契約をしてくれた、肝の据わった保険のおばちゃんに感謝です。それを使って、僕がいなくなった穴を埋めて、できるだけ悲しまないで老後を過ごして欲しいものです」
トーリは、辛いことが多い人生を過ごしてきたせいか、とても切り替えが早く、悩んでも仕方がないことは悩まない強さを持っていた。
「僕にできることは、感謝の念を忘れないようにしながら、この新しい人生を悔いなく生きることだけです。アメリアーナ様がおっしゃっていたように、これからは幸せに暮らせるようにがんばりましょう!」
気合いを入れて起き上がると、ベルンも彼の肩に登ってから「す!」と気合の入った鳴き声を発した。
ふたりの息はぴったりだ。
ロナの行ってらっしゃーいの声にほっこりして、思わず頭を撫でながら「行ってきます」と宿を出たトーリは、まずは冒険者ギルドに向かう。
「おはようございます」
ドアが開けっぱなしになったギルドの中に入り、朝の喧騒が終わって一息ついているギルドマスターのシーザーに声をかける。
「おう、トーリ。いいタイミングで来たな」
彼は、トーリが計算して来てくれたことに気づかない。
「これからのことを相談する前に、少しお手なみ拝見といこうか」
「いいですね。僕もこれから冒険者としてどれくらいやっていけそうか、試したかったんです」
「そうしたら、地下に訓練所がある。ギルドに入っている者なら誰でも使えるぞ。凄腕の魔法使いに大金を払って、防御魔法をかけてもらったから、多少は暴れても大丈夫だ。遠慮なくやってくれ」
地下には天井に照明魔法がかけられていて、適度な明るさが保たれていた。木製の武器が棚に並び、試し斬りのための魔物人形や、的が置いてある。今日は活動が休みなのか、この時間でも訓練している冒険者がちらほら見られた。
「トーリの武器は、弓だったな」
「はい、遠距離は弓で、近接は身体強化をしての格闘かナイフになります」
宿を出る時に、背中の弓と腰のナイフを装備してきた。人前でマジカバンから弓を出すと変に目立つと考えたからだ。
「ここからあの的を狙って射ってみろ」
シーザーに言われたので、トーリは自然に弓を構えて素早く光の矢を放った。それは音もなく的の中央に突き刺さる。
「そうか、一撃でど真ん中を射抜くときたか。ここはダンジョン都市だからまったくの素人は滅多に来ないが、それでも駆け出しにしてはいい腕だ。戦闘の経験がけっこうありそうだが、エルフの村だか町だかでは戦闘グループにいたんだろう?」
トーリは曖昧に頷いて笑った。ゲーム内では数えきれないくらいに戦ってきて、このゲームキャラの身体にもそれが記憶されているのだが、トーリ自身はまだ戦闘経験がない。
(ヒトツノウルフに襲われて逃走してから、他の魔物には全然遭遇しなかったんですよね)
実は、森の精霊がヒトツノウルフに食べられそうになったトーリの姿を見て震えあがり、すべての生き物から彼を隠してくれていたのだ。
(それにしても、ゲームパッドを操作するよりも、現実はずっと身体を動かしやすいので助かりましたね。ハイスペックなキャラを作っておいて、本当によかったです)




