第197話 マリンは大丈夫
トーリとマリンはひっくひっくと盛大にしゃくりあげてから、ようやく泣き止んだ。
三十九歳のおっさんが呼吸困難を起こしそうになるほどのもらい泣きをするのは、大人としてどうかと思われるのだが、今はエルフの子どもなので年相応だと言えないこともないし、トーリがおっさんだと知っている女子高生のマリンも、激しいギャン泣きをしたので問題ない。
不幸な生い立ちのせいでいつも感情を押し殺して生きてきたふたりは、心の中の辛い想いを涙で洗い流すことができたので、さっぱりした気持ちになった。
トーリは『暁の道』のメンバーお手製の、ライオンのようなリスの刺繍入り手拭いで顔を拭くと、『クリーン』を唱えて綺麗にした。
最初から魔法で綺麗にしてしまえば手拭いは不要なのだが、これを使うたびにマーキーたちとの思い出や友情を噛みしめることができるので愛用している。
ついでにマリンの顔と涙を拭いていたタオルにもクリーンをかける。そして、トーリの涙と鼻水がついてしまっていたリスにもかける。
鼻水で汚れてもトーリの面倒をみようとする、優しいリスである。
「……トーリさん、それは魔法ですか?」
真っ赤な瞳の周りの白目まで赤くして、ちょっと怖い感じになってしまったマリンは、「魔法も使えるようになったんですね。わたしはまだ、なにも覚えていないんです」と後悔した。
トーリはアクアヒールを唱えてマリンの白目を戻してあげてから言った。
「全然大丈夫ですよ。これからいろいろなことを身につけていけばいいんです。今まではきっと、マリンさんの充電期間だったんですよ。溜め込んだ甘えん坊パワー全開で、魔法もあっという間に覚えますから。魔女っ子マリンさんになれます」
「魔女っ子マリン、だって……」
日本で育った女の子にとって、魔女っ子というのは憧れなのだ。マリンは嬉しそうな顔になった。
「女神様の加護があるから、生活魔法は少し練習すれば使えるようになるし、クリーンなんてとても便利で毎日使うから、すぐに実用化できますよ」
「そうなんですね」
「山の民は、大地に含まれる魔力が制限なく使える種族ですしね。そうだ、クリーンを使って毎日『木漏れ日亭』の掃除をすればいいんじゃないですか? 始めは手のひらの大きさくらいしか使えないけど、積み重ねが大切ですからね」
「そうですね! わたしに魔法を教えてもらえますか?」
「もちろんですよ。僕に教えられることはみんな、マリンさんに伝えますからね」
「ありがとうございます」
ふたりは魔法の話で盛り上がり、その様子を見ていたジム、ナタリー、エリーの三人は、トーリが女の子を無理に冒険に連れ回す粗暴で迷惑な子どもではなく、技を伝授する師匠に近い存在だということに気がついた。
「その……トーリくん、変なことを言ってすまなかったな」
ジムは深く頭を下げて非礼を謝罪した。
「いいんですよ。マリンさんのことを心配してのことでしょう」
「それにしても、ろくに話を聞かないで文句を言ったりして、俺の態度は良くなかったと思う」
「そうよ、なんでも大声で怒鳴ればいいってもんじゃあないわ。お父さんはこれを機に、しっかり反省してちょうだいね」
「怒鳴るようなことばっかりしてるおまえが言うな」
「あた」
エリーは軽いげんこつをもらった。トーリは「お父さんも大変ですね」と笑った。
「だが……マリンは本当に大丈夫なのか? 身体も小さいし、魔法を使えるわけでもないんだろう?」
「僕と同じように調和の女神様の加護があるので、魔法はこれから覚えていってもおそらくかなりの使い手になれると思います。それから、身体的な問題も心配はいらないですよ。マリンさんは山の民なので、元々素質はあるんです。あっ、種族の特性で土魔法が得意なはずですね」
「お父さん、戦闘能力に関しては、たぶん、心配いらないです。実はわたし、ええと、身内というか目をかけてくれる方というか……わたしのことをよく知っている方にいただいた専用の武器があるんです」
「うん? マリンに武器を? つまり、誰がくれたんだ?」
「ええと、ええと」
「あ、エルフの弓のようなもので、子どもが独立する時に渡される武器なんですよ」
女神アメリアーナがくれたとは言えないので、トーリが言葉を添えてごまかした。『エルフの弓』は有名なので、ジムも「なるほど、山の民にもそういうものがあるのか」と納得した。
「将来的に、これを使って狩りができるんですけど。『山の民の大鎌』っていう素朴な武器です」
「大鎌? 山で下草を買ったりする鎌なのか? 変わった武器……いや、それは本当に武器なのかどうか……」
「草刈り鎌で戦うの? 危なくない? 剣とか弓とかならまだわかるけど、鎌じゃねー……」
ジムとエリーが心配してしまったので、マリンは「いえ、使いこなせばかなり強い武器になるんです。ちょっとここに出しますね」と慌てて言った。
「まだ未使用なので、清潔です!」
自信満々に言ってマジカバンから取り出したのがマリンの身体よりも大きい真っ赤な大鎌だったものだから、皆「うわあっ!」と驚いて後ろに数歩下がった。
「なんだ、そのバカでっかい鎌は!? それじゃあ草は刈れねえだろう!」
「はい、草は刈らないですよ。魔物狩り用ですから」
「へえ、それが『山の民の大鎌』なんだ……って、どこが素朴な武器なのよ!」
エリーがつっこんだ。
「とても素朴な鎌ですよ。色はちょっと派手だけど、可愛いでしょ?」
「可愛い……の? ちょっとマリンのセンスがわからないわ」
「お姉ちゃんが酷い」
マリンは「よしよし、赤くてツヤツヤで、可愛い子ね」と優しく大鎌の柄を撫でた。マリンの愛情を感じ取ったのか、大鎌はギラリと光った。




