第196話 説得
「お父さん、明日は冒険者登録をしてきたいんです」
マリンがそう言うと、ジムと、奥から出てきたナタリーと、クッキーを食べていたエリーは「冒険者だと? なんのために?」「あら、マリンったら突然どうしたのかしら」「まさか、本当に冒険者になるわけじゃないよね。身分証が欲しいなら、領民登録カードっていうのがあるから、そっちを使えばいいわよ」と怪訝な様子で尋ねた。
「わたし、冒険様になって魔物を狩ろうと考えています」
ピンク色のポニーテールにぱっちりした赤い目をしたマリンは、まだ幼い無邪気な少女だ。『魔物を狩る』などという言葉はまったく似合わない。
「それで、明日からトーリさんが訓練をしてくれるんです。毎日留守にしてしまうんですけど……お手伝いできなくてすみません」
トーリも説明した。
「マリンさんはまだ子どもだし、休息を充分に取りながら進めますし、早い時間で上がるようにしますから。明日はお昼までで、草原でごはんを食べてから戻ってくる予定で……」
「駄目だ! 冒険者だなんて、そんな危険なことをマリンにさせるわけにはいかない!」
ジムが大きな声でトーリの言葉を遮り「そんなことは、父親として許さん!」と言ったので、マリンは身体をびくっとさせた。それを見たトーリが「ジムさん、女の子に怒鳴るのは良くないですよ」と注意したが、それを聞いてジムは余計に頭に血が昇ってしまったようだ。
「おまえがマリンを焚きつけたのか? そんなことなら、この宿に泊まらせるわけにはいかんぞ。金は返すから、とっとと出て行ってくれ」
「お父さん! お客さんになんてこと言うのよ」
エリーが止めたが、逆に「こいつはマリンに悪い影響を与えるエルフだ。こんな奴を近づけちゃならん」と唸るように言われて「まあ、それもそうだけど」とトーリを見た。
「とにかく俺は反対だ」
「お父さん、話を聞いてください」
「俺はおまえのお父さんじゃねえ、部屋に荷物はないんだろう? ナタリー、受け取ってある宿代を返して追い出せ」
すると、マリンがジムの前に立ちはだかった。
「……お父さん! トーリさんのせいにしないでください! わたしがやりたいって言ってお願いしたんですよ!」
小柄なマリンがお腹の底からの大きな声を出したので、今度はジムとナタリーとエリーがびくっとした。
「わたしは強くなりたいんです。だから、冒険者になります」
「いや、でも、マリンはまだ小さいし……」
「山の民だから小柄ですけど、十六歳だって話しましたよね? もう立派な大人です」
「いや、十六歳はまだ子どもじゃないかなって……」
トーリが思わず呟いたが、マリンの視線が突き刺さったので「なんでもないです、すみません」と小さくなった。
「わたしは強くなって、魔物が山ほど襲ってきても返り討ちにできる冒険者になります。本気です。この世界は安心な暮らしのすぐ隣に危険が待ち構えているって気づいたんです。だから、どうしても強くなる必要があるんです」
マリンはゲームの中とはいえスタンピードの恐ろしさを知っていたので、防壁を破って魔物が押し寄せて来た時に他の冒険者を頼らずに『木漏れ日亭』の家族を守れるだけの力を欲していた。
「なんでマリンがやる必要があるの? この街には騎士も兵士もいるし、なによりたくさんの冒険者がいるんだから、マリンが出る必要なんてないのよ」
エリーが説得しようとしたが、マリンは引かない。
「万一の時に、逃げ惑うだけの自分にはなりたくないんです」
日本で毒母と暮らしていたマリンは、その日の気分で母親に暴力をふるわれることもあった。子どもの万鈴は無力で、親から逃げることができず、ひたすら耐えるしかなかった。
いつかお母さんが正気になり「今までごめんね」と謝って、昔々の優しいお母さんに戻ってくれるかもしれない。
そんなことを夢見て、時が過ぎるのを待っていた。
でも、今の自分は違う。
このマジカバンにはマリン専用の真っ赤な大鎌が入っている。女神様がマリンのために用意してくれた、特別な武器だ。
この鎌で、家族を守りたい。初めて手に入れた、自分のことを愛してくれる大切な家族を。
「万一の時なんて来たら、俺がマリンを負ぶって逃げてやるから、心配するな」
ジムが優しくマリンの頭を撫でた。
「大丈夫だ、怖くない。俺がマリンを守るからな」
「そうよ。そういうのはお父さんとかごっつい人たちに任せておけばいいのよ。どうしてそこで自分が戦おうってなるのか、お姉ちゃんにはわかんないわ」
「お母さんは、マリンが怪我をしたら悲しいわ。だから、冒険者になどなるのはやめて、おうちのお手伝いをしたり、遊んだり、お勉強をしたりして楽しく過ごしなさい。ね?」
だが、マリンは絶対に諦めない。
彼女にとってなにより大切なのは、自分を守ろうとしてくれるこの人たちなのだから。
「わたしは、お父さんとお母さんとお姉ちゃんのことが、すごく大切で、絶対になくしたくないし、奪われたくない宝物なんです! だから、わたしは守りたいの! 敵は全部わたしが追い払うから! みんなと一緒に、これからもずっとずっと『木漏れ日亭』にいたいの。もうひとりになるのはいやなの。お父さんとお母さんとお姉ちゃんになにかあったら、わたし、きっと、悲しくて死んじゃう……やっと手に入れた家族を……守りたいの……もう寂しいのはいやなのよう……」
真っ赤な瞳から涙をポロポロこぼすと、マリンは「うわああああああーっ」と大声で泣きじゃくった。
「マリン、あんたは……」
エリーは、まるで赤ん坊のようにわあわあ泣くマリンを見て驚き、その小さな身体を抱きしめた。
「ここに来る前に、いったいどんなつらい目に遭ってきたのよ……こんなに傷ついて……あんた、まだちっちゃい子どもなのに……」
ナタリーがタオルを持ってきてマリンの顔に当て、そのままエリーごと抱きしめる。その目にも涙が浮かんでいた。
「おい……」
ジムが「マリンになにがあったんだ?」とトーリを見て「うおう!」と叫んだ。
トーリは「うわああああああん、マリンさん、マリンさああああああん!」と、涙と鼻水でぐっちゃぐちゃな顔で号泣していた。
その肩や頭をリスが「す、す」と忙しなく駆け回って慰めようとし、ジムに向かって『ちょっと、うちの子を泣かせ過ぎるのはやめてもらいたいのですが』とジト目をしたので、ジムは悪くないのに思わず「おう、すまん」と謝ってしまった。




