第2話 転生したらエルフでした
気がつくと、桃李は草の上にぺたんと座り込んでいた。彼の目の前に広がる景色は素晴らしく、ひと目で心を奪われた。
(ここはいいところですねえ。どこの湖畔でしょう? なんて素晴らしい景色でしょうか。綺麗な水が豊富にあるし、森から薪になる枝も手に入りそうです。気持ちの良い風が吹いているし、ここはなかなかいい感じのキャンプサイトです、あれ? キャンプサイト……ですよね、うん)
森の中にある大きな湖には、木々が映り込み陽光を反射して眩く輝いている。空気を吸い込むと、なんとも言えない清々しい気分になり、彼は微笑んで、それから首を傾げる。
「ここは僕が初めて来るキャンプ場……ではない? え? いや、どうして僕は湖畔のキャンプ地にいるんでしょうか?」
ようやく記憶がはっきりしてきた彼は、ソロキャンプに来たのではないことを思い出した。
「確か僕はうちから離れた本屋まで新刊を買いに行って、それから電車で帰ってきたんですよ。ここはどこですか?」
左右を見回すと、彼の横には布と革でできた小さな肩掛けカバンが置いてあった。荷物はそれだけのようだ。
「違いますね、こんな軽装でキャンプに来るわけが、あたた……」
急に頭痛がして、両手で頭を押さえる。
「おや? 髪の毛の手触りがいつもと違いますね。すべすべですよ。僕の頭は油っぽいのに、どうして?」
両手で頭を掻き回すと、数本の毛が抜けて指に絡みついた。
「しまった、貴重な髪の毛が抜けて……いやでも僕の髪の毛、こんな色をしていないし、こんなに長くはないはずですよ。真っ黒くてタワシのように剛毛ですから」
指で髪をすくと、しなやかな毛束が見えた。
背中まである長い金色の髪を見て、彼は戸惑う。
だんだんと頭がクリアになってくる。
「ア……アメリアーナ様。そう、そんな名前の美しい女神様に会って話をしたんでした。そうだ、駅のホームから落ちて、僕は死んでしまったんですよね。それからふわふわした妙な場所に行って……あれは夢ではなかったということですか」
彼は立ち上がる。
桃李の身長は百八十五センチ近くあったのだが、今は感覚が違う。
「いつもよりも地面が近いです。そう、中学に入った頃はこんな感じでしたね。ということは、僕の背が縮んだということですか? それとも若返って子どもに戻ったとか?……変にファンタジックでおしゃれな服を着ていて、履いているのは……これはまた、ずいぶんと素朴な革のサンダルですね。いや、本当に、いったいなんでこんな所に」
ぶつぶつ呟きながら水辺に進み、水鏡に自分の姿を映した。
そこには、若くて優しそうな顔をした、美形の少年がいた。
「え? 僕? これが、僕?」
水面に向けて手を伸ばすと、少年も手を伸ばす。
「待ってくださいよ、この人にはどこかで会ったことがある……そう、ゲームの中で僕が作ったキャラクターですよ、エルフのトーリです。もしかして、僕はトーリになっちゃったんですか?」
優しいエルフのトーリさん、爆誕。
「うわあ、びっくり、エルフになっちゃったんですね……そう言えば、声も変わっています。若々しいしまるで声優さんのようないい声で、これはちょっと照れますね」
あははは、と笑うトーリ。
「トーリさん、カッケー声してますね! いやいや、そんなこともあります、なあんてね、へへっ」
あまりの事態に、少々混乱しているようである。
他人との会話が極端に少なかったトーリは、ひとりごとが非常に多い。悲しみのコワモテおっさんである。
「思い出して来ましたよ。綺麗な女神のアメリアーナ様が、もう一度別の世界で人生を楽しんでとおっしゃってましたね。ということは、この世界でエルフとして暮らしなさい、ということなのでしょうか? いいですね、ものすごくいいですね! うーん、一度お礼がてら、アメリアーナ様とじっくりお話ししたいものです。神殿に詣でると、神様とお話ができたりするのでしょうか? それとも、木彫りの神像を作って話しかけてみましょうか」
トーリは会話に飢えていた。
彼が首を傾げると、長い髪がサラリと背中を滑る。
「長髪にしたことがないので、変な感じです。邪魔になりそうなので、なにか髪を縛るものが欲しいですね」
そう言いながら、彼は草の上に置きっぱなしだったカバンを肩にかけて蓋を開けた。中を覗くと意外に深くて、中身がわからない。そこで手を突っ込んでみて驚いた。
「うわあ! これ、いわゆる魔法の鞄じゃないですか!」
手を入れた途端、彼の脳裏に持っているアイテム一覧が現れたのだ。
「素晴らしいシステムですね。ということは、もしかして……」
ごくりと唾を飲み込み「ステータス、オープン」と唱えてみる。
すると、空中に半透明のボードが現れて、そこには日本語ではない文字でデータが書かれていた。
種族 エルフ
名前 トーリ
賞罰 なし
加護 女神アメリアーナ
「……これだけ? レベルとか、スキルとか、体力、魔力に得意技やその他いろいろな、ゲームのお約束のあれは? ないんですか?」
ボードをタップしたりスクロールしようとしたり、しばらくがんばっていたが、他にはなにも出てこない。
「そんな……せめて、鑑定能力とか、エルフっぽく風魔法とか、そういうやつが欲しかったんですけれど」
ため息混じりにマジックバッグに触れて「鑑定」と唱えてみる。
「詳細鑑定、看破、超鑑定、神鑑定……えっ?」
『神鑑定』と唱えた途端、再び脳裏に文字が現れた。
トーリ専用のマジカバン 容量無限大 時間停止機能付き
女神アメリアーナの加護により、他人に奪われることがない
奪おうとすると恐ろしい天罰がくだる
「鑑定が使えました……しかも、『神鑑定』ですか? すごそうですね。これはもしかしなくても、アメリアーナ様の加護のひとつですね。神ってついてますもんね。あと、この世界ではマジックバッグじゃなくてマジカバンなんですね」
トーリは変なところに感心する。
「なるほど、ステータスボードには詳しい情報は乗らないということですか。謎の文字を読めるところを見ると、異世界言語習得の能力もありそうですし、これからゆっくりとできることを確認する必要がありそうですね。と、それよりも髪を縛れそうなものは……」
再びカバンに手を入れて、リストから『幸運の組紐』を見つけて取り出してみる。それは白、銀、水色の紐が複雑に編み込まれた美しい紐で、髪を縛るのにちょうど良かった。
「いいものがありましたね。ええと、『神鑑定』……運命がなんとなく幸運な方向に進む組紐。身につけるとその力が働く。ですか。しばらく使ってみましょう」
彼は髪をひとつに縛り、大きく伸びをした。
「このキャラを作ったゲームとは仕様が違うみたいですが、マジカバンがあるということは、魔法がある世界ということでしょう。これは楽しみですね。で、これからどうしましょう?」
彼は再び水辺に行くと、そこに映った顔を見て「優しそうな顔です。それにとても若いですね」と満足そうに微笑んだ。
「金の髪にアメジストのような紫の瞳。作った時には盛り過ぎたと思いましたけれど、現実になるとエルフらしい美しさでいいですね。耳の先は……うん、少し尖っています。エルフということは、精霊と話ができたりするのでしょうか? そうだといいですね」
『あら、わたしとお話がしたいのかしら? 優しそうなエルフさん』
水面に映った顔が乱れて、そこに新たに女性の顔が現れた。
トーリは驚いたが、『優しそう』と言われて嬉しくなった。
「……僕に声をかけてくださってありがとうございます、美しいお方」
『まあ、まだお若いのにお上手ですこと』
鈴が転がるような可愛らしい笑い声がして、水の中から若い女性が現れた。




