第170話 危ないからだめ
「氷の上に立つと足が冷えちゃうから、カミーユさんの作った壁に立ちますね」
「お、おう。待ってろ、足場を作る」
カミーユは少年が落ちないように、岩の見張り台を作った。
「そろそろ到着するかな?」
馬車の中から「なにがどうなっているんだ?」という声がした。貧乏貴族の子息が騒いでいるらしい。
「ロッドさん、僕も馬車の上に乗っていいですか?」
「いけませんよ、ハーメイ様」
「でも、トーリくんは乗っているでしょ? 子どもを危険なところに出したら駄目じゃないですか」
「すみませんが、中にいてください。はいはい、大丈夫ですよ、我々にお任せください、ご心配は要りません」
馭者のロッドはそう言って、出てこようとする子爵家のヴィクトリー・ハーメイを丁寧に押し戻した。どう見ても戦いに不向きな貴族のボンボンは邪魔になるだけなのだが、しきりに馬車の上を気にしている。
「トーリくーん、危ないから馬車の中に入りなさいよー」
どうやらエルフの少年を心配しているようだ。
商人のボンド一家は旅慣れていて、このような事態でも落ち着いて座っているし、『輝ける雄牛』は自称忍者のファイブルがとっくに外に出て、馬車の陰から様子を伺っている。
「カミーユさん、魔物の様子はどうですか?」
トーリが魔獣フクロウと視界を共有しているカミーユに尋ねた。
「接敵まで数分といったところだ。小物の後ろから大物が……けっこうな数でやって来る」
「あ……あれですね」
「見えるのかよ!」
「こう見えても弓使いですよ? 視力には自信があります」
「す」
リスも『見えてますよ』と言っているが……普通のリスの視力がこんなにいいはずはないから、やはりベルンはおかしなリスだ。
小さな魔物たちが全力で走ると、かなりの速さになる。目の良いトーリには、豆粒のような大きさのウサギやらネズミやらが押し寄せて来るのが見えた。
「ああ、なるほどね。ウサギの後ろから、かなりのスピードで大きなやつが来ているなあ。アレが当たったら衝撃が大き過ぎるから、氷は耐えても馬車はバラバラになっちゃいますよね……念のために、氷の構造を変えておきましょう」
トーリはそう言うと、固い氷の塊に手を当てて集中し、その中に蜂の巣のようなたくさんの空洞をあけた。
これなら氷が砕けて衝撃を吸収するから、岩壁までは伝わらないという仕組みだ。
「それじゃあ、魔物の群れの真ん中に矢を撃ち込みますね。皆さーん、魔物を爆破するから大きな音がするけど驚かないでくださいねー」
馬車の乗客たちにそう声をかけてから、簡易見張り台に立ったトーリは弓を取り出して、魔物に向かって構えた。
遥か彼方に見える魔物の群れを観察しながら、カミーユはトーリに言った。
「おい、この距離じゃあまだ全然届かないだろう? 落ち着けよ。焦らずに引きつけた方がいい」
普通の視力では魔物の判別も難しいこの距離では、弓の攻撃では到底矢が届かないはずなのだ。だが、トーリはすでに第一矢に集中していて、カミーユの注意を聞き流す。
「ここは開けた場所だから、威力が大きなやつでも大丈夫ですよね……的が大きくて当てやすいな……」
「す、す」
リスは『あんなに離れていれば大丈夫じゃない?』と余裕の表情だ。
ダンジョン内で強力な爆発矢を放ち、何度か大変な目に遭っているトーリとリスであった。
魔力で形作られた矢は、先端が眩しい光を放ち始める。圧縮したので発光しているようだ。
「シッ!」
「……嘘だろ? 矢が届いてやがる!」
物理の抵抗を受けない魔力の矢は、トーリが狙った場所にまっすぐ飛んで行った。そして、着弾する。
「うわあっ!」
その瞬間、大爆発が起きた。爆風がトーリたちのところまで届き、車体がビリビリと振動し、地響きも伝わって来る。岩壁から落ちそうになったカミーユは、馬車の屋根に飛び移ってしゃがみ込んだ。
「すーっ」
リスも飛ばされそうになり、慌ててトーリの服を握ってこらえた。
やがて轟音が収まり、カミーユは様子を見るためにトーリの隣にやって来て愕然とした。
馬車の前方にいた魔物たちがいない。
そこだけぽっかりと穴が空いたようになっている。
「こいつは……ひでぇな……」
爆発矢の直撃を受けた魔物たちは、飛沫と化して消し飛んだのだ。
「す」
リスがトーリの鼻をつついて『やり過ぎですよ』と諌めた。
「ごめんなさーい。でも、ベルンだって大丈夫って言ったじゃーん」
トーリがえへへと笑いながら、リスの鼻をつつき返した。
カミーユは足から力が抜けてしゃがみ込みそうになった。
馬車の中は騒然となっているが、馭者のロッドが乗客たちをなだめている。ヴィクトリー・ハーメイが馬車の中から顔を出して「今のはトーリくんがやったの? いったいなにをしたの?」と叫んだ。
「おめえ、今のはなんだよ」
ほとんどウサギとネズミになった魔物の群れを見ながら、カミーユが言った。
「僕は爆発矢って呼んでます。強力だから、ダンジョンの中で使うと、一歩間違えると大惨事になるんですよねー」
「草原でも大惨事だわ!」
あれがもっと手前で爆発していたら……と思うと、カミーユの背中を冷たい汗が流れた。
「でも、もう少し魔物を削っておきたいですよね。群れの奥の方から、見たことがない強そうな魔物が来ているし。大丈夫、次はもっと威力を抑えますから」
「す……」
リスのベルンは、まったく信用していないつぶらな瞳でトーリを見つめた。それを見てカミーユはなにかを察した。
「いや、もういい、それ以上は撃つな! おまえは誰もいないどこかの僻地で試し撃ちをして、弓の威力を把握しろ。実戦に使うのはそのあとにしろよ。下手すると衝撃で馬車が壊れて、俺たちは立ち往生する羽目になりそうだ」
「そんな、大げさですよー」
「す」
リスが『先輩の忠告を素直に聞きなさい』とトーリのほっぺたをひっぱった。
「ちっ、リスの方がよっぽどわかってやがるぜ。ロッド!」
カミーユは馬車に戻って乗客の安否を確認する馭者を呼んだ。
「なんですか?」
「乗客は全員無事か?」
「はい。お客様も馬も馬車も、みんな大丈夫ですよ」
「そいつはよかった。まだ後から強いやつが来るんだ。俺が魔法で援護するから、少し間引いてくれ」
「わかりました」
ロッドは岩壁の上に飛び乗って、大剣を抜いた。
「ねえねえ、僕がもう少し、弓で数を減らした方が……」
「おまえは駄目だっつーの! いいから、おとなしくロッドの『常識的な戦い』を見ておけ」
面倒見のいいカミーユは、見張り台に岩の椅子を作ってトーリを座らせた。本当は手足を岩で固めてしまいたいくらいだったが、子どもを虐待していると思われたくないのでやめた。
「えー、僕も一緒に戦いたーい」
「可愛くおねだりするんじゃねえ!」
「すー」
「リスも駄目!」
エルフとリスは、ほっぺたをぷくりと膨らませた。




