第169話 異変
朝食を取りテントなどの荷物をまとめると、馬車は出発した。それぞれがマジカバン持ちなので、車内は物もなくすっきりしている。乗客しか乗っていない馬車なので、馬が軽々と馬車を引いて充分な速度が出ていた。
カミーユは、早朝に仮眠が取れたので、馬車の屋根に乗って辺りを警戒している。この馬車の道程には危険箇所はないのだが、護衛として乗っているのだからときっちり仕事をするのがカミーユの真面目なところだ。
馭者のロッドは、あいかわらず馬たちと話をして楽しそうだ。彼の場合、手綱は要らないのではないかと思えるくらいに馬と気持ちが通じ合っている。
トーリは、商人のジャック・ボンドとも仲良くなり、これから向かう水の都アガマーニャについての話を聞いてすごしていた。
このまま今夜滞在する宿場町まで何事もなく進むと思われたのだが。
「ロッド、馬車を止めてくれ!」
屋根に乗ったカミーユが、鋭い声を発した。馭者は素早く馬車を止める。
「どうしたんですか?」
馬車の屋根から降りたカミーユの肩には、むくむくした羽毛がとてもファンシーな魔獣フクロウのアークがとまっていた。
「先行していたアークが、異常を発見して戻ってきた。魔物の群れがこっちにやってくる。みんな、馬車から出るなよ。石の壁で周りを囲うからな」
「カミーユ、頼みます。皆さん、非常事態ですので我々の指示に従ってください」
カミーユの指示で、馬車は魔物が来る方角に頭を向けた。アークは引き続き魔物たちを偵察するため飛び立った。
カミーユが地面に降りて手をつき、土魔法の呪文を唱えると、馬車の周りを堅牢な長方形の石壁が囲む。厚さが三十センチはある石壁は頼もしい限りなのだが、魔物の突撃は種類によってはかなりの衝撃となるので、まだ安心できない。
カミーユが馬車の中に来て、状況を説明する。
「どうやら遠くの森の中から、変異種が現れたみたいなんだ。そいつは脚が遅いからこっちに来る心配はないんだが、そいつのせいで森から強い魔物が出てきて、それに怯えた草原の魔物たちが駆け出しちまったようだ」
どうやら『変異種が登場』『森の魔物が草原に出た』『それに怯えた草原の魔物が逃げ出して駆けて来る』という状況なので、ミツメウサギやカマネズミ、ウリボアなどの弱い魔物が来るようだ。
「俺はアークと視界を共有できるから、この後魔物の種類を確認するが、草原の奴くらいならこの壁で問題なく守り切ることができる。幸い空を飛ぶ魔物はいないようだ」
それなら大丈夫だなと、乗客たちはほっとした。
「わたしたちもなにか手伝おうか?」
『輝ける雄牛』のリーダー、シーラが申し出たが、カミーユは「いや、今回は戦闘を避けたい。強いやつがまったくいないという保証はないし、その場合には馬車が魔物のターゲットになると、守りきれなくなる危険があるからな」と断った。
「基本的には群れをやり過ごしたいから、馬車の中で待機してくれ」
「魔物がこのまま町に行ったら、被害が出ないかしら?」
「スタンピードほどの激しさじゃないし、町に着く頃には魔物たちの移動速度が落ち着くはずだ。この規模の群れならむしろ、冒険者たちが喜ぶだろう」
「わかったわ」
ということで、カミーユが石壁に魔力を供給して強度を高めて、魔物をやり過ごすことになったのだが。
「くっそ!」
馬車の屋根に戻ったカミーユが、声に動揺を含ませながら吐き捨てたので、トーリは「カミーユさん、どうしたの?」と言いながら屋根にのぼった。
「アークの目で見たんだが、森の中には他にも変異種がいて、大物が追い立てられてこっちに来ているんだ」
「大物? それはどのくらい強いんですか?」
「バッファローバード、カタコブイノシシ、マッドボアが数百と、とにかくデカくて体力があるトツゲキウシに、全身が岩で覆われたクロイワダンガントカゲまでいやがる。こいつはトカゲのくせに、脚がめっぽう速いんだぜ、ヤバいな……」
話を聞いた馭者のロッドも屋根にのぼってきた。
「カミーユ、おまえの岩壁で防ぎきれるかな?」
「……やるしかねえだろう。魔力を集中して振り絞ればなんとかいけるはずだ」
「わたしが出るか」
「なにを言いやがるんだ! ロッド、あんたが強いのは知っているが、とにかく数が多すぎるんだよ。無事では済まねえぞ」
「こういう時のために、わたしがいるんでしょう」
穏やかに笑っているが、あまりにも危険過ぎる。
「カミーユは守りに集中してください。クロイワダンガントカゲが町に着いたら大惨事ですよ。ここで数を減らさなければなりません」
「待てよ! いくらあんたでも、下手すりゃ死ぬぜ!」
「時間がありません。ほら、土煙が見えてきましたよ」
トーリが目を凝らすと、遥か遠くに巻き上がる茶色い煙が見えた。ロッドはやって来る魔物の群れをやっぱり穏やかに見ると、腰に付けたマジカバンの中から巨大な剣を取り出した。
「それではカミーユ、あとは頼みましたよ」
「おい!」
「ねえねえ、ロッドさん。ロッドさんの腕も見たいんですけど、先に魔物を蹴散らした方が馬車が安全になりますよ?」
エルフの少年が、恐ろしい魔物の暴走を目の前にしているというのに、にこにこしながら口を挟んだので、カミーユとロッドは『おまえはなにを言っている?』という表情でトーリを見た。
「ね、町に危険があるのも困るし、ここは安全第一で作戦を立てましょうよ。そのあとにロッドさんの活躍を見せてくださいね。あのね、死ななければ僕が治しますから、安心して存分に戦ってください。ふふふ、新しいスキルが生えちゃうかなあ、楽しみですね」
カミーユとロッドは『おまえ、正気か?』という目でトーリを見た。
「それじゃあまず、壁の防御力を上げますね」
トーリは、馬車を囲む石壁の、魔物が来る方向の辺に向かって両手を突き出して「『アクア』」と唱えた。すると、大量の水が三角形を形づくり、大きな氷の三角柱となって固まった。
「三角形の頂点が魔物に向いてますからね、万一当たっても力が横に流れます。これで石壁にかかる力はほとんどなくなります」
透き通った氷の壁は、陽の光を浴びて美しく輝いているが、溶ける気配はまったくない。
「なんだこりゃあ……」
「トーリくん、あなたは……」
カミーユとロッドは、巨大な氷壁をいとも簡単に作り出したエルフの少年を見て、もしかすると、このエルフは自分たちが考えていたような、単なるお金持ちの坊やではないのかもしれない、と思い始めた。




