第164話 野営をしよう
この世界の二頭立ての馬車は、力の強い特別な馬が引いているので、荷物が少なければ自転車くらいの速さで進むことができる。
今回トーリが利用しているような高級な馬車に乗るお客は、手練れの冒険者や裕福な商人などが多く、たいていはマジカバンを持っているので、荷物はすべてその中だ。となると人間だけを運ぶことになり、さらにスピードが上がる。
それでも、他の町に行くには何度か夜をまたがなければならず、宿場町に寄ったり、野営用に整えられた街道脇にある広場で夜を明かすことになる。
「お疲れ様でした。今夜はここに泊まります」
「わあ、キャンプ場がある!」
野営地を見たトーリは、意外にも設備が充実した場所に驚く。地面が綺麗にならされているので、テントを立てるのにいい感じだ。
少し離れた場所には森があるので、食料を調達したければそこで狩りもできそうだし、野草や木の実も見つかるかもしれない。
「もしかして、水道まであるんですか?」
地面からにょきっと立った高さ一メートル(この世界では一メタ、と言う)ほどの石の棒の前で、他の旅人が水を汲んでいる姿を見たトーリは、馬車の中で自己紹介し合って仲良くなった、商人の息子マック・ボンドに尋ねた。
「スイドー?」
「水が出てくる仕組みです」
「仕組み? それはエルフの国に伝わる、僕の知らない道具なのかな? トーリくん、よかったらその話を聞かせて……」
「兄さん、こっちに来て手伝ってよ! ごめんなさいね、トーリさん。うちの兄は適当に扱ってくださって大丈夫よ。ほら、行くわよ」
「いてててててて」
マックの妹のポーラが慣れた手つきで兄の耳を引っ張ると、ひとりでテントを張ろうと奮闘している父の元に連れて行った。
「あははは、元気なお嬢さんですね。トーリさん、これは水呼びの魔道具です」
近くにいた馭者のロッドが教えてくれた。
彼は四十歳くらいの穏やかそうな男で、馬をとても可愛がっている。馬の方もロッドが大好きなので、馬車を走らせながらお互いに声をかけ合っていて、まるで会話をしているように楽しそうだ。
さすがは高級な旅客馬車だけあって、スタッフも厳選されているようだ。
「この上の窪みに持参した魔石をはめると起動して、地下水脈から水を呼ぶものです。魔石に手を当てて魔力を込めると、その量に応じて横についた棒の先から水が出てきます。井戸を掘るよりも設置が容易ですから、屋外でよく使われていますよ」
「へえ、魔道具なんですか」
トーリは生活魔法が使える上に、普通の人間と違って魔力に制限がないため、魔道具にはあまり縁がなかったので、興味深げに観察した。
「魔石はそれほど高価なものではないから、旅人は皆、ひとつくらいは持ち歩いていますよ。この水呼びの棒、『水棒』と呼ばれているものは、野営地にたくさん設置してありますので、それぞれその周りにテントを立てて火を起こし、野営のキャンプを作ります」
「坊主、旅は初めてなのか? 面倒なことになると困るから、疑問に思ったらなんでも遠慮なく俺たちに聞けよ。その分も運賃に含まれてるからな。自分勝手に変なことをしやがったら承知しねえぞ」
ちょっと目つきが悪い護衛のカミーユが、ぶっきらぼうに言った。
「カミーユさん、子ども相手に凄むのはよくないですよ?」
「接客はロッドに任せた」
「仕方がない人ですねえ」
馭者の男はため息をついたから「トーリさん、この護衛の人は悪い人ではないし、とても腕が立つから、態度に問題があっても許してやってくださいね。本当は気のいいおじさんなんですよ」と言った。
「誰がおっさんだよ! 俺はまだお兄さんだぞ」
彼はぶつぶつ文句を言った。
「どうせ見た目で……相手を睨みつけているやな奴だと思われるからな。下手に出たって優しくしたって無駄なんだよ」
「そうなんですか?」
「ああ。俺は生まれつき、見え過ぎるんだ。だから薄目を開けていないと情報が多過ぎて頭がおかしくなっちまう。便利な能力なんだが、人相が悪くなっちまうからさ、どうしても嫌われがちなんだよ」
相手が子どもだからか、カミーユは本心を漏らした。
「綺麗な顔をした坊主にはわからねえだろうけどな。ま、俺のことはこういうもんだと思って気にすんなよ。別におまえに腹を立ててこんな顔をしてるわけじゃねえからな」
「わかりました!」
トーリには、彼の気持ちがわかった。よーくよくわかってしまった。
だから、カミーユの手を両手で握ると、勢いよく振りながら言った。
「僕はカミーユさんの目つきの鋭さは、渋い大人の男って感じですごくいいと思います! よかったら僕と友達になってください!」
「お? おう」
勢いに飲まれて、思わず返事をするカミーユ。
「す」
トーリの肩に乗っていたリスが『自分も友達になってもいいですよ』と、ちょっと偉そうな感じで片手を上げた。
「おう」
カミーユはまた返事をしてしまう。
「そいつはおまえの従魔なのか? よく懐いているな」
「いえ、この普通のリスのベルンは僕の家族のようなものなんです」
「す」
リスはニヒルに、悩み大き冒険者のカミーユを見ると『よろしくな』と肩をすくめた。
「いやいやいやいや、普通のリスじゃねえだろう!? なんだ、もしかすると特別な奴……まさか、神獣か?」
「違いますよ」
「それじゃあアレだ、呪われてリスに姿を変えられちまった人間だろう?」
「その呪いの話、けっこう耳にしますが怖過ぎるんですけど! そんなに簡単に、人が動物に変えられちゃうものなんですか?」
「頻繁ではないが、ないことはない。ただ、呪う方も同じ動物か、相手に捕食される生き物になるらしいから命懸けの呪いだそうだ。まあ、滅多にやる奴はいないけど……なくはない」
「す」
ベルンは『リスというのも、それほど悪くありませんよ』と、どこからか取り出した木の実を美味しそうにかじった。




