第158話 物好きな伯爵
「それでは参りましょう。失礼をば」
「わあ」
「す」
家令のゼールは肩にリスを乗せたトーリを持ち上げると、逃してなるものかと素早く高級な馬車に運んだ。
まさか、一般人に見えるゼールが怪力の持ち主だと思わなかったトーリは、彼を担いでひょいひょいと歩くゼールに「家令って、身体強化が必要なお仕事だったんですね。僕、知らなかったです」とのんきに話しかけていた。
馬車は脇目も振らず、ミカーネン領主都市の伯爵邸へと猛スピードでトーリを運んだ。窓の外を眺めながら、トーリは「そういえば、この町を散策するのを忘れていました。出発前に一度、町をぶらついてみたいものです」とゼールに言った。
「そういたしましたら、伯爵に町のフリーパスを発行してもらうとよろしいのでは? 買い物や飲食が伯爵家の支払いとなる仕組みです。今回の依頼の報酬の一部に組み込めば、町での行動が楽しくなりますよ」
「そんなものがあるんですか!」
トーリは『伯爵家持ちのブラックカードみたいなものでしょうか』と想像した。
「いやあトーリくん! 待ちかねていたよ! 君がミカーネンを旅立ってしまうと聞いて、素晴らしい訓練を受ける機会を逸してしまうのではないかと、それはもう」
「伯爵」
内政事務官のアシュリー・バートンは、喜びのあまりエルフの少年に抱きつきそうなアルバート・ミカーネン伯爵を黙らせようとした。
「ジェームズもシャルロッテも、君の特訓を受けて別人のように素晴らしい武人となって戻ってきた。おまけに騎士団のディック、あの神がかったほどの仕上がりはなんだね? 盾マスターだと? わたしは驚きのあまり足の甲に剣を落としそうになったくらいだよ、はははは、もちろん冗談だ」
「伯爵」
「それでだな、子どもたちが強くなるのは、もちろん父親としてありがたいことなのだが、実はわたしも腕にはそれなりに自信のあるのでな」
「伯爵」
「やはり父として、子どもたちに遅れをとるわけには」
「は、く、しゃ、く!」
とうとうアシュリーは、伯爵の両手首を握ると、その手のひらで伯爵の口をふさいだ。ご丁寧に左右の手のひらを重ねる。
「ちょっとだけ待ってもらえませんか? あなたの特訓の前に、トーリさんがここを離れるにあたっての懸念事項を数点、調整する必要があるんです。このミカーネンの町のためにもとても重要なことが含まれますからね!」
アシュリーにギリギリと手首を握られた伯爵は、こくこく頷いた。
彼は伯爵の手首を解放すると、きょとんとした顔で見ていたエルフの少年とリスに向き直った。
「騒がしくて申し訳ありません。せっかく知り合いになれたトーリさんが遠くに行ってしまうと聞いて、大変残念な思いです。トーリさんとはいろいろお話がしたかったし、持っていらっしゃる素晴らしいアイデアを教えていただきたいと思っていたのです」
「あ、そうなんですか? 僕は別に、たいしたことは考えていないんですけど」
「なにをおっしゃいますやら!」
アシュリーはトーリの肩を親しげに叩いて言った。
「トーリさんはとても頭がよくユニークな発想や考え方をするので、わたしにとってとても刺激的な人物なのですよ。できれば友達になって、お互いの考えをゆっくりと語り合いたかったのです。でも、もう行ってしまうのですね……」
トーリは、短期間でミカーネンのダンジョン都市を発展させた実績を持つ、天才的な手腕を持つアシュリーが心から残念に思っていることに気づいて驚いた。
「そこでトーリさん。わたしと文通をしてもらえますか?」
「文通、ですか?」
アシュリーはにこやかに頷いた。
常に鋭い視線で冷静に物事に立ち向かう彼は、整った容貌のせいもあって冷たい人物のように思われがちだ。
その彼が嬉しそうににこにこする姿は、とてもレアなものなのである。伯爵も小さく「おっ」と声を漏らしてしまった程だ。
「旅先であったことや見聞きして感じたことを、トーリくんの言葉で教えてください。わたしはミカーネンのダンジョン都市の様子や、コリスクッキーと光潤明花草の化粧品事業についての報告を書きますよ。どうですか?」
「ダンジョン都市の、僕の友達の様子を教えてくれるんですか?」
「はい。冒険者の方は、なかなか手紙を書くこともないでしょうからね。わたしは文章を書くのは苦じゃないし、様々な情報が集まってくる立場にいますから」
「ありがたい話ですけど……アシュリーさんは、僕から手紙を受け取ると嬉しいんですか?」
「とても嬉しいですよ! 現在この世界で一番手紙が欲しいナンバーワンは、トーリさんからの手紙です!」
「えっ、そんなに?」
「す」
リスが『よかったね』とトーリの頬を優しく撫でた。
トーリは嬉しくなって、もじもじしてから「それでは、はい、文通しましょう」とアシュリー・バートンと約束をしたのであった。
「それではわたしの番だね!」
張りきる伯爵に、トーリたちは騎士団の鍛錬場へと連れてこられた。家令のゼールとアシュリー・バートンは、はしゃぐ伯爵を生温かな目で見守る。
「どうしようかな、まずは少し打ち合おうか?」
「いえ、できれば伯爵を鑑定して、今なにを伸ばすといいのかを確認したいんですけど……鑑定で見てもいいですか?」
「もちろんだとも」
彼はミカーネン伯爵のスキルを鑑定した。
「なるほど。……いや、これは……伯爵、毒耐性はもうあるって言ってましたよね」
「ああ。弱い毒を口にして耐性をつけてある。わたしのような立場だと、危険なことが起こる恐れもあるからな」
要は、毒殺に備えてあるということだ。
だが、トーリは難しい顔をした。
「うーん、あるにはあるんですけどね。詳しく鑑定すると、毒耐性にレベル弱って但し書きが付いちゃっているんですよ。おそらく、弱い毒の内服では、元気で体力がある伯爵には刺激が弱すぎたのでしょう」
「なんと、そうなのか。となると……」
「心持ち回復するのが早いかな、くらいの耐性なので、実用向きではありません。あと、伯爵は剣技が優れていて、もしかすると身体強化も得意なのかな? あまり痛い目にあったことがなさそうですね」
「ふふふ、その通りだ!」
「なので、物理耐性があるにはあるけど低すぎます。これだといざという時に役に立たないかも……」
なにかと目立つ貴族であるミカーネン伯爵には、敵や妬むものも多そうだ。事故に見せかけた暗殺を企む者が出てくるかもしれない。
物理耐性も役に立っていないとわかり、がっかりする伯爵に、トーリは言った。
「方向性が決まりましたね。大丈夫、こんなこともあろうかと、いいものを持ってきましたよ」
トーリはマジカバンから、紫色の怪しげな液体が入った瓶を取り出した。
「これね、ドクヒョウから採ったちょうどいい感じの毒なんですよ」
「……なに? え? ちょうどいい毒?」
伯爵は、瓶の中の禍々しい紫色を見て真顔になった。
「今日の目当ては、レベルの高い毒耐性と物理耐性を身につけて、ちょっとやそっとの攻撃ではダメージを負わない、丈夫な身体づくりをすることです!」
それを聞いたアシュリーとゼールは「毒に、ちょうどいい感じってなんでしょうね?」「まあ、旦那様が望まれたことですからね。なにが起きても見守らせていただきます」「回復魔法があれば、死にませんからね」と囁きあった。




