第150話 可愛い看板娘
「トーリお兄ちゃん、今週も宿泊の更新をされますか?」
トーリが狩りから帰ってくると、ロナが言葉を噛まないようにゆっくりと尋ねたので、トーリは「はい、もう一週間お願いします。ロナちゃんは難しい言葉もちゃんと使えて偉いね」と褒めて、銀の鹿亭の看板幼女の頭を撫でた。
ロナは嬉しそうに「えへへ」と笑うと、厨房に父親を呼びに行った。お金に関しては、まだ小さいので扱わないことになっているのだ。髪をふたつ結びにしている可愛いロナは、しっかりしているがまだ五歳の女の子なのだ。
「おとうさん、トーリお兄ちゃんがもっとお泊まりしてくれるって。あと、今日も頭を撫でてもらったの」
「そうか、そいつは良かったな。ロナがちゃんと働いているいい子だから、毎日褒めてもらえるんだ」
宿の主人であるジョナサンが、手を拭きながら厨房から出てきた。夕飯の仕込みの最中らしい。
「ロナちゃんは働き者で可愛くて、いい娘さんですね」
「なにを年寄りくさいことを言ってやがる。トーリとそんなに変わらねえだろう」
「変わりますよ、僕はもう三十九歳のおっさんですからね」
「エルフだから、十一、二歳くらいのガキンチョにしか見えねえよ。大人ぶりたい気持ちはわかるが、本物のおっさんが聞いたらゲンコツぐりぐりしたい気持ちになるから、やめとけ」
ジョナサンは、ゲンコツではなく手のひらでトーリの頭をぐりぐり撫でて「めんこい、めんこいガキンチョだ」と笑った。
「もう、ジョナサンさんってば!」
照れてほっぺたを膨らませる姿は、どう見ても子どもだった。
「そうそう、今週は更新したんですけど、そろそろこの町から出ていく予定なんですよ。お世話になった皆さんに挨拶をしたら、旅の持ち物はもう用意してありますし、北へ向かって出発しようと考えています」
「なんだって? 急な話だな。そうか、行っちまうのか」
この世界の冒険者は、旅をするものも多い。特に腕に覚えがある者は、たくさんあるダンジョンを巡って力をつけながら、攻略を進めて名誉や財産を得ていく。
パーティを組む者が多いが、トーリのようにバランスがいい冒険者は、ソロでマイペースに町から町へと移って名を上げていくこともある。
トーリの場合は、弓での遠距離攻撃の腕が特に優れているし、ハンティングナイフを使った近接でもそこそこ攻撃力がある。
今のところは武器に付与しながら戦うだけしか使用していないが、エルフの特性で風魔法に秀でているため、練習すれば実戦でも使えるようになるだろう。それに、人間と違ってエルフは空気中にある魔力を際限なく使用することができるのだ。
なによりトーリは、迷いの森の奥深くで出会った水の精霊アクアヴィーラから祝福されて水魔法を使えるようになったため、回復魔法の優れた使い手である。
攻撃も回復もひとりでできるし、斥候としての能力にも長けているため、ソロで活動するための条件は備わっていた。
「す」
そう、リスのベルンという相棒も忘れてはいけない。
才能溢れる普通のリスだったベルンは、魔力が豊富な迷いの森に住むリスだったせいか、トーリと行動しているうちに風魔法を身につけて、ちっちゃな片手剣に付与して戦うことができるようになった。
このリスを小動物だと侮った魔物は、その首をころりと落とされて魔石に変わる運命にあるのだ。
「トーリお兄ちゃん、旅に出るんでしゅか?」
動揺して声を震わせるロナは、噛んでしまった。
「うん。冒険の旅に出るんだ。僕は冒険者だからね、いろんな所に行って、いろんなものを見たり、新しい経験をしたりして強くなりたいんだよ」
銀の鹿亭は、冒険者だったジョナサンが開いた冒険者のための宿だから、ロナも宿泊客がある日突然旅立つことに慣れていたし、小さいなりに理解していた。
だから、トーリの無事を祈って、良い旅になるように応援したかったのだが。
うつむいて唇を噛み、必死で嗚咽をこらえるロナの目から涙が溢れて、子どもらしいふっくらとした頬を滑り落ちた。
「ロナちゃん?」
「ごめ、なしゃい。今日のロナは、お元気で行ってらっしゃいが、言えないのでしゅ……」
ロナは厨房の方にちっちゃな足音を立てて駆けていくと、豆のすじを取っていた母親のエプロンに顔を埋めて「おかあさん、トーリお兄ちゃんがいなくなっちゃうの、やだよう……」としくしく泣いた。
「まあ、そうなの。トーリさんは腕のいい冒険者だからね。たくさんのダンジョンで狩りをする、有名な冒険者にきっとなる人だから……」
「わかってるよう。でも、ロナは、お兄ちゃんにいい子いい子してもらうのが好きだから、なんだかおむねがきゅっとなっちゃうの。お別れはいやなの」
「そっかあ、きゅっとなっちゃうのかあ」
ロナの母エリーヌは、優しく娘の頭を撫でて「トーリお兄ちゃんが大好きだから、寂しくなっちゃったのね」となだめるように声をかけた。
「でも、きっとまた会えるよ。ロナが少しずつ大きくなって、トーリさんも強くなって、いつかまた会えるからね。胸がきゅっとしても、銀の鹿亭のロナはちゃんとお見送りできるようにがんばるのよ」
「ううううう」
ロナはエリーヌにしがみついて、しばらくしくしくと泣いた。その様子を見ていたトーリは、今まで感じたことのない変な気持ちになった。
「す?」
「……大丈夫、なんでもないよ、ベルン」
リスがトーリの頬を優しく撫でると、彼は「なんでだかわからないけど、僕も胃の上辺りがきゅっとしちゃうんですよね」と怪訝な顔をした。
「まさか、伝染性の流行病なのかな。一応、銀の鹿亭に範囲回復魔法をかけておこうっと」
トーリは『エリアヒール』と唱えた。銀の鹿亭にいた者はすべて、超健康体になった。
ジョナサンは『ありがたいが、こいつの考えていることはよくわからんなあ……』と、困った顔で泣く幼女を気にしているトーリを見て、ため息をついた。




