第145話 壁
五人は問題の壁に近づいて、変わったことはないか調べた。どうせわからないだろうという軽い気持ちで、トーリはナイフの柄で壁をこつこつ叩く。
「ここに穴ができて、魔物が出てきたんですよね。今は塞がってなにも痕跡はありません。耳のいい人だと、こうして叩くと場所によって反響が違うことが……わかるって聞いたことがあるんですけど……あれれ?」
「どうしたのだ?」
「ラジュールさん、本当に音が違ってるんです。聞いてみてください」
辺りの壁を叩いて、トーリは響きがおかしい場所を指し示す。肩のリスが、中身の入った木の実で壁を叩き、トーリに頷いた。
「トーリは耳がいいのだな。わたしにはわからない」
「わたしもです」
「自分もです」
「俺は……うむ、違和感を感じる」
ラジュールだけ違いがわかったらしい。
「なんだろう? この奥に隠し部屋でもあるのかな?」
すると、ディックが盾を構えて申し出た。
「トーリ殿、ここは自分にお任せください! ジェームズ様、壁の破壊を試みてもよろしいでしょうか?」
ダンジョンの壁は、基本的に壊れることはないのだが、稀に見つかる隠し部屋や隠し通路がある場合に限り破壊することができるのだ。
かなりの攻撃力で叩かないと難しいので、トーリやリスには無理であるが、ここには盾マスターとなった頼もしいディックがいた。
「そうだな。試してくれたまえ」
ジェームズの許可を得ると、ディックは「はいっ!」と返事をして、壁に突っ込んだ。
「シールドバアアアアーッシュ!」
ディックが全力で盾を叩きつけると、どごん、と凄まじい音を立てて、壁に穴が開いた。
「うわあ、なんだあれは?」
「マジかよ。あの騎士、やべえな」
離れたところで休憩しながら作戦を立てていた冒険者パーティが、ダンジョンの壁が壊れるという珍しいものを目にして驚いている。
「財宝の隠し場所でも見つかったのかな」
「それは羨ましいぜ」
興味津々の視線を浴びながら、ディックは穴の中を覗き込んだ。
「ジェームズ様、特になにも落ちていません。向こう側には狭い部屋があります」
「そうか、宝箱はなかったか。空っぽの部屋ということは、ここに新たなモンスターハウスでもできるのかな」
ジェームズも中に入り「なんだか秘密基地のようだぞ」と愉快そうに言った。それを聞いて、シャルロッテもトーリもラジュールも入ってくる。
「まだ余裕があるなら……おや? ここに綺麗な石がはまっているな」
嫌な予感がしたトーリは「ジェム、やたらと触らないで! なにかのスイッチの可能性が……」と言いかけて、足元の床が消えたことに気づく。
「まずい、落とし穴ですーっ!」
「うわーっ、すまない!」
「きゃーっ!」
「おおおーっ!」
悲鳴をあげながら、五人はぽっかり開いた床の穴を落ちていった。
ラジュールだけは落ちながらも「これはまいったな」と落ち着いている。リスもトーリの肩にしがみつきながら「す」と落ち着いている。
(幸い冒険者たちに目撃されている。助けが来るまでは、俺がなんとかして皆の安全を守ろう)
落下しながらそのようなことを冷静に考えるとは、さすがは騎士のエキスパートである。
「す……」
リスはトーリに『落下の衝撃に気をつけなさい』とアドバイスをしながら頬を撫でた。さすがはリスのエキスパートである。
「うわあ、やべえぞ!」
「トーリたちが落ちちまった。早くギルドに報告を……」
「走って戻ると時間がかかる。ボスを倒して地上へ転移する権利を手に入れるんだ!」
「了解!」
「よっしゃ、気合を入れて倒すぞ!」
幸い作戦を立て終わっていた冒険者たちは『早くトーリたちを助けるぞ!』という決意を身体にみなぎらせて、ミノタウロスとのボス戦に突入したのであった。
(これは紐なしバンジーっていうやつですね。この世界では初めての経験がいろいろできて、楽しいです)
「す」
最初は呑気なことを考えていたトーリだが、リスに『わかってる?』と頬を軽く叩かれて『これはまずいな』と思い始めた。
(ここにいる全員が身体強化を使えるけれど、それだけだと足りないかもしれない。即死はないとは思うけど、僕が意識を失ったら回復役がいないからまずいですね)
トーリは落下しながら考えて、風魔法を使おうと思った。
周りの空気を下に寄せ集めるようにすると、上昇気流が起きて落下の速度が遅くなった。
幸いトーリは周囲の魔力を使い放題なので、どんどん空気を集めていく。
穴の底に到達した時には、彼らの落下速度がほぼゼロになっていたので姿勢も崩さずに全員着地できた。
「トーリくん、助かったよ」
「トーリさんは風魔法もお得意なのですわね。素晴らしいお手なみでした」
兄妹はトーリを労った。
「全員怪我はないと思いますが、一応『アクアヒール』」
トーリの回復魔法は今日も切れ味最高で、彼らは万全の状態になった。
「どのくらい落ちたのだろうか。時間的に、中層の底か下層の上の方に思える。どんな魔物がいるのかがわかれば見当がつくのだが」
「それなら、下に降りる階段を探して進んでみましょう。ダンジョンは、ボスを倒さずに進んだものは上には戻れないんですよね」
反対側からボスを倒しに行くことはできないのだ。もちろん、別の冒険者がやってきてボスを倒してくれれば、そのタイミングで逆走することは可能だが、そううまくはいかない。
「僕とベルンが斥候で先行します。その後ろにディックさん、タンク役でおふたりを守ってくださいね。ジェームズ様とシャルロッテ様が続き、殿はラジュールさん、お願いします」
魔物が後ろから襲ってくる可能性があるので、腕の立つラジュールに最後尾を任せて、難しい背後の警戒をお願いした。
「魔物がいたら、合図をしてから僕がかなり強い爆発矢を打ち込みます。可能な限り距離を取って、身体強化をかけて耐えてくださいね。ディックさんは倒しきれない魔物の攻撃意識を集めて、その隙にジェームズ様とシャルロッテ様で殲滅をお願いしますね。ラジュールさんは全体の攻撃のコントロールとフォローをお願いします」
皆は頷いた。
ラジュールは『トーリはソロなのに、パーティの戦術をよく理解しているな』と感心したが、これはゲームで覚えたことなのだ。
「目標は、ボスフロアに行ってボスを倒し、一階への転移権を獲得することです」
「簡単そうに言うなあ」
ジェームズは苦笑したが、トーリはにっこり笑って答えた。
「僕、負ける気がしないんですよね。だって僕たち、すごくいいメンバーじゃないですか? これは今日の訓練の成果を試すチャンスです。力を合わせてがんばりましょう!」
一目置くトーリの自信に満ちた宣言で、皆の心は軽くなったのであった。




