第138話 グリーン、しごかれる
万年Gランク冒険者のグリーンは、身体強化を使うことはできたがその技術は未熟だったため、トーリの爆走について行くことができなかった。
危うく地面を引きずられそうになったグリーンを、エルフの少年はこともなげにお姫様抱っこをして、そのまま草原の奥へと猛スピードで走った。
「このあたりで狩りましょうね」
呼吸を乱すことなくグリーンをおろしたトーリは、笑顔で中年冒険者を見た。
ほんの五十メートル先に普通の森がある。ここはマーキーたちとよく狩りをした場所なのだ。
グリーンの方は、美女をお姫様抱っこしたい願望はあったが美少年にお姫様抱っこをされたい気持ちはまったくなかったので、心の中にあった大切ななにかを失ったような気がした。
「……そうだな」と呟いたが、トーリの言葉などまったく頭に入っていなかった。
「グリーンさん、マジカバンは?」
「持ってない」
「ええっ? 武器も防具も無しで狩りに来ちゃったんですか?」
「『来ちゃった』じゃねえ、おまえに無理やり連れてこられたんだろうが! 俺は狩りをするなんてひと言も言ってないぞ! さあ、戻ろう」
「確認しなかった僕が悪いのかな」
「す」
リスに『このあわてんぼさんめ』と鼻を突かれて、トーリは「えへっ」と笑った。
「じゃあ、僕が持っているのを貸しますね。……これがいいかな? 鋼鉄の片手剣です。攻撃力が少しだけアップする効果が付いています」
それは、武器屋で購入したら小金貨が五枚は必要な、とても良い武器だったので、グリーンは驚いた。
「いいのかよ。じゃなくて俺の話を聞けよ」
「ゴブリンがたまに落とすやつなんで、遠慮なく使ってください」
トーリはマジカバンの中身をリストを眺めてしばらく考えてから、なぜか紐を取り出した。てっきり防具が出てくると思っていたグリーンは、怪しい紐を見つめた。
ものすごく嫌な予感がした。
彼に、危機察知の特殊技能が芽生えたらしい。
「おい、なんで紐なんだ?」
「グリーンさんの手首に巻くんですよ」
素早い動きで、トーリはグリーンの左手にきゅっと紐を結んだ。
「す」
グリーンの肩に移動したリスが『あんちゃん、似合ってるぜ』と彼の頬を叩いた。
可愛いリスが肩に乗ったので、うっかり嬉しくなってしまったグリーンだが、嫌な予感は強まって行く。
「なんだよ? なにをするつもりだ?」
「狩りに決まってるでしょ?」
「いや、だから、俺、服しか着てないし、防具とか盾とか……」
「大丈夫! それはね、『身代わりの紐』っていって、致死的な攻撃を一回だけ肩代わりしてくれる、すごい効果がある紐なんですよ。死ななければ僕が治しますから、安心してくださいね」
「安心できねーよ!」
「じゃ、獲物を引っ張ってきまーす」
「すー」
「おい待て、やめろ」
リスはトーリの肩へと飛び移り、エルフは風のようなスピードで森の中へ入ってしまった。
「引っ張ってくる? なにを連れてくるつもりなんだよおいっ!」
グリーンの身体が恐怖で冷たくなった。
数分も待たないうちに、トーリが森から飛び出してこちらに向かって駆けてくるのが見えた。
「おーい、グリーンさーん、やっちゃってー」
トーリの後ろから駆けてくるのは、激怒した巨大なカタコブイノシシであった。
「うわああああーっ、なんてもんを連れてくるんだよ! 俺は『ネズミ狩りのグリーン』だぞ! 草原のウサギとネズミしか狩ってないんだぞ!」
踵を返して逃げ出そうとしたグリーンだが、足がもつれてその場で転んでしまう。
地面が揺れ、もうそこまでカタコブイノシシが来ているのに気づく。
「寝たまま戦うスタイルなんですか? 珍しいですね」
「んなわけあるかあああああーっ!」
カタコブイノシシに激突されたグリーンは、高く宙を舞う。
(あ……死んだかも……)
意外にあっけないものだな、と妙にスローになった風景を眺めていたグリーンの耳に、聞き慣れた怒鳴り声が聞こえた。
『バカヤロー、まだこっちにくるんじゃねえぞ!』
(兄貴? 兄貴なのか?)
強烈な痛みと共に地面に放り出されたグリーンに、再びカタコブイノシシが迫り来る……と思ったら、イノシシは喉を切り裂かれてその場にどうと倒れた。
「グリーンさん、大丈夫ですか? 『アクアヒール』」
トーリの回復魔法で、グリーンの身体から痛みが消えた。
「油断しちゃ駄目ですよ? 今は『身代わりの紐』があったけど、本当なら一回死んじゃってるところです」
「紐……切れてやがる……」
グリーンは一回死にかけていた。
「おい、ふざけんなよ!」
勢いよく立ち上がったグリーンの左手首に、きゅっと紐が結ばれた。
「おい……」
「ドロップしたやつが百本くらいあるんです。次はがんばって倒しましょうね」
「百本、だと?」
慈愛に満ちた笑みを浮かべるエルフの少年を見て、グリーンの足は震えた。
「おい、いや、俺は……」
「じゃ、引っ張ってきまーす」
「すー」
エルフとリスはしゅたっと片手をあげてから身を翻した。
森の中へと走って行くその背中に、グリーンは「やめてくれええええ、お願いだ、やめてえええええーっ」と叫んだが、光り輝くような笑顔のエルフは足を止めてくれなかった。
「ぐわあああああーっ!」
『こっちくんな!』
「ぎゃあああああーっ!」
『くんなっつってるだろうが!』
「ぐへあああああーっ!」
『おまえ、昔からしつこいんだよ!』
グリーンの亡き兄は、この世とあの世の端境に何度もやって来る弟を現世に叩き落とした。
グリーンは泣きながら『兄貴、俺は来たくて来てるんじゃねえんだよ!』と心の中で叫んだが、何度死にかけてもトーリが紐をきゅっと結ぶのだ。
「グリーンさん、動きが良くなってきましたよ、もう少しで倒せます、ファイト!」
地獄のような体験を繰り返すグリーンの目には、にっこり笑顔が悪魔のように思えた。
「やめっ、おまっ、くそおっ!」
グリーンはこちらに向けて暴走して来るカタコブイノシシに「うおおおおおおおおーっ!」という雄叫びをあげて飛びかかり、また宙を飛んだ。
「やりましたね、グリーンさん! ひとりでカタコブイノシシを倒せるようになるなんて、実力のあるベテラン冒険者は違いますね」
「お……おう……」
確かに身体は完全に回復している。
だが、心はそうではないのだ。
「立ち回りも別人のように良くなっているし、身体強化も上手く使えるようになりましたよ。もう少しでソロ冒険者に必要なスキルができあがると思います」
「!」
もう、ろくに口がきけないほど追い込まれているグリーンは、『なにを言っているの?』という目で目の前の少年を見た。
「ソロはね、回復してくれる人がいないんです。だから、毒や状態異常に耐性をつけていきましょう!」
「す!」
哀れなグリーンは目を泳がせながら『兄貴……俺、もう無理なんだ……そっちに行ってもいい、かな?』とあの世の兄に話しかけていた。




