第128話 せめて夕飯を
鍛錬が終わったあと、ダンジョン都市まで軽く走って帰ろうとするトーリは伯爵に引き止められた。
高価な果物と、高価というレベルを超える花を手土産に参上した挙げ句、ジェームズとシャルロッテを鍛えて特殊技能を短時間でふたつも生えさせたのだ。
伯爵はトーリに礼金を渡そうとしたが、土産はお宅訪問の際の常識だし、ジェームズたちを鍛えたのはダンジョンに連れて行き力をつけさせるための準備に過ぎないからと断られてしまった。
売ればいいお金になる、迷いの森で手に入れた果物や草花や様々なものがマジカバンに入っているため、トーリは金銭を必要としていない。ダンジョンに潜って自分で稼いだお金でやりくりするのもゲームの(いや、ゲームではないのだが)楽しみなのだ。
だが、ミカーネン伯爵の側も、貴族として『はいそうですか』と引くわけにはいかない。しかもトーリは冒険者でグランダード国の国民ではないから、貴族や王族に仕えていない。貴族のために動く義務がない、自由人なのだ。その働きには正当な報酬を渡さなければならない。
「それでは、今回の件は伯爵家のトーリくんへの貸しとして、せめて夕飯だけでもご馳走させてもらえないだろうか?」
アルバート・ミカーネン伯爵は「なにか困ったことや頼りたいことがあれば、わたしたちが力になろう」と言った。
ジェームズも続く。
「そうだよ、トーリくん。今日の訓練は本当にありがたかった。君にはわたしたちとはこれからもぜひ、良い関係でいてもらいたいと思うのだ。身体を動かして汗をかいたことだし、ここはひとつ屋敷の風呂に入ってさっぱりとして……ああっ、クリーンをかけてさっぱりしてしまった?」
トーリはジェームズの言葉を聞いて『いけない、よそのお宅で汗臭いのはマナー違反ですね』と、素早く魔法を使ったのだ。
「まあ、ついでにわたしたちまでクリーンでさっぱりさせてくださいましたのね。ありがとうございます!」
トーリの気遣いで、ジェームズもシャルロッテもいい匂いになった。
「す」
リスは元々いい匂いだ。
隙のないエルフに、困り顔のマルガレーテ夫人が言った。
「お忙しいところをお引き止めして申し訳ございませんが、気軽な身内の夕食で、ダンジョン都市の普段の様子をお話ししていただけますと、わたしたちもありがたいのです」
「なるほど、現場の声を聞きたいということですね!」
トーリは納得して言った。
「そういうことなら、ダンジョン都市にお世話になっている身ですし、僕もベルンも喜んで協力しますよ。ね?」
「す」
リスも夕食の席への参加に同意した。
なかなか手に入らない、新鮮で最高レベルの果物を貰った厨房では、親切なお客様のために腕を振るったので、トーリはこの国でもなかなか食べられないような豪華で美味しい食事を楽しんだ。
リスの席も作られて、木の実が提供された。
ベルンは内心ではヘラルの木の実の方が美味しいと考えていたようだが、そこは空気を読めるリス、おすまし顔でコリコリと木の実をかじった。
ラジュールは勤務中ということで同席しないはずだったが、トーリが「夕飯の時間も取れないとか、なんて酷いブラック勤務でしょう。友達がお預けさせられるなら、僕もいらないです」ときっぱり断ろうとしたので、慌ててラジュールの鎧を脱がして、テーブルに着かせた。
普段着のラジュール(仲間の騎士に借りたらしい)を初めて見たトーリは「レアなラジュールさんだ! イケメン!」と喜んだ。
日本にいた時の彼はほとんど外食ができなかったし、親戚や友人の結婚式に列席することもなかったので、洋食のコース料理を食べるのは初めてだったが、そこは社会人、ナイフとフォークの扱いは知識があるのでそこそこできる。
この世界の冒険者が食事のマナーの知識を持つのは稀なので、伯爵家の人々はトーリが慣れていないようでも気にしなかったのだが、両親や祖母から「将来困ることのないように」と厳しく躾けられたトーリは食事の所作が美しく、皆は『やはり、このエルフは尊い血を引く人物なのだろう』と勘違いした。
ダンジョン都市にやって来てからのエピソードや、町に対する印象などを話して、なにごともなく食事は終わった。
「そうか、トーリくんは冒険者ギルドの図書室を利用しているのか」
「はい。敵を知ることが戦いの第一歩だし、この国についてももっとたくさんのことを知りたいんです」
「それではトーリくんに、領主都市にある図書館をいつでも無料で使える許可証を出そう」
アルバートはようやくトーリが喜ぶものがわかったと思い、にこにこしながら言った。トーリも「それは嬉しいですね」と笑顔で受け取ることにした。
マルガレーテ夫人が起こす化粧品事業とコリスクッキー販売については、トーリが薬師のベルナデッタとマギーラにあらかじめ声をかけてから、夫人の選んだ担当者が接触することになった。
「マギーラ姉さまは、ミカーネン伯爵家の遠縁の令嬢なのです。自由を愛する実力者ということで、社交界でも人気のある方でしたけれど、煩わしいことのない場所で才能を活かしたいとおっしゃるので、ダンジョン都市でお店を開きましたのよ」
誘ったのはやはり、やり手のアシュリー・バートンであった。
「だから、おふたりは仲良しなんですね」
「ええ、仲良しですわ」
シャルロッテはマギーラと一緒にダンジョンに潜ったことがあるという。
「わたしの実力では姉さまに着いて行くことが難しくて。ダンジョン都市を治める貴族の子女として、わたしたちは戦闘力が求められるのです。トーリさんの指導でさらに強くなりたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「そんな、指導というほどのものではないですよ。でも僕、強くなりたいという人は、全力で応援したいんです。伯爵ご夫妻がびっくりするくらいに強くなって戻って来ましょうね」
「はい!」
「トーリくん、よろしくお願いします!」
シャルロッテもジェームズも、身分や年齢の上下を気にしない、とても気持ちの良い人物だったので、トーリはしっかりと育てようと思った。
思ったのだが。
帰りの馬車で、ラジュールからお説教をされてしまった。
「トーリよ。ジェームズ様とシャルロッテ様が気持ちの強い方だったからよかったが、あれは些かやりすぎだぞ。精神的外傷になったらどうするのだ?」
「大丈夫ですよぅ、ラジュールさん。僕だってちゃんと相手を見極めてやってますからね」
「……まあ、精神耐性スキルを身につけられたのはよかったがな。あれを見た騎士たちの引き攣った顔に気づいたか? 日夜厳しい訓練に励む騎士たちが顔色を変えるようなしごきを、貴族の子息や令嬢相手に遠慮なく行うなんて、おまえくらいだ」
「貴族の子だから、ですよ」
トーリはラジュールに笑顔で言った。
「僕もね、それなりに情報を集めているんです。ぶっちゃけて言うと、貴族同士の足の引っ張り合いや利権の奪い合いは、えげつないんでしょう? 命を狙うことすらあるし、いつどこで危険な目に遭うかもわからない。もちろん、護衛の人がしっかりと守っているだろうけど、万一の時に頼りになるのはやはり自分なんです」
トーリは笑顔を消して言った。
「僕はね、ミカーネン伯爵家の人たちも新しい友達だと思っています。友達が辛い目に遭ったり、苦しんだりするのは嫌なんですよ。でも、僕がすべての友達の側に張りついているわけにはいかないでしょ? だから、できる限り強くなってもらうつもりです」
トーリは目を細めてラジュールに言った。
「ラジュールさんは、とても強いでしょう? でも、悪い奴が大勢で襲って来たら、もしかすると大怪我をするかもしれない。そんなことになったら、僕はなにをするかわからないから……絶対に、誰にも負けないでくださいね? 約束ですよ?」
「トーリ……」
「す」
紫の瞳を底光りさせるエルフの子どもの頬を、リスはなだめるように撫でた。




