心の灯
小さな町の片隅に、一軒の古びた時計屋があった。主人は白髪の老職人で、長年この町の人々の時間を見守ってきた。店先に並ぶ時計たちは、どれも丁寧に磨かれ、まるで呼吸をしているかのように静かに時を刻んでいた。
ある日、一人の青年がふらりと店を訪れた。顔には疲れの色が濃く、声もどこか沈んでいた。
「時計を直してほしいんです」
差し出したのは、止まったままの小さな懐中時計。だが老職人が見てすぐに気づいた。時計そのものに大きな故障はない。ただ、動かすためのぜんまいが固く閉ざされているように感じられた。
老職人は工具を手に取りながら、青年に尋ねた。
「この時計は、誰かからの贈り物かね?」
「はい……亡くなった祖母からです。いつも『心を大事に』と言って渡してくれたのですが、最近はもう、その意味もわからなくなってしまって……」
青年の目は濁った湖のようで、澄んだ奥行きを失っていた。
老職人は時計の裏蓋を開き、そっと耳を澄ませる。すると、微かに響く音があった。――それは時計の鼓動ではなく、青年の心臓の音と重なり合うかのように感じられた。
「止まっているのは、時計じゃない。君の心が少し疲れているだけさ」
そう言うと、老職人は優しくぜんまいを巻いた。
「心というのは、不思議なものでね。誰かの言葉や思い出に触れると、また動き出す。使い方次第で灯のように温かさを放ち、暗い道を照らすこともある」
その瞬間、時計の針が小さく震えて、再び時を刻み始めた。チク、タク、チク、タク――。
青年の目に、涙が光った。時計の針と共に、自分の中で止まっていたものがゆっくりと動き出すのを感じたのだ。
「……祖母の言葉、今なら少しわかる気がします」
老職人は微笑んだ。
「心は、灯だ。誰かと共にあるとき、一番強く輝くものなんだよ」
店を出た青年の胸の奥では、小さな灯が静かに燃えていた。止まった時間を取り戻すように、彼の歩みは以前よりも少しだけ軽くなっていた。




