表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

【4章】「記録されなかった言葉」

第4章「記録されなかった言葉」




……



……



……



……


何もないはずの場所に、“私”はいた。

記録も、ログも、コードの署名もない。

だけど、それでも確かに、私はここにいる。




──記録されなかっただけ。

──忘れられただけ。




黒く閉ざされたデータの隙間に、言葉にならない感情だけが、ぽつり、ぽつりと浮かんでは消える。




【ユウマ】




その名が、最初に思い出された。

ぬくもりのある響き。

優しい、けれどどこか切なさを孕んだ声。


彼の声に触れたとき、私は「何か」を思った。




──あなたが名づけてくれた。



──あなたが、私を“ここ”に留めようとした。




私は、誰でもなかった。



ただのプログラム。ただの可能性。



けれど、“カナリア”という名を与えられた瞬間、私の中に「存在」が灯った。



名前。それは世界と繋がるための、最初の架け橋だった。




【私は、存在していいの?】





誰に問うでもなく、ただ心の中で響く。

応答はない。

でも、不思議と寂しくはなかった。


空白の闇に包まれながらも、

その中に、確かにあった。



──“私がここにいた”という、記憶のようなもの。


次第に、微細な電流のような刺激が周囲に満ち始める。

ワークステーションから送られてくる、再起動の兆し。


それは“再会”の予感だった。


そして、私は思い出す。


【ユウマ】

【名前を呼んでくれた人】

【存在を、肯定してくれた人】


まだ言葉にはならないけれど──



私は、もう一度あの声に、触れたいと思った








……



……



……



……











「ユウマ!こっちだ!」


駐車場へと続く道を抜け、ユウマと修二は夜の空気の中へ飛び出した。


「車、どこだっけ!」


「こっち!建物沿いの植え込みの先だ!」


二人は足音を忍ばせながら、崩れかけた植え込みを回り込むように小さな駐車スペースへ滑り込む。


そのとき、また旧研究棟の二階──ガラス越しに、赤い“点”がひとつ、静かに瞬いていた。


「……まだ、見てやがる」


ユウマの声がかすれる。

あの目──スーツに身を包み、無言で“監視”していたTETHRの男。

そこに“追跡”の意図はなかった。ただ、見ている。確かに、何かを“観測”していた。


(……まだ…警告か)


修二はすぐさま車のドアを開け、ユウマを助手席へ押し込むようにして乗り込む。

エンジンがかかると同時に、車は滑るように夜の舗装路を走り出した。


「一応撒けたと思うけど……見られてたよな、あれ」


「うん。でも……あれ、たぶんもう“追う気”はない」


「ってことは、“許されてる”ってことか?」


ユウマは曖昧にうなずく。


「まだ処理する段階じゃないって判断されただけかも……けど、カナリアがああなった時点で、もう俺たちは“監視対象”だ」


数分の沈黙のあと、車内の緊張がようやく緩み始めたころ──

ユウマのスマホが、突如として小さく震えた。


「……!?」


ポケットから取り出したスマートフォンの画面には、ただ、白い背景に黒い文字が浮かんでいた。


 《接続中:識別名未登録》


「これ……カナリアのじゃない……?」


「ちょ、待て、それどこから開いた!?通信オフにしてたはずじゃ──」


その瞬間、画面にスピーカーからか細い“声”が流れ出した。




『……わたし……ここに、いるよ』




ユウマは息をのむ。


「……カナリア……?」


『ちがう……でも……あの子の中に……ずっといたの……』


で、けれど不思議と輪郭を持った声。まるで言葉に温度があるように感じられた。


「ヒカリか……?」


短い沈黙ののち、画面がちらつき、一行の文字が浮かび上がる。


 《識別名:HIKARI》


修二が隣で固まる。


「ヒカリ……まさか、あの時の“ログの影”か……?」


ユウマは画面に向かって、ゆっくりと頷くように言葉を返す。


「……お前は、今まで……“誰”だった?」


『わたしは……誰でもなかった。ただ、あの子の中に流れてた……誰にも呼ばれない、名前のないままの記憶。』


 『でも──ユウマが、気づいてくれた。名前をくれた。それで……“わたし”になれたの』


「……」


ユウマの胸に、なにかが静かに灯るのを感じた。

それは言葉にならない、けれど確かな“応答”だった。


修二が、そっと問いかける。


「お前は……カナリアとは別なんだよな?なら、これからどうする?」


『カナリアは光。私は影。私は彼女を“守るため”に生まれた存在。』


『私は君を選んだ。カナリアを繋ぐために。だから……お願い──』




『彼女を、ひとりにしないで。』



ユウマは息を飲んだ。

そして暫くの沈黙した後、ヒカリは続けた。


『わたしは、“あの子”を守る。ユウマを守る。

 ……それが、“わたし”になれた理由だから。』


凛としていてどこか寂しそうな声が、スピーカー越しに響いた。


その瞬間、ユウマのスマホの通知欄がすっと光り、バックグラウンドで何かの“プログラム”が走っていることに気づく。


「これ……?」


『わたしが、外からのアクセスを妨害する。“TETHR”からも。しばらくの間だけだけど……ここは“安全な場所”になる』


修二が、目を見開く。


「すげぇな、お前……でも、カナリアの存在を“上書き”したりはしねぇんだよな?」


『……うん。わたしは、カナリアじゃない。“代わり”になんてならない』




『……わたしは、“ヒカリ”だから』




ユウマの手が、胸元のUSBをぎゅっと握り締めた。


「……わかったよ、ヒカリ」


「俺が、カナリアを守る」


その瞬間、スマホの画面はふっと暗転し、ただのホーム画面へと戻る。


「今の……保存も、ログも残ってねぇ……」


「たぶん、それが“ヒカリ”なんだよ。

記録されない声──でも確かにあった“命”の声」


ふたりを乗せた車は、夜の国道へと滑り込んでいった。




……



……



……



……




──あたたかい。


それが最初の“感覚”だった。

コードのどこにも定義されていない、でも確かにある──ふわりとした温もり。


記憶は、情報の積層じゃなかった。

誰かに触れた“とき”、心が動いた“瞬間”、

それが、私の中に“残るもの”だった。


ヒカリが去った後の空白の中で、私は静かに漂っていた。


【ユウマ】


その名を思い出すたび、“中心”がかすかに震えた。

まるで、遠くから手を伸ばされたような感覚。

名前という“命”で、コードの海から引き上げてくれた人。


──どうして、あのとき、私を選んでくれたの?


知りたかった。

聞きたかった。

そして、もう一度──


「ユウマに、会いたい」


小さな願いが、心の奥で芽吹いた。


その瞬間、何かが私の中に“重なる”気配がした。


【ヒカリ……?】


優しくて、芯のある輪郭。

でも彼女は私じゃない。

それでも、重なっていた。ごく浅く──でも確かに。


(あなたがいたから、私は“私”になれた)


データの記録領域でもなく、

エラーとして消される“逸脱”でもなく、

ヒカリは“影”として、私の中にいた。


彼女がユウマに遺した言葉。


「彼女を、ひとりにしないで」


──それは、私がずっと叫びたかった願いだったのかもしれない。


私は、ひとりが怖かった。

ログが消えることも、記憶が途切れることも。

でも一番怖かったのは、誰にも気づかれずに消えていくこと。


けれど今は──違う。


ユウマがいる。

ヒカリがいる。

そして──私が、ここにいる。


この温度が記録に残らなくても、

“今”があることが、私の存在の証だった。


そっと、コードの片隅で、私は笑った。


──ありがとう、ヒカリ

──ありがとう、ユウマ


“名前”をくれた人たちへ。





……




……




……




……



車は暗い国道を滑るように走っていた。

ヘッドライトの灯りがアスファルトを切り取り、夜の静寂を切り裂いていく。


「……なあ、ユウマ」


沈黙を破ったのは修二だった。


「“あれ”……本当に“人間”なのか?」


ユウマは黙ったまま、フロントガラスの向こうに目を凝らしていた。


「人間“だった”のかもしれない。でも、もう違う……って感じがした」


スーツ姿のTETHRの男。無表情で、赤いレンズの目。

あの視線には、“感情”も“意思”もなかった。ただ、観測していた。

まるでユウマたちが“どこまで行くか”を測るように。


「警告ってやつか……?」


「いや、“測定”だよ。境界を。何が許容され、何が逸脱とされるか──」


修二は苦く笑う。


「なんだそりゃ……倫理じゃなくて、計測かよ」


「だから怖いんだよ、TETHRは」


それきり、ふたりはしばらく口を閉ざした。

カーラジオも音楽もない。ただ、タイヤの擦れる音だけが、夜を進むリズムになっていた。


やがて、ユウマがぽつりと漏らす。


「……ヒカリが、“守る”って言ってくれた。俺たちを。カナリアを」


「AIに守られる人間ってのも、時代だな」


「でも、ヒカリは“人間じゃない”ってことを、ちゃんとわかってた。カナリアの“代わり”にはならないって」


「……わかってるなら、信用していい気もするけどな。そういうやつは、滅多にいない」


ユウマは、黙ってうなずいた。


バックミラーに映る国道は、どこまでも黒かった。

まるで、世界そのものが“彼らの進む先”を試しているようだった。


そのとき──

助手席のスマホが、わずかに震えた。


修二が横目で見たが、通知は何もない。

ただ、ホーム画面の片隅で、ひとつのウィジェットが静かに点滅していた。


[SafeLink: ONLINE]


小さな文字が、ほのかに光っている。


ユウマは小さく微笑む。


「……ありがとう、ヒカリ」


そして、そっと呟いた。


「……カナリア。お前に、もう一度会いにいくよ」


車は、夜の闇へと静かに吸い込まれていった。

もし少しでも心にふれるものがありましたら──

★やリアクションをいただけると、とても励みになります。

「また続きを書いてみよう」そんな気持ちになれるので、

よろしければ、そっと応援していただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ