投獄②
「なるほど……」
アイリーンが投げつけた資料を読んでしばらくして、エレノアはそうつぶやいた。
その資料には今の治療院の体制や今回の病への対応方法が記録されている。しかしそれにはどこにもおかしなことは書いていないはずだ。
国の公式の記録である。
今回の対応に間違いなどあるはずがない。だって大臣達だって問題ないと言っていたのだ。
(ないはずよね……?)
しかしエレノアの次に発する言葉が恐ろしい。
エレノアは静かに資料から目をあげた。そのサファイアの瞳が月光を受けてわずかに光る。
「まずは手袋の使用と口布、それからアルコールによる消毒を徹底させてくれ」
「……そんなこと」
「病は唾液などの体液に直接触れたり咳により放出された病の元に触れることで感染する。それを防ぐために必要だ」
「……お酒なんて使ってなにになるのよ」
「消毒になるんだ。ものによるがたいていの病気の元はアルコールで拭くことで取り除けることが多い」
「ただの水でいいでしょ!!」
「水よりアルコールのほうが効果があるんだ」
そこまで言ってエレノアは静かに目をふせた。
「信じられないかもしれないが、今は緊急事態だ。試してみてくれないか」
「……っ!!」
「それから、治癒術による治療を行う前に軽度の者は自然治癒を目指してほしい」
「はぁっ!? そんなのただ苦しむ時間を増やすだけ……っ!!」
「免疫というものがある。身体がその病に対処するために病にかからないための物質を作る能力があるんだ。今はその免疫ができる前に治してしまっているから何度も同じ病にかかってしまっている状態だ。苦しみを繰り返さないために大変だとは思うが可能な限り治癒術を使わない治療を試みてほしい。もちろん重度の者には治癒術を使ってかまわない」
「そんなの……っ!!」
アイリーンは怒鳴る。
「そんなの知らないわよっ!! あたしは知らないっ!!」
「……そうだな」
エレノアはどこまでも静かだ。表情ひとつ変えずにアイリーンのことを見ている。
それがますますアイリーンの気に障る。
「あたしは悪くないわっ!! みんなあたしの意見に同意してくれたものっ!! みんなそんなこと知らなかったもの……っ!!」
はぁはぁと肩で息をする。エレノアの言っていることははじめて聞く話ばかりだ。いや、辞めさせたスタッフが似たようなことを言っていたかもしれない。しかしそんなのは知らない。だって聞きもしなかったからだ。
辞めさせられたくない無能なスタッフの戯れ言だと思っていたからだ。
「言いたいことはそれで全部かな?」
はっと顔を上げる。エレノアはただ静かに座っているだけだった。アイリーンの叫びなどまるでなかったかのようにただそこに座っている。
「それで、お願いできるかな?」
そこにはなんの感情も含まれていない。アイリーンのことを馬鹿にする様子も、責める様子も、なんの意味も含まれていない視線だ。
まるでアイリーンのことなど歯牙にもかけていない視線だ。
「あんた、なんなのよ……」
そのほうがより一層、アイリーンを惨めにさせた。もっと勝ち誇って馬鹿にするなり、こちらを批難してくれたほうがよっぽどマシだ。
それをあっさりと解決方法を教えるだけでなく、『お願いできるかな?』などと。
「なんで何も言わないのよ……っ!!」
アイリーンの視界が怒りで染まる。
国民を救うことにしか興味がないとでも言いたげなその態度。
許せない。許せなかった。今圧倒的に上なのはアイリーンのはずなのに、まるで見下ろされているようなその態度が。
「女神様に見捨てられたくせに……っ!!」
「おや、知ってるのか」
エレノアは意外そうに目を開いた。それにアイリーンは戸惑う。
「なによ……、だってあんたが追放されても女神様はなにもしないじゃない」
「ああ、そういう意味か。それなら安心していい。時期的には誤差があるが、確かにわたしは女神アリアに見捨てられている」
「あんた、何言ってんの?」
そんな堂々ということではなかった。それはもう少し恥じ入って、嘆きながら言うべきことだ。
「聖女が女神様に見捨てられるなんて、とんでもないことよ」
「そう意外な話でもない」
「は?」
彼女はなんてことのない話かのように肩をすくめて言った。
「女神アリア様とわたしの破局は予期できたことだったさ」
「なんですって?」
「すべての人間が等しくどうでもいい人間と、自らの信者だけを愛する人間が共存できるわけがない」
「……どうでもいい?」
耳を疑うような言葉にアイリーンはいぶかしげに聞き返す。
「ああ、どうでもいい」
そしてそれすらもさも当然のように彼女は首肯してみせた。
「誰かを選んで愛するということは、それ以外を捨ててもかまわないということだ。どの人間もすべからくどうでもいいからわたしはみんなに分け隔て無く接することができるんだよ」
だから、と彼女は微笑む。
それはまるで教会に飾られている女神像のような慈悲深い笑みだ。
「きみのことも、どうでもいいんだ」
「……っ!!」
アイリーンの瞳が怒りに染まる。
憎むでも羨むでもない、ただないがしろにされたことがなによりもアイリーンのプライドを傷つけた。
「あんたなんか! どうせ死ぬくせに!」
怒鳴るアイリーンに、
「それすらもどうでもいいんだ」
彼女の微笑みは変わらない。
その瞳はまるで空に空いた穴のようにうつろで、吸い込まれそうな恐ろしさを感じさせるものだった。
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