リジェル王国にて 天罰?
噛み合わなくなった歯車の代償は、ある日唐突に決壊した。
聖女アイリーンは混乱していた。
目の前には詰め寄る人、人、人。
(どうして、こんなことに……)
そのすべてが流行病にかかった患者である。
「早く助けてくれ!」
「俺のほうがさきに並んでただろ!!」
「こっちのほうが重病なんだ! 優先しろ!」
治療院は病人であふれかえっていた。
数ヶ月ほど前からぽつぽつと熱を出す患者は増えていた。しかしいずれも治癒術ですぐに軽快する程度のものであり、アイリーンもそれ以外の人々もさして重要視などしていなかったのだ。
まさか、わずかその後一月ほどで爆発的にその患者数が増加し、国中に広がるなど誰も予期してはいなかったのだ。
異変は平民街から始まった。
子どもや年寄りなどが体調を崩すことが増え、治療院を訪れることが増えた。
すぐに治癒術にてそれは直ったが、次から次へとひっきりなしに同じ症状の者が訪れ、やがて健康な若者にまで症状が見られ始めた。
そこからは地獄だった。
まずは治癒術を使用していた治療院の治癒術師達が次々と病に倒れていった。
治癒術師にはさらに魔力の強い治癒術師による治癒術しか効かない。幸いにもアイリーンは強い魔力も持ち主であったため治癒術師たちの治療へと当たったが、その数はとんでもないものだった。
魔力の強い治癒術師を派遣するのは時間がかかる。当然ながら順番待ちがおこりただでさえ人手の足りない治療院は逼迫された。
そして治療する手が増えれば当然、感染したままの患者も増える。
感染した患者が増えればそれだけ街に広がるスピードも速くなる。
そしてさらには、せっかく治した治癒術師も再度罹患する者が多かった。
当たり前だ。
その場に花子がいればそう言ったことだろう。
清掃費の削減により清掃が不十分になった路地裏からその流行病は始まった。そしてさらには治療院では花子の推奨した『アルコールでの除菌』、『衛生管理』などが撤廃されている。
それで無防備な状態で治療に当たる治癒術師達に感染するなというほうが無理がある。
さらには、治癒術は瞬時に病を取り除く魔法である。
治癒術による早期の治療は身体に免疫を作らない可能性が高い。
つまり、通常の身体の快復力を利用した療養では免疫により数ヶ月は同じ病にかからないというインターバルが生じることが多いが、早期の治癒術による治療によりほとんどの者が免疫を持たずに繰り返し同じ病にかかるという現象が生じていた。
しかしそれを指摘できる花子はこの場にはいない。
結果的に延々と同じ病を治癒術で治し、かかり続けるというサイクルが生じた。
そしてそこから、アイリーンは聖女の権力を使って国にいる治癒術師の援助を要請した。
貴族達のお抱えの治癒術師達を招集したわけである。
これがまずかった。
衛生管理もろくに行われていない中で派遣されてきた治癒術師達は、次々と病をその身にかかえ、そして常の仕事先である貴族の屋敷へとそれを持ち帰ってしまった。
平民達の間だけではなく、貴族街や王宮にまでその病は爆発的な広がりを見せた。
これまで花子が治療院を改革する前は平民はあまり治療院に寄りつかず、民間療法で療養する者も多かった。そのためその当時は免疫を得る者も多く、ある程度の死者は出しても自然と流行はおさまっていたのだ。そしてそもそも平民街で病がはやっても完全に隔離されている貴族街まで病がうつることはなかった。
そして花子が介入するようになってからもその免疫の重要性を理解していた彼女は民間療法や治癒術以外の治療法を尊重し、怪我や病の種類により治療法を使い分けていた。そして予防としての衛生管理を徹底しており、花子が牛耳っている間は大規模な流行病などは発生しなかったのだ。そのためみんなが治療院を利用するようになり治癒術を利用するようになっても問題は起きなかった。
つまり今回のこのリジェル王国での大規模な流行病の発生は、くしくも花子の築き上げた医療体制とアイリーンが不要と切り捨てた仕組みが致命的だったが故に起きてしまった大惨事であった。
(どうしてこんなことになったの……)
その紫色の瞳をうろうろとさまよわせながらアイリーンは思い悩む。
状況を適切に解説できるであろう花子はいない。だから彼女にはわからない。
なぜなら下級とはいえ貴族として育ってきた彼女は流行病などすぐに治癒術師に治してもらっていたし、平民街での流行など見たことはない。そもそも花子と同い年である彼女は花子が牛耳ってからの清潔で流行病などすぐに収束する時代しか見知っていなかった。
「聖女様! 治療をっ!」
「早く! 早くしてくれ!」
そうしている間にも病人は詰めかけてくる。
彼女はもうへとへとだった。病に倒れた治癒術師達を治療して回り、その上足りない人手の分、平民達も貴族達も治療して回らなければならない。
その手から放たれる治癒術は、
「あ……っ」
ぷすん、と小さな音を立てて治癒術の光が途絶える。
くらくらとめまいがした。
(魔力切れ……)
同じ症状を訴える治癒術師達は頻発していた。しかし生まれつき魔力の多かったアイリーンは何を甘えたことを、と相手にもしなかった。
魔力切れなど起こしたことがなかったからだ。
頭がずきずきと痛んだ。
魔力が切れることが、こんなに辛いことだとは思っていなかった。ぎりぎりの状態で治癒術を使い続けることがこんなに疲労と身体の重さをもたらすことだとは、こんなに精神を削られることだとは……、
経験するまで彼女には想像もつかなかったのだ。
聖女の光の灯らない手のひらに、目の前に詰めかけてきていた患者達は目を見開いた。
なぜならそれは希望が途絶えたも同然のことだったからだ。
「天罰だ……」
誰かがぼそりとつぶやいた。
「え?」
アイリーンはかすんだ視界でなんとか顔を上げる。
そこにはアイリーンのことを冷めた瞳で見つめる群衆の姿があった。
「天罰が下ったんだ」
「聖女エレノア様は本当の聖女様だったんだ」
ぼそぼそとしたささやきが徐々にその声と形を大きくしてアイリーンの耳へと届く。
「聖女エレノア様を追い出したから」
「アイリーンは偽物だ」
「そうだ、あいつが来てからすべてはおかしくなった……っ!!」
誰かが叫ぶ、と同時にアイリーンの頬が熱を帯びた。
頬を殴られたのだ。
「え……?」
そのことを理解するのに時間がかかった。
目の前には怒りに燃える人々の目が爛々と光っている。
「アイリーンを殺せ!」
「偽の聖女を許すな! 女神様に許しを得なくては!!」
大きな手が次々と振り上げられる。
「アイリーン様っ!」
「こちらへっ!」
そばに控えていた侍女達が慌ててアイリーンのことをその中から引きずり出す。
その間にもアイリーンの美しいピンクブロンドは引きちぎられ、その髪に飾られていた宝飾品はむしり取られた。
来ていたドレスも掴まれるため、侍女達が慌ててその手を引き離そうとして布が引きちぎられる。
「早くッ! こっちへっ!!」
「逃がすなっ! 追え……っ!!」
なんとかほうほうのていで逃げだし、馬車へと乗り込む。
「早く出して!!」
侍女が金切り声で叫ぶ。走り出した馬車にも追いすがる人の手が荷台を叩く音がした。
アイリーンは呆然としたまま赤い頬を押さえ、逃走を余儀なくされた。
ストックができたので明日から1日にお昼と夕方の2回投稿になります。
よろしくお願いします。





↓こちらで電子書籍版販売中!