4月7日 ・・・・・・・ 対戦
× × ×
2024年4月7日。日曜日。
僕は珍しく冷蔵庫の缶コーヒーを拝借していた。
早朝から欠伸が止まらない。昨晩は随分遅くまで雪山のリゾート作りに精を出してしまった。
叔父さんも眠いみたいだ。8時を過ぎても部屋から出てこない。
終電寸前で帰っていった山名さんと川畑さんは間に合うのかな……三度目の『対戦』に。
僕は女子大生が来る前に掃除を済ませておくことにする。
リビングのテーブルにはポテトチップスのカスが残っていた。拭き掃除用の洗剤で油分ごと拭き取ってしまおう。
座布団の下にもクシャクシャのレシートが挟まっている。ついでに『カタン』の鉄鉱石カードも落ちていた。大切なボードゲームを粗末に扱うあたり、叔父さんたちは酒を飲み過ぎだと思う。
僕は戸棚から茶色の箱を取り出す。カエサルのものはカエサルに。箱の中身は箱の中に。
「蒼。『カタン』がやりたいのか」
箱を開けた途端に部屋から叔父さんが飛び出してきた。ボードゲーム開封の気配を察知したみたいだ。
叔父さんはスウェットに袖を通しながら座布団に腰を据える。
「個人的には3人から4人で遊んだほうが楽しめると思うが、お前がやりたいなら付き合ってやるぞ」
「床に落ちてたカードをしまうだけだよ」
「だったら『プラネットメーカー』でいいか」
何が「だったら」なのか、よくわからないが、テーブルの上にはあっという間に五角形のタイルが並べられていった。
たしか正十二面体の躯体に地面タイルを貼り付けて理想の地球を作っていくゲームだったっけ。めったに遊ばないからルールがあやふやだ。
結局、ルールブックとにらめっこしているうちにボロ負けしてしまった。多様な生態系を生み出すゲームなのに、僕の地球にはヘラジカとインパラとアメリカアカシカしか存在しない。奈良公園に居そうな奴ばかりだ。
対照的に叔父さんは色とりどりのアニマルカードを手元に並べていたが、勝利の余韻に浸ることなく、まとめて箱の中に戻してしまう。
「よし。次は『アンドーンデッド:ノルマンディープラス』をやろう。少しでもキャンペーンを進めたい」
「ちょっと叔父さん。今日そんなことしてる場合じゃないでしょ」
「たしかに大切な日だが、あいつが来ないことには何も始まらないだろ。こんな時は普段なかなか遊べないゲームを消化するのが一番だ」
「付き合ってられないよ」
僕は座布団から立ち上がる。
ちょうど玄関の方から外の空気が入り込んできた。鉄扉が開かれ、足音が近づいてくる。
来訪者は山名さんと女子大生という珍しい組み合わせだった。両者の間には相当に険悪な雰囲気が漂っており、外套や防寒グッズを脱ぎ捨てる所作から互いに対する苛立ちがビンビンに伝わってくる。
一体、何があったんだ。
僕たちが訊ねるより先に山名さんが口を開いてくれた。
「イサミ先輩。あたしの要望は全部この子に伝えておきましたので。後はご随意によろしくお願いします」
「おお……どういう意味だ?」
「昨日全部言ったじゃないですか。では失礼します。全部終わったらメッセージ送ってください。今はここに居たくないので」
山名さんは一方的に話を切り上げると、そのまま叔父さんの寝室に閉じこもってしまった。脱いだばかりの外套を携えて。
もう一人の来訪者は憮然としていた。やや疲れたようにも見える。
「はあ。おっさんさあ。あの女なんなの。そこの階段の前で待ち伏せくらって。すんごいウダウダ言われたんだけど。やばくない?」
「俺の恋人だが」
「……あっそ。つまりおっさんの戦略だったわけだ。おかげでウチの『気力』が2つも減りましたー。良かったねえ。7対7になって」
「そんなつもりは全くないが……少しは平等な勝負になったようだな」
「まあ手札はこっちの方が多いけど。いっそのことハンデに捨ててあげようか?」
「いや大丈夫だ。今の手札なら十分に勝ち切れる」
「言ってくれるじゃん」
京極さんが自信たっぷりに口元を歪ませる。
彼女の手元には7枚のカードが揃っていた。あくまで架空の手札なのだが、今の自分にはそれが見えてしまう。
対する叔父さんの手札は5枚と少ない。座布団から勢いよく立ち上がろうとして、若干よろけているあたりも弱そうに見えてしまう。
両者の『対戦』は恒例の指振りから始まった。
滑稽な仕草に架空の演出が加わる。指先からこぼれ落ちた金平糖状のオーナメントが、室内のあちこちで分裂を繰り返していく。
やがて女児向けアニメのエンディングでCGのキャラクターたちがダンスしてそうな、パステルカラーの宇宙空間が形成された。
VRというよりAR(拡張現実)系のアトラクションみたいな感じだ。
たしかにこれなら──プレイヤー同士は盛り上がってしまうかもしれない。
「ねえ。ひとつ聞いとくけど。おっさんってさ。ウチのこと好きなの?」
「藪から棒だな。何とも思わんが」
「だよね。ウチもそういうの一切ないし。なんで他人にグズグズ文句言われなきゃいけないんだろ。ゲームで遊んでるだけじゃん」
京極さんの頭上には「気力7」という体力表示が浮かんでいた。傍らには苛立ちを示すような絵文字のスタンプが現れている。
対する叔父さんの近くではロダンの『考える人』をデフォルメした形のスタンプが点滅していた。
「誰だって、恋人に異性の遊び相手がいたら嫉妬するだろ」
「そういうの不自由じゃないですか。生まれ持った性別に縛られすぎるの」
「俺は山名を大切にしたいと考えている。居酒屋で溜息交じりに付き合ってくれと言われた時は、川畑もその場にいたし冗談だと思ったが、どうせなら応えてやりたい。こんな頭のおかしい俺で良ければ、応えたい」
叔父さんの言葉は、明らかに宇宙空間の外側へ向けられていた。
僕の耳には届いたが、あちらの部屋まで伝わっていないかもしれない。けれども、それは紛れもなく一つの告白だった。
「──だから終わりにするぞ。京極光」
「はあ?」
「こっちが勝ったら、お前の頭に「奇行」を終わらせるカードを挿してやる。もう二度と俺と『対戦』できないようにな」
「そんなの……ウチなら自力で引き抜けちゃいますけど?」
京極さんは自身の側頭部にネイルのない爪を突き刺した。彼女も『効果』の拡張を得ている。
「それがお前の選択なら、それでも良いが……お前に選択肢を与えてやりたいのもあるんだ。お前だって、まともな人間に戻ったほうが生きやすいだろ。元凶の自分が言っちゃなんだが、奇行は人間を幸せにしない。そう思わないか」
「まとも……」
ピン。小さな音が鳴った。女子大生が効果音の出所を仰ぎ見る。彼女の「気力」が1つ減っていた。
その表示を覆い隠すように、フィールド上にとてつもない数の感情が展開されていく。
中心の京極さんは虚勢混じりの微笑みを浮かべていた。
「わかった。要するにウチがおっさんを倒せばいいんだ」
「ああ。そうだ。かかってこい」
互いに手札から専用カードを1枚選び、表向きに繰り出す。
架空の演出こそ華やかだが『対戦』のルール自体は非常にシンプルなもので、川畑さんがジャンケンに例えたのも頷ける。
・攻撃カードは相手にダメージを与え、相手の呪文詠唱を封殺できる。
・防御カードは攻撃を防ぐだけでなく、山札からカードを1枚引くことができる。
・呪文カードは自身が有利な環境を生み出せる。ただしカードを出す時に相手から攻撃を受けた場合は捨て札送りとなる。
さて問題です。
上記のうち一番デメリットが小さいカードは何でしょうか?
「攻撃だ!」
叔父さんは川畑さんと厳選を繰り返した末、手札5枚を全て「攻撃カード」で固めていた。
それもより威力の大きい「攻撃2」のカードばかり。
単純計算で5枚合わせて10ダメージ。京極さんが万全の状態であっても「倒しきれる」という算段がついていた。
仮に京極さんが前回同様に「永続呪文」コンボを仕掛けてこようとも、徹底的に攻撃を繰り返せば詠唱段階で封殺できる。
とにかく前のめりな狂戦士以上の狂戦士スタイル。これが叔父さんの出した必勝法だった。
対する女子大生は──同じく初手から「攻撃2」を繰り出してきた。
互いに2ダメージが入る。架空の炎が両者を焼いた。
次のターンでは架空の石が天井から落ちてきた。ダメージ演出にもバリエーションがあるらしい。
これで叔父さん3・京極さん2。
ひょっとすると次のターンで勝負が決まるかもしれない。京極さんも同じ「最適解」に辿りついていたなら、可能性はゼロじゃない。
淡い期待を抱きつつ、僕は両者の手札選択を見守る。
熟考する女子大生に対し、叔父さんの手札には悩むような「幅」がなかった。
「トドメだ!」
「ざんねーん。防御カードでした」
ここで京極さんが出してきたのは「防御2」のカード。天井から落ちてきた架空のタライをビーチパラソルが跳ね返した。
さらに彼女は山札から1枚カードを引いて手札5枚となる。一方の叔父さんにはあと2枚の「攻撃2」しか残っていない。
もし彼女が多数の防御カードを保有しているなら、今の叔父さんの手札だけでは倒しきれない。
「防御カードを用意していたか。京極光、一応確認だが、手札を使い果たした時は山札から1枚ドローできるルールだったな」
「そういうこと。おっさんの引き運でウチを倒せたらいいね」
「言ってろ」
「はあ。楽しいなあ。ホント楽しい。やみつき」
おそらく京極さんは叔父さんの手札を読み切ったのだろう。彼女は次のターンも「防御2」でダメージを防いでみせた。
さすがにその次については「防御1」と格下のカードで凌ぐしかなかったようだが、それでも彼女はギリギリで生き残ってみせた。
逆に叔父さんは必勝を期した手札で対戦相手を倒しきれなかった。
パステルカラーの空間に朱色が混じってくる。遊びの終わり=夕方のメタファー、あるいは出血の隠喩なのか。
「あはははは……」
京極さんの傍らには疲れたようなスタンプが表示されている。彼女の気力は残り1。されど手札は数多い。
叔父さんはルールどおりに山札からカードを1枚引いた。ただでさえ小さな目がショボショボしている。ヒキが良くなかったのか。
あと一歩なのに。あと1ダメージで倒せるのに。
目の前では女子大生がぜえぜえと息を切らしながら、それでもなお強気な笑みを保っている。
「おっさん……良いカード出たぁ?」
「次こそトドメを刺してやれそうだ」
「ふうん。ウソくさっ。いかにもハッタリっぽいけど……本当ならヤバいか。ウチの『奥の手』使っちゃお」
彼女は呼吸を整える。そして右手でキツネのようなポーズを取ると──自身の右耳の辺りにガブリと噛みつかせた。
ずるり。光沢のある半透明のプラスチック片が、もとい架空のカードが引き抜かれてくる。それも一気に3枚。
彼女はそれらをさも当然のごとく手札に加え、ニヤニヤしながら指先で吟味を始める。8枚も手札があれば選び放題だろう。
僕はあっけに取られ、すぐに身震いするほど怒りを覚えた。
何が奥の手だ。当たり前みたいにイカサマしやがって。盤面の外から牌を持ち込む奴がいるか。
雀荘でそんなことしたら一発で出禁になるだろうに。
叔父さんは表情を崩さない。ブラフのつもりなのかな。
代わりに外野の僕から抗議させてもらう。
「待ってください。京極さん。そんなのダメに決まってるじゃないですか」
「誰がダメって言ったの?」
「ぼ、ボードゲームはルールの中で競うものです。ルールを無視してしまえば、どんなに色鮮やかなゲームもただの紙切れに変わってしまいます。それが」
「だから。誰にダメって言われたの? ウチ以外の誰に?」
気圧されてしまった。
我こそは原作者である。我こそがルールである。よって我がプレイは全てルール上で認められたプレイとなる。
そんな不遜極まりない態度に、僕は気圧され──悔しいから別の表現を充てよう。彼女との対話を諦めてしまった。
彼女は話が通じない。というより僕の話に聞く耳を持たない。
そもそも出会った頃からずっと、彼女は狂人である叔父さんのことしか見えていない。
「君さあ」
彼女は尚も圧をかけてくる。
たぶん僕の名前を覚えていないのだろう。前のめりな姿勢に従うように、ぐるりと巻かれた毛先が垂れている。
僕は対面の叔父さんの方に向きなおり、両手で「×」を作ってみせた。
「やめよう叔父さん。ゲームとして成立しないよ。あんなインチキされてさ、こっちが勝てるわけないじゃん」
「大丈夫だ」
「いっそ言葉責めで「気力」削っちゃえばいいよ。さっき叔父さんの言葉にショック受けてたみたいだし。もうメッタクソに悪口を」
「ふっ。まだまだ未熟だな」
叔父さんがこちらの耳元に手を伸ばしてくる。
今までの流れもあって咄嗟に避けてしまいそうになったが、叔父さんの指先は僕の後方、女子大生に向けられていた。
「相手をよく見ろ。蒼。たしかに京極光は手札こそ多いが、結局一度に出せるカードは1枚きりなんだぞ」
「あっ」
「状況は全く変わっていない。残念だったな京極光。お前の策謀はお見通しだ。俺は自ら『効果カード』を引き抜いたりしないぞ。ああいうカードは『対戦』のフィールド上では全て「呪文」に変わるからな。不要なカードを手札に加えることで、ターンエンド時に山札から新たなカードを引けなくなる……そんな罠に引っかかるものか。ボドゲ研のOBを舐めるなぁ!」
叔父さんの力強い指摘に女子大生が「チッ」と舌打ちを見せた。図星だったらしい。
僕は念のため、一つの懸念を叔父さんに伝えておく。
「でもさ。もし京極さんがカードをいっぱい出せるようにルールを変えたら?」
「そうなったらもうゲームとは呼べないな。俺としては付き合いきれん」
「……一丁前に牽制してくるじゃん。クソガキ」
京極さんの閃光のような眼差しが、ようやく本当の意味でこちらに向けられた。
強烈に美しく、育ちも良く、きっと周りから色んなものを受け取ってきただろうに、どうして彼女が放つ輝きには飢えた印象が混じっているのか。
僕には関係のないことだが、狂人の叔父さんは意味ありげにため息をついていた。
フィールドのあちこちで星が煌めいている。
やがて両者は再びカードを出し合った。
それぞれの足元からピンク色のバリケードが生えてくる。防御カードの出し合いだった。
次のターン。叔父さんは「攻撃1」を出すも京極さんの「防御2」に跳ね返される。パステルカラーの巡航ミサイルが、黄色の垂直発射装置から射出されたESSMに撃ち落されていた。
次のターン。叔父さんは「1ダメージを受けるかわりに山札からカードを4枚引く」という呪文カードを出した。対する京極さんは「防御1」で身を守り続ける。彼女の周りに槍衾が展開されていた。
これで叔父さん2・京極さん1。
あくまで叔父さんの引き運次第ではあるが、これはひょっとすると……んんん? 僕はイヤな予感がしてきた。
次のターン。
彼らは互いに「攻撃カード」を出し合った。そして燃え盛る本能寺の本堂で笑みを浮かべながら、炎の中に消えていった。
まさかの相討ち──かと思いきや、宇宙空間が消え去ったリビングには叔父さんだけが立っていた。
「ふう。攻撃2はレアだからな。あいつの手札には来なかったらしい。おかげでギリギリ耐えられた」
そう呟く叔父さんの横顔は相当にやつれていた。
例えるなら、いつぞやの二夜連続の徹夜明けといった感じだ。
対する女子大生はテキーラの瓶を一気飲みしたバカのような顔色で座布団の上に突っ伏している。
どうやら初めて『精神力コマ』がゼロになったらしく、しきりに「なにこれ」「む、むり」と身体の不調を訴えていた。
「色々話したいこともあるが。今はこいつの健闘を称え、眠らせてやろう」
叔父さんの手で来客用の敷き布団が持ち込まれてくる。
そうなると僕の出番だ。学校指定のジャージを脱いで女子の姿になってから、京極さんの身体を安眠できる位置まで引っ張り込む。
気づけば、随分と時間が過ぎていた。もうすぐ昼飯の時間だ。
僕は壁の向こうにいる山名さんにも聞こえるように、叔父さんに提案させてもらう。
「ねえ。お腹空いたしピザでも取らない?」
「そりゃいいな。届くまで『村の人生』をしよう」
まだゲームするつもりなのか。しかも絶対に30分では終わらないやつ。
僕は狂人の発想にドン引きしつつ、布団の上の女子大生に目を向ける。何もしなければ眠り姫そのものだが、それは彼女の外見に過ぎない。
テーブルの上には美しいアートワークのメインボードが広げられる。そういえば『対戦』も架空の演出が加わっただけで随分と華やいでいた。
僕は叔父さんに例のカードを抜いてもらう。視界の端にあった山札が消え失せ、日常が戻ってきた。




