8月25日 ◎◎◎◎◎ 飛ぶ
× × ×
2023年8月25日。早朝。
叔父さんは玄関で倒れたままだった。
僕は傍らにしゃがみ込む。名前を呼びながら肩を揺すってみる。ワイシャツが湿っていた。
前にも『精神力コマ』がゼロになった時があった。あの時は叔父さんが上司に連絡していたが、今はピクリとも動きそうにない。
「仕方ないな」
僕は叔父さんのズボンに手を伸ばした。ポケットにスマホが入っているはずだ。
ところが寸でのところで手首を掴まれてしまった。
相手は目を覚ましていた。
「待て。今日は休めない。会社に行く」
「ほとんどゾンビなのに」
「こんな時のために溜めておいた『休日カード』がある。可愛い女の子に触れたら1回復できるらしい。たった1つでも回復できれば手番を開始できる」
「可愛い女の子か……石生来てくれるかな」
「…………」
「…………」
手首を掴まれたままだと友達に連絡できない。
僕は叔父さんの手を振り払った。
× × ×
石生と庄司がアパートの外階段を上がってくる。
2人とも学校の夏服姿だった。チェック柄のネクタイが揺れている。
私服で出迎えた僕としては疎外感が否めない。
「おはよう」
「小野君おはよ~」
石生が眩しい笑顔を返してくれる。彼女には制服が似合う。地元のトレンドに合わせてスカート丈は長め。シャツやネクタイ等の着こなしに校則とポリシーのせめぎ合いが感じられる。
一方の庄司はズボンの裾がだらしなく垂れていた。入学以来、身長が伸びていない証拠だ。
僕は笑ってしまう。
「何だか学校サボった気分だよ」
「いやサボってんだろ蒼芝。今日放送部の活動日だぞ。全体メッセージ見てねえのか」
庄司がスマホのスケジュール管理アプリを見せてくる。夏休み中も定期的に校内の放送室で発声練習が行われていた。
僕は一度も出ていない。夏休みの前半は夏期講習で免除されていた。後半は言わずもがな。出たくても出られなかった。
「部長が怒ってたぞ。蒼芝が全然来ねえって。あれは下手すりゃ退部扱いになるかもな」
「やめてくれよ庄司。ウチの学校、部活必須だから退部になったら図書館の掃除係になるしかないのに。あんなの給料の出ないアルバイトじゃん」
「そうならないように頑張ろうぜ」
冴えないチビに励まされてしまう。ポンポンと背中を叩かれる。
若干ムカつくが、そんな部活を休んでまでアパートに駆けつけてくれた2人には文句なんて言えそうにない。
まあ庄司の方はオマケに過ぎないが。
「おじゃましま〜す」
僕が案内するまでもなく、石生がドアノブに手をかけていた。
ガチャリ。鉄扉が開かれる。
「うう……」
玄関のタイル上で叔父さんが仰向けになっていた。辛そうに呻いている。途中で腕時計を見ようとしたのか、左腕が首元で遊んでいた。
石生は笑みを浮かべ、ゾンビの傍らに膝を突く。さりげなくスカートの裾をまとめながら。
「エヘヘ。弱ってる尾藤さんも素敵」
「石生さん……今は何時か……」
「今は9時半ですよ~」
彼女の両手が叔父さんの左手をギュッと包み込む。可憐な指先に撫でられた手のひらに血色が戻ってくる。
叔父さんの『精神力コマ』がゼロから「1」になる。
「……9時半なら取引先のアポには間に合う。ありがとう石生さん、庄司君。それに蒼。これより手番を開始する」
尾藤勇樹には奇行が目立つ。
側溝に捨てられたボロ雑巾のような状態から姫君の握手会で人間に戻り、架空の山札から『特殊カード』をドローしながら革靴を履き直し、背中から白い羽根を生やしていた。
「うわっ」「わぁ~!」「おっちゃん飛べるんスか!?」
三者三様の反応を見せる僕・石生・庄司を尻目に、叔父さんは外廊下を滑走路のように走り抜け、大空へ旅立っていった。
ジブリのアニメみたいだった。
友達が「すごいすごい」と鳥人間の行方を指差している。
僕は人影が遠ざかるにつれて血の気が引いてきた。
西梅田の高層ビル街をあんなものが飛んでいたら絶対に注目を集めてしまう。
今までの「奇行」とはレベルが違う。
あれは目立ちすぎる。
「どうしよう……ああやって飛んでる所を色んな人に見られたら。写真を撮られて、SNSで素性が晒されたら。マスコミが叔父さんを……」
「マスクしてたし大丈夫だろ。遠目には見えねえし」
庄司の脳天気な返答。これだから未だに夏休みの課題が終わらない奴は駄目なんだ。
石生の方もニコニコするばかり。
「小野君は叔父さんが心配なんだぁ。うふふ」
「いや心配というか、さ。傍迷惑じゃん。マスコミが追いかけてきたせいで僕まで標的になるかもしれないし」
「前はざまあみろ、って怖い顔で言ってたのに~?」
「うるさい」
「小野君照れてる」
石生がクスクスと笑いながら口元を抑える。庄司にはスマホのカメラを向けられた。
付き合いきれないが、来てもらったからには追い返すわけにもいかない。
僕は友人たちに頭を下げる。
「2人とも今日はありがとう。おかげで叔父さんが助かった。いつかお礼させてほしい」
「礼なんかいらねえよ。お前のおっちゃんには世話になってるし」
「まあコーヒー代くらい出させてよ」
「そうだな……だったらユニバ行こうぜ、ユニバ。お礼に付き合ってくれ」
庄司が財布から名刺サイズのカードを出してくる。
地元の高校生なら大抵持っている(とされる)『映画の国』の年間パスポートだ。僕も母親に買ってもらった。
石生も例外ではないらしい。すかさず定期入れの中身を見せつけてきた。
「じゃ~ん」
「おおっ。どうする蒼芝。お前が行かないならオレと石生が2人きりでデートすることになるぞ? いいのか?」
「いいのか~」
友人たちが年パスを近づけてくる。仲良いなあ、こいつら。
僕も能天気に加わりたいが、足元の落とし穴に気づいてしまった。
「それはルール違反だろ……というか庄司、さすがに今日行くのは拙くない?」
「なんで?」
「放送部の自主練を休んでユニバとか、部長にバレたら終わりじゃん」
「うぐっ」
庄司が苦渋の表情を浮かべる。
マスク付けたら大丈夫だろ、とは言えないようだ。こいつの目的はSNSで他人にリア充ぶりを見せつけることだから。
「わかった。土日は混むから明明後日だ。28日。全員制服で行くぞ」
「別に良いけど」
「おう。男に二言は無えよな蒼芝。オレたちと制服デートしてもらうからな。被り物ペアルック決めるからな。覚悟しとけ」
「その頃には今よりもっと可愛くない姿になってるよ」
僕は言い方を間違えた。
気づいた時には庄司に手を握られていた。
「はあああ? オレの元カノが可愛くないわけねえだろ。ほら。オレはメンタル回復してんぞ。舐めんな!」
「そ、そういう冗談いいから」
僕は坊っちゃん刈りの同級生から距離を取った。たまにこいつの言動に恐怖を感じる時がある。クズのくせに絶妙に面映ゆくなるポイントを突いてきやがって。ガチすぎて怖い。
そんな男たちの無意味な会話に美貌の女神様が割り込んでくる。思いきり肩を抱かれたせいで彼女の肉感が肘まで伝わってきた。
「あたしたちの初ユニバ楽しみだねぇ! 小野君、庄司君!」
「う、うん」「おう!」
「それとぉ……尾藤さん、天使みたいに空飛んじゃったね〜……天使みたいに……」
石生は言い終えてからブフッと吹き出してしまう。あの異常な光景を彼女の中で消化しきれなかったようだ。
庄司も釣られたのか、笑いを堪えきれずにいる。
僕は愛想笑いしかできなかった。
あれがどんなハレーションを引き起こすのか、考えたくもなかった。




