神武の射手
黒いコートを羽織った男が立っている。満身創痍、左腕には少年を一人抱えている。男より幼い少年の口元は血に汚れ、その腹には大きな穴が開いている。
消え去った命の熱をとどめるかのように、男は少年を抱えた。
『くはははっ! 愚かな者たちよ、我らを悪魔と呼ぶ貴様らが、その恐ろしさを最もわかっているはずなのにな!』
相対するは人――ではない。人に似た容姿をしていても、心が違う。青白い肌に鋭い牙を持ち、その目は血に飢えてギラギラと輝いている。金の髪を逆立てて、やすりのような爪は血に濡れていた。それは、悪魔だ。
『〝神武の射手〟よ。地に伏せ許しを請え。人には人の在り方がある』
少年を抱え、俯き続ける男の肩がピクリと動く。言葉に反応したのか、それとも――。
「貴様らは、決して死なぬ者ではないのだろう」
男の持つ回転式拳銃の撃鉄が起きる。鈍い金属音を響かせて構えられた銃の側面には一本の剣が描かれていた。
シングルアクション、45口径、装弾数は通常の6発。
銘を『ベルサリダ』――信じられし者。
「人の生きる道をあざ笑う者、立ち塞がり妨げる者、我はそれらを滅ぼす者」
男の前にいる者は、悪魔だ。人を超越し、望めば国一つをひっくり返すことさえも可能だ。事実、男の周囲には死屍累々の山。たった一体の悪魔が、軍を殺した。
人はそれを神や災厄と畏れた時もあった。だが今目の前にいるのは、人類を屠らんとする怪物だ。
突きつけた銃口から、一発の弾丸を悪魔に向けて放つ。
『おろかなり、我が肉体に人の武器が効くわけ――』
「我が武器は銃にあらず。我が武器は心なり。我が弾丸は鉛にあらず。我が弾丸は友である」
悪魔は手をかざし、弾丸を弾き返そうとする。男の仲間たちが撃った銃は全て命中する前に跳ね返されて、撃った本人へと返った。
人間の武器で傷つけることはできない――はずなのだ。
吸い込まれるように、弾丸は悪魔の手を貫き、その胸に突き刺さる。
『ん? な……に……?』
「神を嘲る者、神より賜る力を持って滅ぼされん。我は射手なり。悪を射抜く迷える者たちの守り人なり」
聖句が弾丸を輝かせる。
『貴様、女神の戯言に乗って……自分の友の命を魔弾にしたのか! くふ、ははははっ! 何と愚かな! 貴様は、世界の滅びに手を貸したのだぞ!』
「我が名はイオアネス・ダブルクロス。その名を洗礼として……」
彼の撃ち出した弾は、人の命を加工して創られたものだ。強い悪魔に対抗するためには、一発につき一人の命が対価となる。世界からすれば、それは安いものだ。
男は――イオアネスは、神より七つの魔弾を生成する力を与えられた。
そして今、彼は腕の中で血を流す少年の命を、弾丸へと変えた。
「悪魔よ、地獄へ還られたし」
悪魔の体が吹き飛んだ。人間たちが心血を注いで作った武器の効かない超越者は、同じ土俵に立つ武器でのみ屠ることができる。
「これで、ようやく、一体目……」
膝をつく彼の下に人々が集まる。人々は彼を英雄と、腕の中の少年を尊い犠牲だと声高に叫ぶ。座して死を待つしかなかった者たちに、反逆の機会が与えられたのだ。
***
そして、最初の悪魔祓いから月日が経ち、数多の死と犠牲を超えた先の今日。
国の片田舎。森と草原の境目にある民家の中に、彼の姿はあった。
二十年以上に渡り、彼は悪魔と戦い続けた。まぎれもなき英雄であるはずなのに、彼の住居には彼以外誰もいない。清貧というには寂しすぎる場所であった。
「私のイオ――イオアネス・ダブルクロス。いるのでしょう」
小屋の扉を、誰かが叩く。若い女性の声だ。研いでいた鉈を掴んだイオは、ゆっくりと扉を開ける。悪魔祓いの仕事柄、家までやってくる敵もいないわけではない。そういった個体に限って雑魚が多く、魔弾どころか素手でどうにかできる者ばかりだ。
「誰だ」
「あら、私のことを忘れてしまったの? 私のガンナー」
小さく開けた扉から見えたのは、目もくらむような美女だった。およそ人間とは思えない美しい顔立ち、完璧な肉体、見る者を惹きつける魅惑の塊がそこにいる。
目を細めたイオは、そっと扉を開く。
「我が神が、いかようにしてこのような粗末な小屋に参られたか」
「あら、あなたが過ごしているというだけで、ここは王都の大聖堂より神聖な場所よ」
朗らかに笑う女性にイオは椅子を差し出し、自分は床に座る。
相手は神だ。神々しさを隠そうともしない女神は、イオは過去に何度か会っている。
「あなたから与えられた使命は、完遂したはずです。今更、どうして俺に会いに来たのですか」
「簡単な話よ。敵が現れた。あなたでなければ戦えないでしょう」
遠慮のない言葉は、人の言葉ではない。神の絶対的な命令だ。万人が従う啓示でもあるが……。
「断ります。俺はもう、戦うつもりはない」
「私の頼みを真正面から断われる人間は、あなたくらいね」
「我が神――女神メイベル。俺はこの二十年余り、ずっと戦い続けた。……家族も、仲間も、友も、部下も失って、まだ生きている……もうたくさんだ」
悪魔を屠るのに、どれだけ犠牲にしてきたか。その全員を、イオは覚えている。忘れられるわけなどない。眠れば夢でその顔を見て、罪悪感に押し潰されそうになる。
「七発の内、六発を使った。あなたが言っていたことだ。七発目の弾丸を使った時、逃れようのない滅びが現れると。だから俺はここに隠れ潜んでいる」
「それが魔弾の契約よ。人が人ならざる者に勝つための代償は払わなくてはならない。打てる手は一つ……新たな魔弾を作り出すこと」
それはつまり、七発目を使わないための新たな六発を用意するということだ。
「今度は弾丸の分だけじゃない。もっと多く誰かが犠牲になる!」
「そうしなければ、より多くの者が今、悪魔の手にかかるでしょう」
女神メイベルの言葉に、イオは唇を噛む。戦うことを拒否しようと、誰かが犠牲になることに変わりはない。一を捨てて百を取るか、その逆か。女神の問いは、いつだって多くを助けるための答えしか許されない。
「神の慈悲があるのなら、もっと多くに手を差し伸べて見せろ……!」
「私に許された手はこれだけ。さぁ、私の代行者」
そう言ったメイベルは、イオに右手を差し出した。
「私の手を取りますか?」
「……帰ってくれ」
イオはメイベルの手を押し返す。溢れ出しそうな言葉を抑え込んだせいで、体が震えている。少しだけ肩を落としたメイベルは、わかりましたと踵を返す。
小屋から出ていく女神を、イオは追いかけない。空が暗くなってもなお、彼は座り込んだまま動くことはなかった。
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