夜野さんはいかにしてラブレターを出し間違えたのか
バァン! という強烈な音に振り向くと、教室の引き戸が壁に跳ね返っていた。
戸は半分ほど揺り戻ったあたりで、完全に止まるでもなくのたのたと力なく動いている。
もう半分、開いた側の先では、ステレオタイプなギャルが両膝に手をついて俯いていた。
唐突なハプニングにクラスが騒ぎにならなかったのは、単に放課後残っていたのが僕ひとりというだけの事だ。
教室の最前列右側という座席の都合上、僕の真横で炸裂した轟音により右耳の中がじんわりする。
違和感を追い出すように右耳にぐっと力を入れてみたが何の意味もなかった。
「ハァ、ハァ……ッ、アカネ……じゃなくて……ッ! 北村ちょっと!」
犯人の顔を確認してやろうと観察してみれば去年のクラスメイトである。
高校二年生に進級して二週間、本日今日この時まで恐らくニアミスすら無い、要は特別親しくもない知り合いだ。
うつむいたままの姿勢で息を切らせており声をかけるのがためらわれる。
「アンタの机に……ハァ、ちゃんと手紙……」
視線を切ったまま話を続けているため、僕に話しかけているのか相手不在で話しているのか判断がつかない。
相手が僕でない場合、経緯はどうあれ盗み聴きになってしまうため慌てて制止をかける。
「北村君ならもう帰ったよ」
彼女の言う『アカネ』はおそらく人気者でおなじみ、隣の席の『北村アカネ』君その人を指しているはずだ。
進級時のクラス替えは、僕のような非能動的な人間にとってすこぶる憂鬱なイベントである。そんなイベント当日、たまたま隣の席となった北村君がフレンドリーを擬人化したような人で、あれよあれよと友達の輪が構築され今に至る。
北村君はクラスの人気者の枠を飛び越えて学校の人気者といった具合なので、他のクラスにも友人が多い。
つまり地味な僕とは正反対な、今目の前にいる生徒、夜野さんのような目立つ友人のほうが割合としては多い。
北村君不在の言葉に合わせて、姿勢をそのままに首を持ち上げ視線を投げてくる。
色素の薄いウェーブした前髪の隙間からにらみつけられる形だ。着崩したブレザーと耳から覗くピアスが相まって、ちょっと怖い。
沈黙が気にならないのは、グラウンドの方からうっすら聞こえる運動部の掛け声がいい塩梅に響いているからだろうか。
彼女は体制をくの字から正すと教室内に視線をさまよわる。閑散とした二年一組の状況を把握したのか眉を寄せた。
よほどの距離を走ったのか顔がのぼせ上がっていて、落ち着くまでは時間がかかりそうだ。
「一組、人帰んの早くね? 二組はアタシの他にも結構残ってダベってるよ」
夜野さんは隣のクラスだったらしい。一組から二組の距離でこの息切れと顔色は運動不足が過ぎるのではないだろうか。
「うちのクラスは運動部多いみたいで、放課後はみんなすぐ部活に行っちゃうから」
「あーね! 五限目の合同体育、一組凄かった気ぃするわ。バレーやらされたけどボロ負け! んなことなら手加減しろっての~」
彼女が気安いのは、一年時に同じ委員会だったからだ。
必要に駆られて話すことがなければ、おそらく僕と夜野さんは卒業までひと言も話さず終わったように思う。
学校という狭いコミュニティでは、自然と各々にラベリングが行われ暗黙のグループが作られる。
僕なんかは『根暗』のラベルを背中に張られて『地味』グループに分類されがちだし、夜野さんはと言えば大方の人に『ギャル』のラベルを手渡され『キラキラ』グループに分類されるだろう。
得てして『根暗』と『ギャル』は交わることがないものなのである。
彼女個人に対して含むところは無いが、素直なところ『キラキラ』グループとの対話は疲れるので苦手だった。
「…………つかなんでアンタが北村の席に座ってんの?」
「ここ僕の席だよ。北村君の席はひとつ隣」
左隣の席を指差す。
小さい「マジか」の声が聞こえたと思うと、彼女はしかめっ面で腕を組んだ。
かと思うと、百面相を繰り広げながらうんうん唸り始める。
北村君に急ぎの用事があるのかもしれないが、彼は学校が終わるや否や、数ヶ月前からお付き合いが始まったという彼女と放課後デートに繰り出したため不在である。
その旨を伝える為に息を入れると、彼女側でもひとしきり整理がついたのか先に話を切り出されてしまった。
「いやー、なんか間違ってアンタの机に北村宛の手紙入れちゃったぽいわ~。返して!」
言う顔は、夕日に照らされてか朱がさしている、ような気がする。
んぐと言葉を飲み込む。
その手紙がラブレターであろうことは容易に想像できる。
おそらく彼女も百面相の末、コチラに伝わるのをやむなしとして切り出したのだろう。
こうなっては、北村君のデート云々を僕から言い出すのはかなりデリカシーにかけることになる。
一瞬のためらいの後に僕の出した答えは、完全に知らんぷりを貫いた上での手紙の返却であった。
「わかった。どんな手紙?」
ごそごそと机の中を探る。
「待った! まだコッチに見せないで!ストップ!」
夜野さんは右手で自身の目元を覆いながら制止をかけてきた。
手の甲を見せる右手の指先に彩られた春色のネイルが、やけに視界に飛び込んでくる。小指のそばでうっすら主張する口元のメイクと併せてとても見慣れない感じだ。
同学年なはずなのに、生きる世界が全く異なるなぁとどうでもよい事を考える。
「んとねー、薄い緑色の小さいファイルに挟んで入れたの。シロツメクサの模様が縁取りに入ったカワイイ感じのファイル!」
特徴が合えばアタシのでしょ! と一気にまくしたて、両の手は胸の前に組まれた。どうやら嘘をついてると思われないようにとの配慮らしい。
事態にそぐわぬ弾むような語尾に違和感を感じたが、よくよく思い返してみると夜野さんは基本的に何事も楽しそうに話す人だった気がする。
彼女には悪いが、こちらはもう帰宅準備ついでに探しますといった心持だ。
ぎっちりと詰まった机から、宿題用に持ち帰る教科書、ノート、図書館に返却する本、帰りにリサイクルショップで売却予定のゲームソフトをひっぱり出す。
本日6限目、内職用に北村君へ貸出したノートの合間から、サンキューと書かれた手書き付箋が滑り落ちる。可愛い謎のイラスト付きだ。
こういうところが人気者たる所以なのだろう。好感が持てるというか、なんだか憎めないというか、そんな人なのだ。
やってることは宿題の丸写し(しかも授業中)なのだけども。
手持無沙汰にこちらを観察していた夜野さんは付箋を視界にとらえると「北村、アイツ数学だけはマジでバカだから、今からノート貸してると一年中たかられるよ」との助言を授けてくれた。
必要なものを鞄に詰め終えると、結果的に机の中をさらう形になってしまう。試しに鞄の持ち手に力を入れてみた。帰路を思うと気まで沈む重さだ。
ともあれ、帰宅準備もとい捜索が完了したため結果を報告する。
「無いよ。ファイル」
一拍の無音が聞こえたのち
「うっそ マジ!?」
のひと言でこちらに詰め寄り、鞄をのぞき込もうとして、留まる。
「確認してもヘーき?」
コチラを見上げる顔は顔面蒼白のお手本のようだ。
ダメとも言えない圧に押され、どうぞと促す。
がさごそと捜索する夜野さんを横目に、はたして心を込めてしたためたであろうラブレターを紛失し、意中の人物以外に開封されるのはどんなものだろうと想像してみる。
たまったものではない。
他人に封を開けられてしまうというのは、込めた思いが霧散してしまうような、気持ちまで消えてしまうような、そんな取り返しのつかなさを感じる。
それを思うと、汚い鞄を見られる程度のダメージはコチラが負ってもよい気がした。
「うぇー……マジ無いじゃん。どこいったん~?」
果たして手紙はどこに消えたのかと、がっくり肩をうなだれている。
普段(といっても一年時だが)の姿が、明るく元気なギャルといった体なので、なんだか珍しいものを見た気がする。
気がしてしまってはもう仕方がないのだが、我ながら失礼なことを思い浮かべたという罪悪感にさいなまれてしまった。
胸にモヤモヤと生まれた罪悪感は、解決を見ないことには払拭されることがなさそうで、やってしまったなぁと思う。
これはどうしようもなく治したい性格なのだが、ネガティブな気持ちを残して一日を終えるということが、どうしようもなく嫌で、とてつもなく気持ち悪く耐えられなのだ。
『そういえば、夜野さんの手紙見つからなかったな。どうなったんだろう。明日も探すのかな』というモヤモヤが、夜眠る時に襲ってくるかと思うと滅入ってしまう。
このモヤモヤの解決と苦手なギャルとの対話を天秤にかければ、力士と子供のシーソーといった具合でモヤモヤ解決に軍配が上がる。
「手紙はいつ入れたの? そこから追っていけばわかるかも」
「はぁ? 探すの手伝ってくれんの? なんで?」
うなだれた姿勢が少し戻った。
自分の為、と言うと説明が難しいのでお茶を濁すことにする。
「根が暗いから伝わりにくいんだけど、僕は意外といい人なんだよ」
「……前から思ってたけどアンタなんつーか、いい人っていうか、人がいいよね。誰にでも」
ありがたい半分、呆れ半分といった様相で言われる。
「つかこれ、半分は褒めてっけど、半分は褒めてないかんね! わかる?」
「これから探し物を手伝おうって人に、わざわざ言わなくても良いと思う」
「褒めてない」をわざわざ伝えるのは、先ほどのノート貸し借りに関する助言も踏まえるに、アレだ。夜野さんも存外、人がいいのだ。自覚はなさそうだが。
「一年の時もさー、クラスの地味〜な揉め事仲裁したりさー、メンドい役割自分から引き受けたりさー」
延々とダメなところをあげつらいながら僕の机の前を経由して北村君の席に着席する。
指摘されたアレコレが、結局は自分のモヤモヤ解決を目的としたものなので『人がいい』の評価も実態からすれば過分だ。
騙しているような気がして申し訳ない。
「それで、いつ机に入れたの?」
「五限の体育前だよ。ほら、女子の更衣室って一組側だからさ。その着替えの時」
うちの学校は体育が二クラス合同で、授業前の休み時間にそれぞれのクラスを男子更衣室、女子更衣室として運用する。僕らの場合、一組側は女子更衣室になる。
「体育から戻ってきて机の中見たらまだちゃんとあったよ。ファイルの端っこが見えてただけだけど、入れたときのままだったし」
「そのあと一組の教室は僕を含めた一組の男子が戻ってきて、二組の女子が出て行ったって流れだよね」
「そーなるね。アタシは最後の方まで残ってたから、入ってくる男子とほぼすれ違いだったかな」
「僕も早めに戻ったから割とすぐ自分の席についた。そこから六限目、ホームルーム、放課後と自分の席を離れてないから、誰も僕の席には触ってないハズ」
五限目の体育終わり、着替え時点では夜野さんが目視で確認していて、それ以降は今に至るまで席の前に僕がいた。
ということはつまり。
「他人に取られるようなタイミングは無いね。六限目の準備で机から教科書を取り出したけど、その時はファイルに気が付かなかった」
六限目の開始時点でラブレターは消えていたのか、僕が気が付かなかっただけなのかすら不明だ。お手上げである。
お互い椅子に腰を掛け直し、なんとなしに黒板側を向いて考える。
壁掛け時計を見上げると十七時。寒春となった今年は、少し日が傾くと途端に肌寒くなる。
開けっ放しの窓から入る冷たい風を鼻から思い切り吸い込むと、脳から余分なモノが洗い流され思考がクリアになる気がして心地良い。
夜野さんはというと、着席した北村君の席周辺を見回している。ひょっとしたら落ちてやしないかという期待と懇願がひしひしと伝わってくる。
「なんで席間違えたかな~。ていうか、何であの子同じ一組なのに北村の席間違えるのよ、もぉ~!」
「……………待って、今の話からすると夜野さんが僕の机に手紙を入れたんじゃないの?」
「いや入れたのはアタシだよ。でも、席は着替えの時に一組の子に聞いた。流石にクラス替えしたばっかで、よそのクラスの席順までは知らんもん」
道理である。だが、腑に落ちない点もいくつかある。
手紙の行方に近づくかはわからないが、手掛かりが皆無な今、この辺りから進めていくしかない。
「席を聞いたその子が北村君の席を知らないってのは無いハズ。今日まで隣の席から見てたけど、クラスの女子全員が北村君の席まで話しかけに来てたと思う」
嘘のような本当の話である。
「その子が夜野さんに嘘を言うメリットも特にないよね」
「まぁ近くにいた子に聞いただけだし、お互い好きも嫌いも無いと思うよ。向こうが一方的にアタシを嫌ってなきゃ」
「つまり『夜野さんは北村君の席を聞いたけど、その子は僕の席を聞かれたと思って正しく僕の席を教えた』ってことになるね」
「・・・・・・どゆこと? 意味わかんね?」
簡単、ではないけど単純な話ではある。
「多分夜野さん、北村君の席を聞くとき下の名前で呼んだんじゃない」
自分の席を指でトンと指しながら、言う
「『アカネの席の場所教えて』って」
あるいはもっと砕けた感じかもしれないが、話のキモはそこではない。
「あっ!!」
クラス替え直後の席順、最前列右側の席は、出席番号一番『赤根君』つまりは僕の席である。
要するに『北村アカネ』と、僕『赤根陽介』の席を取り違えたということだ。
「あーね!! そりゃ完璧アタシが悪いわ! あの子に心でゴメンナサイしないとだなぁ~」
両手を顔の前ですり合わせながら、ぎゅっと目を閉じている。律儀だ。
「ん……? でも今のって、結局手紙がどこに消えたかって話とカンケー無くない?」
その通りである。本題である手紙の行方とは全く関係が無い。
本筋から外れた所に出てきた小さな謎だが、それでも間接的にいくつかわかったことはある。
「いくつか分かったことはあるよ。まずひとつは『北村君と夜野さんは普段下の名前で呼ぶ程度には仲が良い』」
異性を下の名前で呼ぶ事くらい夜野さんにとっては普通なのかもしれないが、僕のような人間からしたら恋仲一歩手前である。
間を取って、仲が良いくらいに想定して良いのではとつついてみる。
「そりゃ良いよ。幼馴染だもん」
幼馴染だった。
「それも踏まえて、ふたつめ『あらかじめ、今日ファイルでやり取りすることは決まっていた』」
ファイルに手紙を挟んで机に入れたのなら、表面的には手紙が見えないことになる。
見える範囲に差出人や宛名が記載されていないことは、ファイルの特徴を伝えてきた時に明言しなかった事実から想像できる。
つまり、仮に北村君の机からソレが出てきた場合、何も知らないと『自席から見ず知らずのファイルが出てきた』ことになる。手紙として完成していない。
本来、どうにかしてこの『見ず知らずのファイル』を夜野さんから北村君に宛てた手紙だと判断してもらう必要があるのだが、仲が良いということなら問題はなくなる。『こういうファイルに手紙を挟んで机に入れておく』とあらかじめ伝えておけばいいのだ。
「そーだよ『このファイルでやり取りしよう』ってルールで、ここ何ヶ月かは連絡取り合ってたからね」
「……じゃあみっつめ。これは僕の勘違いも含むけど、その手紙はラブレター――」
「はぁあああ!? なんでわかったの? エスパー!?」
今日一の怒号、いや、どちらかというと悲鳴が響いた。
「――じゃなくて唯の手紙、って続けようと思ったんだけど。そうなの?」
「あ、違う! いや、違くないんだけど、多分アンタ勘違いしてる! 違う!!」
両手を体の前で不規則に動かす。わたわたわた、という音が頭上に見えるようだ。
違うのか、違うことが違うのか、違わないのか、頭がこんがらがってきた。
わたわたを取りやめた夜野さんは、ひとつ深呼吸を挟んだあと、思案しながら続けた。
「んー……まぁもういいか。言っちゃうと、手紙はラブレターで正解。でも北村宛じゃないって話」
「なるほどね。じゃあみっつめも正解。北村くんへのラブレターではないと」
「アタシは理解できんけど北村モテるからね~。ラブレターの添削してもらってるってわけ。アイツほどラブレターもらってる人間見たことないもん」
ラブレターを沢山読んでいる人間ならその善し悪しも判断ができると考えたらしい。美食家が全員料理上手という訳でも無いだろうに、北村君も大変である。
「ってわけでホントに北村宛じゃないから! そこだけは勘違いすんなし! つーかアイツ恋人いるしね」
よほど嫌なのか念を押してきた。
ともあれ今の三つが正解だったことに加えて、彼女ができた件を夜野さんが知っている事も判明したので、概ね手紙の行方に見当がついた。
あとひとつ、確認できればおそらく解決だ。
「夜野さん。手紙のある場所分かったかもしれない」
「わかる要素どこにもなかったくない!?」
見つかるかもという期待や安堵よりも、何故の気持ちが勝っているようだ。ジト目でこちらを訝しんでいる。
確認も含めて、手紙が消えるまでを実際に再現した方が納得してもらえるだろう。
帰宅準備を終えたパンパンの鞄から教科書類を取り出し、再度机に入れ直す。机の中がパンパンに逆戻りだ。
「この机の中にファイルを入れたって言ってたよね」
言いながら、A4サイズのプリントを半分に折って差し出す。
『手紙を挟んだ小さいファイル』を模したものだと説明せずとも伝わったようで、夜野さんは無言で受けとる。
怪訝な顔でこちらを観察する夜野さんは相変わらずジト目だ。
「そだね。で、この紙を机に入れる――ファイル入れたときの再現をしろってことで良い?」
こちらの頷きを確認すると、彼女は頭に疑問符を浮かべたまま手元の疑似ファイルを見る。
どうぞと促し自席から離れて夜野さんの動向を伺う。
僕の机の中を覗き込む夜野さんは、当時と環境が同じか確認しながら、うんと一つ頷いた。
「どーでもいいけど机の中整理した方がいいよマジで」
お小言と共に、彼女は机の中に疑似ファイルを入れる。中に積まれている教科書・ノート類の一番上――には入らない。
机の中には、これ以上荷物の侵入を許すものかとぎっちりモノが詰まっている。
夜野さんは、机の中ほどに位置するノート類の間を左手の人差し指と親指でかき分けて、無理やり紙を差し込んだ。
「入れたよ~」
やっぱりな、と思う。
「六限目、北村君に宿題写させて欲しいって頼まれて数学のノート貸してるんだよね」
「さっきの癪な付箋付きで返されてたノートね」
入れ替わるように自席についた僕は、紙が差し入れられたあたりから数冊の教科書とノートを抜き出し、その中からノートを一冊選んで夜野さんに手渡す。
流石に察しがついたようで、彼女は渡されたそれをパラパラとめくった。
案の定、先ほど差し入れられた紙はノートの間に挟まっていた。
「こうやって北村君の手元にファイルが移動したわけだけど、普通なら『おや、赤根のヤツ自分のファイルを挟んだままノートを貸してきたぞ』って考える。その場合、宿題を写し終わってノートを返すときファイルは元の状態にして僕に渡すはずだから、そのままこっちに返ってくる。でも、そうならなかった」
「自分に届くはずのファイルと特徴が一致してたから――」
なるほど、と夜野さんは小さく頷く。
「間違いで僕の席に届いた可能性に思い至って、そっと回収したんだと思う。中身がラブレターって事だから尚更ね。内容が内容だけに、夜野さんの事を思えば他の人に見られるわけにはいかないって考えた。確信は無かっただろうけど、違っていたら自分が怒られればいいとでも思ったんじゃない。北村君、いい人だから」
「………まぁ、そうね。その状況だったら、アイツの事だからそうすると思う」
不服そうな、それでいて照れを隠すような口ぶりだったが、そこには確かに気の置けない幼馴染の関係が見て取れた。
ここまで来れば後は答え合わせを残すだけだ。僕はポケットから自分のスマホを取りし、夜野さんへと差しだした。
「僕のスマホからなら北村君に電話つながると思うよ。確認するでしょ」
「………アタシ、アンタにどこまで話たか分かんなくなってきたんだけど。こっちから連絡つけらんないって話したっけ?」
「こっそり手紙を入れるなんてのはラブレターの定番だけど、北村君宛てじゃないなら普通に渡せばいいし、なんならLINEでもいい。LINEを使わずコソコソ手紙でやり取りするのは、なるべく人目につく接触と履歴の残るやりとりを避けて彼女さん?に幼馴染以上の関係だと疑われない為かなと思って。『北村』って呼び方も慣れて無さそうだから、最近変えたんでしょ?」
今までの話の流れから思い至った内容を説明していく。
説明を進める中で、少し得意な口調になっている自分をふと自覚し、羞恥心が湧いてきた。耳が熱い。
深呼吸を挟んで気持ちを落ち着かせると、木々を揺らす風の音が外から聞こえてきた。
「この状況から推測して『彼女ができたからには他の女子と仲良くしてはならない!』っていう北村くんの矜持みたいなものに付き合ってあげてるのかなって。それなら着信拒否……まではいかなくても、着信表示が夜野さんだったら北村君電話取らないとかありそう――みたいな感じ?」
デートの最中なら尚更である。
「アンタ全部わかっててアタシと話してる? てか、スゲー饒舌でビビったわ」
何をもって全部なのかは不明だが、最後の饒舌云々がコチラをからかっている事だけ理解できたので、ムッと眉を寄せ抗議する。とはいえ、得意になっていたのも事実なので顔が熱い。
「あははジョーダンだって! とにかくあんがと。スマホ借りんね」
夜野さんは通話ボタンを押して、右耳付近にスマホを浮かせる。呼び出し音に設定している題名も知らないクラシック音楽が、小さくこちらの耳にも届いた。
プツリと途切れたクラシックは、僕と夜野さんの会話に幕を閉じる合図のようだった。
「あっ、アカネ!? そう、佳澄よ! 赤根にスマホ借りて……デート中とか知らん!! つーかアンタ……」
幼馴染の戦いが始まった。
僕にできることはもう無いので、そそくさと帰り支度を再開する。荷物を詰め直した鞄は相変わらず重い。
真横で繰り広げられる舌戦から、ファイルが北村君の手元にあること、ファイルが渡った経緯は推測の通りだったことが伺い知れた。
ついでに夜野さんの下の名前が佳澄だということが判明した。
「だーかーらー! こうなったらすぐ渡すしかないでしょうが!! 今日の夜までに添削してもってこいバカッ!」
家が近所でないとまかり通らない超特急の依頼だ。どうやら幼馴染間におけるヒエラルキーは彼女の方が上らしい。
明日が土曜日であることを考えれば、休日返上でのクオリティ向上を強いられなかっただけマシなのかもしれない。
捨て台詞のように言葉を放った夜野さんは、スマホの画面を小気味よくタンッと叩いて通話を切る。
勝ち誇った顔にどこか安堵を含せた面持ちで、スマホを両手のひらのせてをこちらに差し出す。
「サンキューね! 助かった」
夜野さんの両手に包まれたソレを、手に触れないよう摘まみ上げそそくさとポケットの中にしまった。
「さぁ帰ろっ! 電話代とか協力の諸々含めて帰りに何か奢るからさ。校門出て右っしょ帰り道、おんなじ!!」
「……ありがたく頂くよ」
断ると長いパターンだと判断して申し出を受けることにした。帰りに寄る予定だったリサイクルショップはお預けだ。
揃って教室から出て昇降口へと向かう。道中「あ、バッグ」と言うやいなや、夜野さんは自分のクラスの中へと消えた。
教室の前で待っているべきか、先に昇降口に向かうべきなのか分からずその場で悩んでいるうちに、友人への「って訳で先帰んね~!」の挨拶と共に退室してくる。
夜野さんを追ったのであろう友人たちの視線は、開けっ放しのドア向こうにいた僕にも刺さった。
「あれが?」
「らしいよ」
というヒソヒソ声は、そのひとつひとつにトゲが生えたような、それでいて僕に投げられたもののように聞こえてくる。実際は僕の自意識過剰で、こちらの事なんか意識していないと分かっていても、怖いものは怖い。
肩を並べて校門を出ると右に曲がる。てっきり最寄りのお店で事を済ませるのかと思ったがそうではないようだ。たわいも無い会話を交わしながら十分程歩く間に、二軒ほどコンビニの前を通り過ぎていた。
「夜野さんは道、こっちで大丈夫なの? 僕の方はもう家に着きそうなんだけど」
百メートル程先、T字路突き当りにある一軒家を指差す。
「あそこね。りょーかいりょーかい! んじゃそこのコンビニだなー。ちょい待ってて」
店から出てきた夜野さんの両手の中で、ちょっと良いタイプのカフェラテがふたつ、湯気を立てている。
一方をこちらに渡すと、自分のカップに口をつけて再び歩き始めた。
どうやら夜野さんの家は僕の家と同じ方向にあるらしい。
「今日はあんがとね。 はぁ~、北村が今日中に手紙持ってきたとして……夜中に清書できれば明日には渡せる!」
アクティブ加減とポジティブ思考がすごい。卒業まで二年もあるというのに、告白が失敗したときのことを考えていない。
僕が夜野さんの立場なら、振られた後の気まずい二年間に思いを飛ばしてしまい、行動に移せそうにない。
「それじゃあ」
気が付けば自宅前、門扉をあけて中に入る。敷地内からポストの中を確認しつつ夜野さんに声をかけた。
なんだか変な放課後だったがそれも終わりだ。明日からはまた平々凡々な素晴らしい日常がまっているハズである。
少なくとも、今日の善行を見た神様には『卒業までギャルに絡まれるような非日常から遠ざけてくれる』程度のご利益は期待したい。
「んじゃね~!」
僕のそれより数段大きい挨拶と共に、夜野さんは門扉に背を向けた。かと思うと、そのままくるりと一回転してこちらに向き直る。
「ところでアンタ、明日って暇?」
「……暇じゃないです」
早々ギャルに絡まれた。どうやら神様は多忙な様だ。
ラブレターの受け渡しに関する雑務を押し付けられると第六感が告げたため、急遽明日は畳の目を数える予定ができた。
お喋り好きな夜野さんが告白手段にわざわざラブレターを選ぶような相手だ。癖がありそうというか、単純に面倒くさい性格の男性像が頭に浮かんでしまう。お近づきになりたくはないタイプと見た。
とにもかくにも、キラキラグループの惚れた腫れたに関わると碌なことがなさそうだ。君子でなくとも危うきには近寄らないのである。
「そっかー暇かー」
だから暇ではない。
「じゃあ明日の……うん、一二時くらいにこの中確認すると良いコトあるかもね!」
言葉尻に合わせてウチのポストをひと撫ですると、夜野さんは二人来た道を小走りで戻っていった。
彼女の背中が見えなくなるまで門扉の前で見送る。
良いコトと言い切れるのはポジティブというより自信なんだろうな、などと考えつつ玄関まで歩いた。
せっかく色々頑張ったというのに、結局モヤモヤを抱えた状態で一日が終わりそうだ。
面倒くさい性格の男はため息と共に家のドアノブに手をかける。
ひと口啜ったカフェラテは酷く甘かった。