第二章 『ちょっと触れてみてくれないか』
「ふ、触れる⁉」
ルティの素っ頓狂な声が部屋中に響く。
聞き間違いだと思ったが、ジェラルドは笑みを深めていく。さらに彼は怪訝な表情を浮かべるレイスの背後に立ち、白い歯を見せる。
「好きなところに触れていいぞ? 二の腕や腹筋なんてなかなかだ」
そういって、ジェラルドは遠慮なしにレイスを羽交い絞めした。
ルティは咄嗟に両手で顔を覆う。
(すっごく目に毒!)
この程度のじゃれ合いなら兄弟のあいだで何度も見てきたが、ジェラルドのエキゾチックな色気とレイスの研ぎ澄まされた容貌の良さが相まって、直視することができない。
「…………ジェド、戯れが過ぎるぞ」
これにはレイスも困ったように眉間にしわを寄せた。
「すまんすまん。お前たちの反応が面白くてな。つい調子に乗ってしまった」
ジェラルドはパッと手を放すが、先ほどとは打って変わって声が低くなる。
「だが、まれに魔力の相性がいいと、特殊な効果があらわれると聞いたことがある。さしあたりのない程度でいいから触れ合ってほしい」
そう言われてしまえば断ることはできない。
ルティとレイスは無言のまま顔を見合わせ、やがて彼が右手を差し伸べる。
「握手なら問題ないよな?」
「そうですね」
平然なふりをするが、心臓は早鐘を打っている。
(身長差があってよかった。うつむけば緩んだ顔は見られないから)
ゆっくりと手を伸ばして、彼の手に触れる。ひやりとした感触に、一瞬だけ肩を揺らすが、ぎゅっと握り締める。
ちらりとジェラルドをうかがうと「一分はそのままで」と言われた。
(ひぃっ)
心の中で数字を数えていくが、これほど長い一分は初めてだ。
「そろそろいいぞ」
ジェラルドの声に、ルティとレイスは手を離す。そしてレイスは何度か右手を握りしめたり開いたりする。
「どうだ、なにか変わったことはあるか?」
「いや、なにも変わらないな」
ルティも自身の手を眺めてみるが、先ほどみたいにピリッとくる感じもなく、魔力の巡りに変化はない。
「よし、次だな。接触面積を増やそう。先ほどレイスを庇ったときのように抱き合ってくれ」
「だだだだだだだ抱き合う⁉」
ルティの体が小刻みに震える。
(これが王都の男子なの⁉ 手が早いというか、展開が早い! トラ兄に報告⁉ でもそんなことをしたらレイスとジェラルドさまに身の危険が! ――いや、そもそも二人に手を出したらエルトナー家は終わる)
結論が出るまでの思考速度は三秒にも満たなかった。
ルティは我に返ると、曇りなき眼で告げる。
「やりましょうか」
さあいつでもこい、と圧をかけながらレイスを見つめると、彼は深々とため息をつく。
「はあ、そんなことをしても意味はない」
「……聞き捨てならないな。私は本気だぞ?」
ジェラルドが反論し、なぜか二人のあいだに不穏な空気が流れはじめた。
「俺だって本気だ。呪いが解けるまで、授業の合間に毒薬を飲むと昨日決めただろう?」
「毒の量を調整しているとはいえ、危険で愚かな行為だと何度も言ったはずだ」
「レイス・リーデロウェルは簡単にはくたばらない」
「……お前なあ」
「ああもう! 我慢ならない!」
ルティは二人の会話に割って入った。彼らと比べると頭ひとつ分以上も身長差があるが、堂々と見上るように立つ。
「さっきから聞いていれば、契約魔法を持ち出すくらいだから事情があるのはわかりますよ⁉ でもね、どうして二人だけでなんとかしようと考えているんですか。この学校には呪いに詳しい先生だっていますよね? 頼ればいいじゃないですか!」
「――駄目だ」
レイスの声が一段と低くなる。ルティは拳を握り締めて問う。
「なぜ」
「大人は信用できない」
それは本気の拒絶だった。
(ジェラルドさまからもなんとか言ってよ)
そう訴えかけるように彼を見つめると、視線を逸らされた。
十五歳になるかならないかの子どもが大人に頼らないなんて、どれほど大きな問題を抱えているのだろうか。
(あーもう! 二人がそれを望むなら、別の方法を探すしかないじゃない!)
もう見放すことなんてできない。ルティは必死にレイスを庇ったときのことを思い出す。
『いたずら卵』に対してのトラウマもあったが、自分の身体を突き動かした原動力はもっと単純な気持ちからだ。
「あのとき、あなたの力になりたいと思っていました」
気づいたら、声に出ていた。
(いまできることを精一杯やってやる)
ルティは目を据えて、レイスとジェラルドに告げる。
「その気持ちのまま、あなたに触れてもいいですか?」
「……」
レイスは一瞬だけうろたえたが、小さく頷いた。
そして、ルティはレイスの右手に触れる。そのまま目を閉じ、頭の中で時間を数える。
一分後。
ルティはゆっくりと手を離す。
「どうですか?」
おそるおそる問うと、レイスは右手を動かして、やがて目を見開く。
「温かい。魔力が戻っている」
「本当に⁉ よかった!」
ほっとして肩の力を抜くが、彼は苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。呪いが緩和されたというのに嬉しくないのだろうか。
ルティが怪訝な顔で様子をうかがっていると、ジェラルドが口を開く。
「エルトナー」
「は、はい」
「そなたへの危険はすべて取り払う。どうか私たちに協力してくれないか」
「――もちろんです」
ルティは間髪入れずに答える。レイスには悪いが、覚悟なんてとっくに決まっていた。