08 無防備は何度でも
ルフィナが意識を取り戻した時は、もう馬車の中ではなかった。
(馬車内で過呼吸を起こし、気を失った筈だったけれど、ここはどこだろう?)
豪華な作りの天蓋ベッドに薔薇の花の天井画。沈み込む様に包まれる優しい肌触りのシーツ。
婚約者候補として、ルフィナは何度も王宮に足を運んでいるが、王宮とは設えが違う。
生きている事にホッとする。
同時にこれから何が起こるのか分からず不安で空気さえも重くする。
意を決してごそごそと起き出すと、すぐにコンコンとドアを叩く音がした。
ビクつくルフィナだったがすぐに、声の良く通る凛とした女性の声が響く。
「お嬢様、入室宜しいでしょうか?」
衣擦れの音で、ルフィナが起きたと気配を察知できるなんて、とても優秀な侍女だ。そして、優秀な監視人でもある。
「どうぞ」と返事をするとルフィナの祖母と同じくらいの年齢の侍女がはいってきた。斑白髪をひっつめたスタイルに、侍女服には少しの乱れも無い。
「お目覚めになられて本当に安堵致しました。殿下がいたくご心痛でしたので、早速お知らせ致しましょう」
『殿下』・・その単語にルフィナの胸が痛む。そして恐ろしさに胃がムカムカしてくる。
「ちょっと・・」待って下さいと言う前に、侍女が手を二回パンパンと打つと、スッとドアの前に男が現れた。
そして、侍女から何か伝えられると、頷きすぐに消えた。
忍者ですか?
男が消えた仕掛けを探していたが、侍女が話し出したのをきっかけに姿勢を正す。
「私はレオトニール殿下にお仕えしておりますシシリアと申します。ご滞在の間ルフィナ様にお仕えするように申し付かっております。どうぞよろしくお願い致します。それでは、なにか御用のはございますか?」
てきぱきと自己紹介をされたが、まずこの状況が分からない。
逃げるにしても状況を知らないといけない。
自ら気持ちを奮い立たせる。
「私は我が屋敷に帰る筈でしたが、ここはどこでしょう?」
「それには心配ございません。殿下が侯爵様に説明し、許可をお取りになってルフィナ様はここにいらっしゃいます。どうぞごゆるりとお寛ぎ下さい」
(今、シシリアの説明の中に、ここの所在地を示す単語はあったのでしょうか?)
出来すぎる侍女にもう一度同じ質問をしたところで返事は同じだと諦めたルフィナは、「ありがとう」と微笑んで侍女を下がらせた。
敵の真っ只中に放置された事は分かった。
(気を失った私を、レオトニールが殺さずにここに運んだ意図が分からない)
ルフィナは緊張で喉が渇いていた。ベッド脇に用意されている水差しの水を羨ましげに見ただけで、手は付けない。
ここで水一滴でも飲めるわけがない。
ティーカップをルフィナの口まで持ってきて、毒の入った紅茶を飲ませようとするレオトニールを思い出しゾッとした。
どうやって逃げよう。
窓から外を見て驚いた。
ここはどこ?
遠くに王宮が見える。
しかも、この建物は凄く高い。
髪の毛を伸ばして逃げる美女がいたが、あの塔よりも遥かに高い。
窓が無理なら、ドアから出てみよう。
ドアを開けると二人の騎士が頭を下げて物言いは丁寧だが、「お戻り下さい」と押し戻された。
(やられた・・・
これは事実上の軟禁だ)
ソファーにドサッと座り込んだ。
(このまま、一生私はここで篭の鳥なのか?
殺人者に軟禁されて、いつ殺されるかもしれないなんて、詰んだ)
ガチャ。
開かれた扉から、レオトニールがノックもなく入ってきた。
「ルフィナが目を覚ましたと聞いて急いで来たけれど、少し時間が掛かってしまった。一人で心細い思いをさせてしまったね」
(ああ、私の血管が収縮して、血液の通りが悪くなるのが分かる。
手の先が冷たくなっていく)
レオトニールはルフィナに近寄る足を止めた。
「僕が怖い? 顔色が悪くなった・・・まだ僕が毒を入れたと思っているんだね?」
ルフィナは喉が閉まって、声すら出ない。レオトニールの行動を凝視しながら頷いた。
あの毒入り紅茶をあれだけ熱心に飲ませようとした殿下だ。他に誰が犯人だというのか?
「何度も言うが、僕じゃない。僕は本当に毒は入れていないんだ」
レオトニールが『毒は』と言う言葉に力を入れたのを聞き逃さなかった。
ルフィナは酸素を脳に送り込むように、ゆっくりと息を吸った。喉が開いたのを確認してレオトニールに問うた。
「『毒は入れてない』というなら、殿下は何を入れたのです?」
「・・・び・・ゃ・く・・?」
レオトニールの声が小さすぎて聞き取れなかった。
しかも、何故疑問文なのか?
私は再び同じ質問をした。
「何を入れてのですか?」
「・・・だから・・媚薬だよ。媚薬を入れてルフィナに飲まそうと計画していたんだ!」
開き直ったレオトニールが、しっかりでっかい声で白状した。
「・・媚薬?! 本当に? 毒ではないのですか?」
ルフィナは驚いてレオトニールを改めて見るとレオトニールの顔は耳まで真っ赤になっている。
恥ずかしそうに口を引き結んでいる姿に、ルフィナは少し心が緩んだ。
だが、ここで考え直した。
レオトニールが可愛いなどと思ってはいけない。
「・・・いやいやいや、その前に媚薬を飲ませようとするなんて、何を考えているのですか?」
呆れて額を片手で押さえて頭を振った。
「情けないのは分かっている。だけどそれはルフィナにも責任があるんだ」
急に責任転嫁をしてくるレオトニール。
はぁ?と驚いてルフィナは顔を上げた。
「どうして私にも責任があるのですか?」
「これまでにルフィナから一度も『愛してる』と聞いた事がないんだ。前世でもその前の前世でも一度も君から『愛してる』と言われた事がない。言われたいと思うのは仕方ない事だろう?」
おかしい事態になっている。『媚薬を飲ませて何が悪い?』と反対にレオトニールに詰め寄られている。
でも、初めてレオトニールの人間らしい素振りを見た気がして、つい『ふふふ』と笑ってしまった。
レオトニールが恍惚の表情でルフィナを見つめている。
「この世界で僕に向けて笑ったのは今が初めてじゃないか? やはり君は笑顔が本当に素敵だ。ああ、でも他の男がいる時にそうやって笑ってはいけないよ。その笑顔は僕だけの物がだからね」
途端に束縛発言をするレオトニールに少しうんざりしたが、ルフィナは何度転生してもレオトニールが好きなのだ。そこは自分で素直に思った。
でもこの軟禁状態はさすがに受け入れる訳にはいかない。
「私は殿下が毒を盛ったのではないと信じます。だから、私を屋敷に帰して下さい」
「そうしたいのは山々なんだけど、実は君に毒を盛った犯人の見当が全く付かないんだ。こんな状態で屋敷に帰すのは危険だとロペス侯爵とも相談して、暫くここで君を隔離する事に決めたんだ。だから、暫く不自由な思いをさせるが我慢して欲しい」
レオトニールはそう言って、ロペス侯爵からの手紙をルフィナに渡した。
そこにはこれまでの経緯とルフィナの安全を第一に考えていると書かれていた。確かに右跳ねがきつい父の特徴のある文字だった。
ルフィナは紅茶を持ってきたメイドの子が、疑われて酷い目に遭っていないか心配になった。
「紅茶を持ってきたメイドの子はきっとなにも知らずに持ってきたようです。どうぞきちんと調査をして上げて下さい」
「ああ、分かった。今調べているが酷い取り調べはしていないよ」
その言葉にほっと安心した。
「僕は何度生まれ変わって容姿が違う君に会ってもすぐに分かる。それとは少し違うが君を襲っている犯人も僕たちと同じように転生しているようなんだ。何度か鳥肌が立つようなゾッとする悪意を感じる事がある。今回も誰かは分からないが感じるんだ。つまり、今回も犯人はもう僕達の傍に来ている。だから、ここにルフィナを隔離したんだ」
そうだったのか。レオトニールのヤンデレ行為の一旦だとばかり思っていた。
だが、そうなると同じ犯人が執拗に私を追い詰めるのはなぜだろうと頭を回転させる。
ここでルフィナはある答えに辿り着く。
「私ばかりを狙うのは、殿下に想いを寄せる女がいて、その女は私が憎くて犯行に及んだのではないでしょうか? 心当たりはないですか?」
「ない」
レオトニールは考えもせず即答する。
「良く考えてください。将来の約束をしていたのに振った女性とか、婚約していた女性とか・・」
「ない」
「少しは真面目に考えて下さい」
ルフィナが少しむうっと剥れると、反対に質問された。
「僕が原因とは限らない。例えば前世で君は僕以外の男を伴侶に選ぼうとした時は本当に憎らしかった。つまりルフィナに惚れていた男の犯行かもしれない。何か思い当たる事はないか?」
確かにその可能性はあるが、ルフィナにもそんな男性はいなかった。
「ないです」
「ふふん。そうだろう」
急にご機嫌になるレオトニールを可愛いと思い始めている自分が怖かった。
数時間前まで、自分を殺す犯人だと思っていたのに随分な変わりようだ。
人の感情ほど不安定なものはない。
私の感情を敏感に感じ取ったレオトニールはいつのまにか、ルフィナの隣に座っている。
ついさっきまで恐ろしかったレオトニールが傍にいるだけで安心している。
しかも伝わる肌の暖かさが嬉しい。この落ち着く感じは、私がずっと求めていたものだと、心が正解を選んだ自分を褒めている。
少しレオトニールに寄り添うと、彼の体が僅かに動いた。それから怖々と私の髪を優しく撫でる。
「漸く、ここまで来た。今回は本当にルフィナの気持ちを取り戻す時間が長かった。やっとだ・・」
レオトニールが子供の時から思ってくれていた事を考えると本当に諦めずにありがとうと言いたくなる。
「ここからは我慢しなくていいんだよね」
また、レオトニールの瞳が猛禽類の輝きを増し始めた。
しまった。こんな逃げ場がない状態でまた無防備な真似をしてしまった。
(本当に私って進歩がない女だ)
頬をレオトニールの手でしっかりと挟まれて、長い長いキスとハグが終わるのはそれから随分後だった。