03 胃袋を掴む王子
意志疎通が出来ないのはかなりのストレスだ。
しかも、命の危機に瀕しているのに、誰にも伝えられない苦しさ。
半年前にレオトニールが来た時、ルフィナはグーパンチで何度もレオトニールの顔を叩いたが、それは傍目にはじゃれているだけにしか見えなかったようだ。
「ほら、僕の顔を触りたくて、こんなに手を伸ばしているよ。それに僕に会えて興奮してるのかな? ルフィナの顔が真っ赤だよ」
(興奮するほど嫌がっているんです。都合のいいように解釈しないで欲しい)
ルフィナの渾身のパンチも、レオトニールは優しく受け止める。
「赤ちゃんの頃から、僕だけを見るように躾けた方がいいかな? 前みたいな事になったら厄介だもんね」
(・・前って言った? 前世の事?)
やはりレオトニールは前世の記憶持ちなのか?とパンチの手が止まる。
レオトニールはルフィナの恐怖を知らず、ルフィナの桃色ほっぺを撫でる。
「れーぷぷ、くぷぷ」
訳《レオトニール、怖い》
「わー聞いた? 今ルフィナが僕の名前を呼んだよ。きっと『レオトニール、好き』って言ったんだよ」
(違うわ!!)
何か発言する度に、勝手に解釈され泥沼に落ちていく。
ルフィナは、自分の意志が伝えられない今は、大人しくするべきと悟った。
2歳になった。
誕生日のお祝いの会にもレオトニールにあったが、沢山のプレゼントの紹介をしてもらっている最中に寝てしまった。というフリで難を逃れた。
その半年後の今日、延期に延期を重ねまた拝謁する日になった。
漸くルフィナは自分の気持ちを伝えられるようになってきた。だが残念な事に難しい言葉が発音出来ない。
でも、簡単な単語は言えるので気持ちを伝えようと思う。
4歳になったレオトニールは、お人形さんのように可愛かった。
こんなに可愛い子供に嫌っている事を伝えるのは胸が痛む。
しかし、この先また殺人者となって襲われるのは避けたい。
「こんにちは、ルフィナ。今日も可愛いね」
私のプクプクの手を取り、手の甲にチュッとキスをする。
その動作があまりにも可愛くて、ルフィナはぱちくりと目を見開いてしまった。
「あはは、そのお目々をぱっちりと開けたお顔が可愛いよ。ルフィナ、僕の事好き?」
よし、言うぞ!嫌いって言うんだ。
「き・・きラ・ィ」
尻すぼみな声だったが、レオトニールには届いたようだった。
さっきまでにこやかだった顔が、口角は下がり、眉を引き寄せて険しい顔になった。
「どうして? どうしてそんな意地悪な事を言うの?」
レオトニールの綺麗な緑の目からポロリポロリと大粒の涙が流れた。
この幼児の無垢な涙に、ルフィナは罪悪感に苛まれた。
レオトニールは前世の記憶もなく、本当にただの4歳児かも知れないのに、大人の記憶を持っている私は子供になんて事を言ったのだろう・・
「ごめん。きらいちがう。なかないで」
以前2歳児だったレオトニールが、あれだけスラスラ喋れていたのに、私の辿々しい話し言葉の残念な事と言ったらない。
必死にレオトニールに謝ろうとするが、単語がうまく繋がらない。
「れおとにー、しゅき、だからなかないで」
ルフィナの言った『すき』に反応して、レオトニールが泣いていた顔をあげる。
「・・グス・・本当に僕の事好き?」
えぐえぐと泣き続けていたレオトニールの泣き止む気配にホッとして、ルフィナは自分の意志を覆し、ついつい言ってはいけない言葉をもう一度言ってしまった。
「・・しゅ・しゅき」
レオトニールの頬に桃色が戻る。
回りの大人達も心配そうに見ていたが、この二人の愛らしい会話にほんわかとした暖かい空気を醸し出していた。
「やったー。みんな聞いた? ルフィナが僕の事を『好き』って言ったよ。ルフィナ、絶対にお嫁さんにしてあげるね」
さっきまで泣いていた筈のレオトニールは、満面の笑みで回りの大人達に私が言った『好き』を大々的に報告している。
ルフィナは自分で禁句を破って言ってしまった事を後悔したが、遅かった。
あわわわと固まっているルフィナに、レオトニールがそばに寄ってきて一声掛けた。
「君が言ったんだよ。『好き』の次に覚える言葉は『愛してる』だからね」
レオトニールの口端が満足げに歪む。
(しまった。レオトニールの泣き顔のせいで失念したが、彼は可愛い生き物ではない。怖い存在なのだった)
ルフィナはそれを思い出しゾッとした。
ルフィナの小さな背中に、ツーッと冷や汗が流れた。
(もう騙されないように気を付けよう。頑張れ、私)
月日が経過して、どんどん変わっていく事がある。
それはどんどんレオトニールの容貌が大人に近づいているのだ。
それは当たり前の事なのだが、その姿を見るとルフィナは自分が殺される時が近くなっているように感じてとても恐ろしい。まるでカウントダウンが始まったようだ。
ルフィナが7歳、レオトニールは9歳になった
この時に会った日も、また恐怖が身近に迫っていると肌で感じた。
2歳の時にうっかり発言をしたルフィナは、用のない限りは極力話さない手法を取っていた。
今日は重要な計画がある。それ以外はレオトニールの話に相槌を打つと言う作業をするだけだった。
はずだった。
今日は王宮に呼ばれて、謁見前の控えの間でレオトニールが来るのを待っていた。いつもなら、ルフィナが参内したらすぐにレオトニールの部屋に通されるのに、今日はだだっ広い部屋に通されて随分時間が経っている。
もしかして、今日はレオトニールが忙しくて中止かも知れない。ルフィナはまだ学校へは行ってないが、既に初等教育でレオトニールは学校に行っている。
本来ならルフィナも学校に行くのだが、許可がルフィナだけ降りないのだ。
(きっとレオトニールが裏から手を回して私の学校行きを阻止しているに違いない。あのヤンデレ束縛王子のせいで、私は家庭教師を沢山付けられて一人屋敷で勉強をしている。今日はレオトニールに会って是非私の学校行きの許しをもらう)
ルフィナは学校行きの許可をもらう為だけに、この王宮に来たのだった。
(ところで・・)とルフィナがそわそわする。
先ほどから香ばしく、甘い良い香りが鼻を刺激している。
くんくんと鼻を動かすとフルーツの香りもしてきた。
今日は随分早くお迎えが屋敷に到着したせいで、朝御飯を食べる時間もなかった。
そのためか、いつもより美味しいそうな匂いに敏感になっている。
控えの間のドアがコンコンとノックされた。
王宮の侍女が現れて深く頭を下げる。
「長い時間お待たせして、申し訳ありませんでした。漸く準備が整いましたので、ご案内致します」
「準備? あの、今日は殿下と会ってお話するだけですよね?」
いつもと違う様子に一抹の不安がする。
「今日はルフィナ様にお喜び頂けるよう、殿下が自ら計画をされていたので、どうぞご覧ください」
侍女の後を付いて行くしかないようなので、「案内ありがとう御座います」と礼を言って大人しく後に続いた。
侍女が少し瞠目してルフィナを見たが、気に止めなかった。
レオトニールの部屋の方角とは違う所へ案内されるので、不安になって後ろを見ると侍女のマリーがにっこりと微笑む。
そうだ、私にはマリーがついていると気を取り直して廊下を歩く。
侍女が部屋の前に立ち、ドアをノックすると、聞き慣れたレオトニールの声がした。
一歩入ると、お日様が燦々と降り注ぐ部屋がそこにあった。あまりの明るさにルフィナは目を細めた。
目が慣れると、そこは壁と屋根がガラス張りのコンサバトリーだった。多角形の部屋のヴィクトリアンモデルの部屋は白サッシと観葉植物の緑がとても爽やかな印象の設えだ。
そして、その部屋いっぱいにお菓子の展覧会かと思わせる程、沢山の種類のお菓子やケーキがならんでいた。
甘く美味しそうな香りいっぱいの真ん中にレオトニールが立っていた。
「いらっしゃい。今日はルフィナの好きな物を用意したよ。好きなお菓子やケーキを取って食べてね」
なんと・・これは女子憧れのスィーツバイキング!!
ルフィナは今日の目的をすっかり忘れ、ハイテンションになってしまった。
「殿下、どれを食べてもいいのですか?」
ルフィナが鼻息荒く質問すると、レオトニールは「ふふ」と小さく笑った。「ルフィナが好きなお菓子やケーキを聞いて作らせていたら遅くなってごめんね。お腹空いていたよね。好きな物を好きなだけ食べていいよ。ほら、ここにルフィナの好きなフィナンシェもあるよ」
レオトニールが指差した方を見ると黄金に輝くフィナンシェがあった。
こっちには無花果を使ったケーキがある。
「君の大好きなメープルフィナンシェもあるよ。ほら、口を開けて」
この国で採取出来なメープルを使ったフィナンシェが?!
前世大好きだったお菓子に、ついうっかりルフィナは言われるまま口を開ける。
モグモグモグ。
美味しいー!
「ほら、もう一口」
レオトニールがもう一つ差し出す。
モクモクモク。
幸せー!
私の横で何やらレオトニールが打ち震えている。
「・・か可愛い・・『腹ペコであーん大作戦』がこうも上手くいくなんて。親鳥が雛にエサをあげる時もこんなにドキドキしているのだろうか」
ボソボソと聞こえる。
朝から何も食べていないルフィナは、次から次へと食べていく。
その横で、侍女ではなくレオトニールがお茶を淹れてくれる。
ルフィナの食べっぷりに満足げにレオトニールが尋ねる。
「美味しい?」
「すごく美味しいです!!」
モグモグ幸せ時間に私は、すっかり今日の大事な用件を忘れてしまった。
「まずは胃袋を掴めたかな?」
ボソッとレオトニールが呟いたが、ルフィナには聞こえなかった。
レオトニールに差し出されるまま、食べ続けた私は満腹になり、そのままレオトニールに屋敷まで送り届けてもらった。
「今日は、可愛いルフィナを堪能出来て本当に良かった。また今度会える日を楽しみにしているよ」
レオトニールが本当に嬉しそうに微笑むので、つられてルフィナも笑顔になった。
「本日は私の為に素敵な催しをありがとうございました」
と素直に感謝した。
素敵な一時を用意してくれた、シェフや侍女の皆さんにも感謝の言葉を伝えて欲しいと頼んだ。
一人部屋で今日の出来事を振り返った時、ルフィナは漸く本来の目的を思い出す。
学校の許可を忘れていた自分の馬鹿さ加減に、げんなりしている所に、レオトニールから追い討ちの花束が届いた。
その花束はこの時期には咲かない筈の、スミュオレの花束だった。
花言葉「あなたの事を閉じ込めたい」。
私の前世の墓に供えられた、あの薄紫のスミュオレの花が目の前に広がり、膝から崩れ落ちた。
再び死のカウントダウンが動き出すのが聞こえた。