16皇帝
16皇帝
門前に馬を繋ぎ、二人は離宮に入った。
洛陽城壁どころか汜水関も超える高い壁に囲まれた離宮内は、四季折々の花々が咲き乱れる広大な花畑が広がりその奥に巨大な木造建築の宮殿が聳えていた。大人二人でようやく手を回しきれる巨木をふんだんに柱とした、存在しない巨人の為の家を彷彿とさせる絢爛たる宮殿である。
大門をくぐってから宮殿まではかなりの距離を歩く。誰も口を利かず花々の間の小路を歩く、ただ歩く。
羽林という近衛兵の前で沓を脱ぎ、閣員は開け放たれた小さな帳をくぐっていく。それ以外の者達は羽林の横に立つ男に画刺──名刺──を手渡して待機する、もちろん裸足で。
朝にひらかれるから朝廷と言い朝議と言う。閣員達の御前会議の間は待機者は待ちぼうけである。時折、閣員の随行者が帳の向こうから呼び込まれて消沈した顔で戻ってきて、そのまま帰り支度をする。
そのような事が幾度か繰り返される。
曹操は以前、数えるほどの機会に官吏として同様に朝議に接した経験がある。その時の経験から待機者の殆どが明らかな官吏達で、政治的決定を待つ者達であることを見通し、論功行賞は朝議では一番最後になることから考えて自分の出番を予想し、
──今日は呼ばれないか?朝廷は食時前《午前九時》迄なんて云わず今日の仕事は今日終わらせりゃ良いのに……無駄足だな。全く。──
と溜息を吐こうとした瞬間呼び出された
「はっ!!」
呼び出しに勢い良く返事をして立ち上がった瞬間、手を掴まれギョッとする。
「頼むから余計なことは言うなよ?」
必死の形相で夏侯惇が囁いた。良い返事をするまでつないだ手を離さない覚悟のようだ。
「くどい。」
苦笑して曹操は無理矢理手を解き。
──悪目立ちするから、むしろお前が余計な事するなよ。全く竹馬の友ってやつは。──
その真情にどこか感動した。
帳をくぐり朝議に参入した曹操を待っていたのはながったらしい祖先からの功績記録詠唱であった、
「曹参、高祖に従い大功並ぶ者無し~、相国になる~……。」
功績詠唱が続く間に”朝廷”の中を摺足で小走りして、居並ぶ列臣の間を進んでいく。
──滑稽だな……。──
立ち止まった所がその臣下〈一族〉の”格”を体現している、その先は玉座の設けられた高御座まで膝歩きで辿り着かなけらばならない。格の高い一族や位階の高い者程長い距離を歩かなくてはならない、逆に爵位も官位も受けていない者は帳に入ることすら許されぬ。
──御端者が国政の鍵を持っていたらどうする?無駄だらけだ──。
詠唱の間に曹操は階の直ぐ下まで辿り着き一つ溜息を吐いた
──あ~、滑稽、無駄、ヤダヤダ。──。
顔も見たくないと言う本音を抑え、玉座に目を向けずひれ伏す。
「……大長秋となる~。曹騰の子曹嵩は候継ぎて功数多あり~。現今、徐州刺史を奉職~、曹嵩の子曹操、長社にたむろする賊徒を撃滅~、その残余も追滅せり~その功顕彰すべきものとし召せり~」
「ん?なんだ、爺の孫か。此度は苦労であった!して、爺は達者か?」
生欠伸をし、眠たげに沈黙していた皇帝が名前から曹操の祖父を聞きとめたのであろう。イキナリ消息を訪ねた。
現皇帝劉宏は肉親の情に薄く、側近にも恵まれなかった。そのため、殊に宦官を信頼した、その登極に貢献した張譲・趙忠を父、母と呼び、宦官にしては官界にウケが良く歴代皇帝の信任も厚かった曹騰を爺と呼んでいた。
「曹騎都尉、直答を指し許す。そのままお答えせよ。」
玉座に侍る高位の誰かが曹操に促した。騎都尉はそれなりに高位の官職だが、朝議での皇帝との直接会話は、より高位の許しが必要である。
──面倒くさ……。──
「っは!!此度の騒乱を嘆き!大恩請けし帝室の難事に於いて、報恩を為し、自らが義兵を捧ぐ!と、息巻いておりましたが、祖父・騰は今年八十五才、因る年波を鑑み、祖父の義憤を抑えて、臣操、戦場に参った次第。」
「ッカッカッカ!爺らしいの!矍鑠として結構結構!お前も功名を立てて爺も喜んでおるだろう!。」
「っは!我が功も陛下の御威光あらばこそにて、また、大将軍よりお預かりした兵達に依る所多く、何卒、彼等に恩賞を厚く賜るよう御願い仕ります。」
「ウンウン、心配するな、そちらも兄者から聞いておる故な。では。」
皇帝は鷹揚に請け合い。何やらゴソゴソとしだした。
ヒソヒソと玉座の辺りから諍う様子が窺えるが、曹操は平伏したまま内心で、
──うんざりだ──。
と、溜息が出るのを抑えた。
暫しして、高御座から盆をささげ持った宦官が階を下りてきた。
「曹よ、騎都尉の人を解き、済南王の国相に任ず。着任は十一月とし、それまでは郷里に帰り爺に土産話でもするが良かろうとの、陛下からのご厚情である。有難く頂くが良い。他の褒美は後程、邸へ送る。」
「っは、臣操、謹んで拝受いたします」
曹操は傍らに来た盆に騎都尉の印綬と割符を置き、新らしい官職の印綬と割符を取り出し、そそくさと後ろ向きに下がった。
もちろん頭は下げたまま。
「済南か……。」
帳を出て沓を履きながら戸惑いを感じる。非道く難しい土地である事は士人達には周知の事実である。
曹操には恐らくはただの褒賞ではないのだろう事が容易に想像できた。
さっさと帰ろうと夏侯惇を捜すが何処にも居ない。
羽林の一人が夏侯惇の門外で待つ旨を言付かっていた。
「ハハーン。」
曹操はなにかを了解してさっさと離宮を後にした。
宮廷描写はめんどい……。
調べもの多いし。