12召喚命令
12召還命令
豫州平定は順調に進んだ。と、言うよりも既に黄巾軍は方方に逃げ散り皆無の状態となっていたのである。
曹操は連日のように届く各地からの平定の報を聞くだけの毎日に無聊を託っていた。西華の戦いの後、増援を率いて来た者達が先を争って進軍を志願した為、皇甫・朱両中郎将の帷幕に留め置かれていたからである。
「小黄門ドノが随分貴官を嫌っていましたからね……両将としても無視できないんでしょう。」
「身に覚えは無いが、まぁ、色々と推察は出来ますね。祖父の事とか……。」
同じく留め置かれている、本来の朱儁の幕僚に戻った孫堅と共に、これ以上曹操に功名を立てさせまいとする者達がいるのだろうと推測し、溜息をつく。
帝都洛陽からの新たな司令が届き、状況に変化が生じたのはそれから数日の後である。
軍議が開かれ本陣に参集した各幕僚・指揮官を前に新たな方針が述べられる。
「身共、左中郎将は兗州に赴き東郡を平定した後、賊軍の本拠に進軍する事と相成った。」
「此方、右中郎将は南陽に居座る賊軍を討ち荊・揚州の平定を目指す。」
皇甫嵩と朱儁は夫々《それぞれ》の部下達に命令を下していく。ただ一人、曹操を除いて。
「各々方、進発は明食時後である!」
「怠りなきよう努めてくれ!」
応!とばかりに各指揮官は本陣を飛び足していく。中郎将の幕僚達も忙しげに立ち上がり仕事に戻っていった。
満足気に見ていた皇甫嵩が、命令が下されないことに怪訝そうな曹操に向いて少し悲しげな顔をした。
「騎都尉……、君は帝都に召還だそうだ。身共としてはまだまだ働いて貰おうと思っていたのだが……勿体無い事だ。」
「え……。」
曹操は絶句する。こんなところで呼び戻されるとは……、行き所の無い戸惑いと怒りが湧き上がる。
「なぜだ!なんでこのコゾウがお召しかえしでまたわたしがオソろしい目にあわねばならんのだ!!」
隅の方でブルブルと震えていた、いやに白い肌をした男が耳障りな甲高い声で泣き叫んだ。監軍として引き続き朱儁に付いて南陽に赴くことを命じられた小黄門・宋典である。
その時、それまで沈黙していた座の外側、最も上座に座っていた男が宋典に近づいて、肩を叩きながら耳元になにやら囁いた。
「ま、真でございますか?」
「うんうん、真だとも、……さまが推挙するとおっしゃったことだ、間違いない。それに陛下も労っておいでだった。」
「おお……。」
宋典の疑いに、男が頷く。男は勅令─皇帝の命令文書─を携えてきた宦官である。軍議では右中郎将の監軍となることとなっていた。
そう言って何やら急にコソコソと話しつつ本陣天幕から退出していく。
出る間際に宋典が曹操を見て「チッ」と口を歪め唾する様な顔をした。
「全く、自由な生き物だ。……おっと失敬……。」
宦官という存在にどこか諦観に似た漏らした皇甫嵩は、曹操の境遇を思い出して決まり悪げに謝った。
「いえ……。」
曹操も多くの宦官が、人間扱いされない存在であることはよく弁えているのだ。
「あの様子だと、かの者が何かをやったわけではなさそうですな。」
「うん、騎都尉、君の後から来た援軍の者達が、英雄を厄介払いしたんだろうな……、君は目立ち過ぎたんだ。大功を打ち立てたのだから後続に譲ってもう帰れ、と言った所か。」
「足の引っ張り合い、持上げておいて梯子を外す、相変わらずの伏魔殿だ。朝廷は。」
「勅使と共に来た友人からの報せでは盧北中郎将が監軍に嫌われて罷免されたそうだ。目立たず、憎まれず、埋没せず、難しいものだ宮仕えは。」
「盧北中郎将は糞真面目な方でしたからなぁ、監軍をあしらいきれなかったのでしょうな。」
慰めてくれているのだろう、皇甫嵩と朱儁の話を聞きながら、曹操の中にはどす黒い虚無感が拡がっていた。天下を揺るがす大乱の中で危機感の薄い朝廷、それに対する軍中枢に漂う諦め、此処でもか、と思わざるを得ない。軍人ならばただ武功を立てていれば良い単純さがあると期待をしていたのだが……。
「君は北中郎将とは違い、間違いなく昇進の為の召還だ。腐らないようにな。」
「また会う日もあるだろう。進境を楽しみにしている。」
「まだ日が高い、明日の進発で混乱するといけません。急ぎ帰還の途に就きます。それでは。」
一礼して天幕を出る。
「残念です。まだまだ轡を並べ功を競いたかったんですが……。」
立ち聞きでもしていたのか孫堅が天幕から出た曹操に呼びかけて来た。
「お別れですな……今日中に出立する事にしたので、お名残惜しいですが、コレにて。」
「いやいや陣所まで同道させて下さい。この所、暇なのを良いことに静の奴が棗屯長のトコに入り浸って帰って来んのです。全くしょうがない奴だ。」
「先日まで会ったことのない同門の士とは言え、何を話しておるのやら。」
何処かトボケタ二人の顔を思い出してニヤリと笑い、曹操と孫堅は並び歩く。当然のように尽きせぬ話をしながら。
曹操に召還命令が下ったその同じ日。
人里絶え高い峰々が視界の大半を占める峻険な山岳地帯。鬱蒼とした木々に囲まれ、昼なお暗い渓谷。湧き水の流れ出る音が静寂の中、せせらぐ。それは寄り集まって小川となり、大河へと注ぐ源流となる。
そんな小川に踝まで水に浸かり、突き出た岩にどっかりと座り込んで、釣り糸を垂れる男が一人。
「へぇ、二手にねぇ。帝の腰巾着共に送り続けた袖の下が効いてて助かるわ。流石は大賢良師様だ。」
男は釣りに集中する事もなく、ぼんやりとひとりごちたかに思えたが、大樹の影の中にいま一人。
「しかし、このままではジリ貧なのも事実。何らかの対応を。」
おそらく部下なのであろう。男に進言した。
「んーーー?よっと!」
アタリを感じたのか釣り糸を引き上げる男。
だが、その先には何も掛かっていなかった。
男は落胆したような顔をした瞬間、目にも止まらぬ機敏さで腰に差していた山刀を背後に投げつけた。
「!!!」
木々の間に吸い込まれた山刀が何かに当ったような鈍い音と共に人の気配があらわになる。ドサリと倒れる何者か目がけて男、いや波才が隻腕とは思えない勢いで飛びかかるように奔った。
ギン、ガンと幾度か鈍い様な音が鳴り響く。
呆気にとられる部下が我に返る前にケリがつき、グッタリとした何者かを抱えて波才が木々の間から出てきた。
「気づいていないと思ったかい?そんな訳有るめぇ?アンタラの遣り口は二十年も兵隊やってたコチトラ良~く知ってんだ。泳がしといたのよぅ。そ~やって頭目を見定めたわけさぁ。」
波才は木々の闇の中に目を走らせた。所々《ところどころ》でギラリと目を光らせ、口の端に凄みの有る笑いを浮かべる。
大軍を率いる為言葉遣いを改めていたのだが、兵隊だった昔に戻ってしまい地金が出ていた。
ドサリと肩に抱えた何者かの既に死体となったそれを放り投げる。見れば、幼い顔をした少年であった。
と、誰も居ないはずの空間に幾重もの土を踏みしめる音が遠ざかっていった。
「ヨシヨシ、聞き分け良くて結構結構。」
「しかし、此処は敵に知られてしまっている上、あたしの面も割れてしまったかと……。」
カラカラと笑う波才に部下が難しい顔をした。彼は帝国中枢にいる金銭の為に何でもする忠義面をした背信者との橋渡し役である。今此処に居るのも漏れてきた情報を報告するためであった。
「なぁに、此処は良い所だが、元々長居する気はねぇよ。なにせ人数が人数だ、あっちこっちにバラけさせにゃならんしな。お前さんは……そうだな、腐った奴等の親類もどうせ腐ってんだろ?ソッチの方に手を着けちゃあどうだ?あと忘れずに大賢良師様にツナギを、な。」
「心得ております。」
金曜更新に何とか間に合った
キツイ……ので次は間が開くかも