独族2
その時だった。唐突に隣で風の音がして、私の髪が数束巻き上げられた。強い風が吹いたと思った直後、目の前でミズミを吊し上げていた黒い術士がよろめき、二、三歩後退った。直後、男の手から開放されたミズミを抱きかかえたのは――低い体勢で立ち、黒い長髪をなびかせる彼女の相棒、ハクライだった。見れば、黒い術士の右腕の黒い服が裂け、その切れ端が風になびいていた。
――速い――!
風が吹いたと思ったあの時、あれは風が吹いたんじゃない。彼がそのくらいの速さで一気に距離を詰めたんだ。そしてそのままハクライは、敵の間合いに入っていたんだ。あまりの速さに、本気で私は動きが見えていなかった。
「お前らなんかのエサにさせるか」
黒い術士にそう言い放つ男の瞳は、あの無表情ではない。細長い瞳孔がギラリと睨む、まさに鬼の瞳をしていた。その様子がいつもの雰囲気とはあまりに違くて、思わず私まで背中に悪寒が走った。
一方で腕を割かれた男は、よろめいた体制を整え、憎々しげに彼を見、低い声で答えた。
「我ら独族の足元にも及ばぬ鬼の民めが……。我らの邪魔をするか」
直後、即座に腕を構えて術士は呪文を唱えた。
『ファイラン!』
しかし、それとほぼ同時だった。
『呪・呪詛返し』
唱えたのはミズミでも勿論ハクライでもない。急な呪文とともに、ハクライの目の前に薄い光の膜が光ったかと思うと、その直後、黒い術士から放たれた破壊の術は、まるで打ち返されたボールのように、即座に術士へ跳ね返ったのだ。
流石にそんな動きを相手も予測していた筈がない。目を丸くした黒い男を確認した直後、男は自らの術に飲まれて、破裂音とともに爆風が起こった。その爆風に思わず目を庇った時だ。
「我が主に手を出さないでもらえるかなぁ。勝手に連れて行かれると困るんですけど」
私の背後で声がして、そっと目線を上げれば案の定、あの細目の細身の男が薄ら笑いを浮かべるくらいにして、黒い術士に言い放っていた。しかしその口調と様子が、いつもの間の抜けた感じではない。口調こそはいつもと同じように聞こえるが、その声の裏にはかすかな怒気を孕んでいた。その表情を見ると、口元は笑っているけれど目は笑っていない。細い目を開いて、珍しく敵をしっかりと見据えているその表情は、いつもの様子と違って何処となく敵を挑発するような空気と、そして威圧感があった。
ウリュウのこんな様子、初めて見た……。ミズミが窮地に立たされて、初めて敵に対して怒りを表したんだ。
「ハクライ、始末任せた」
「ん」
ウリュウの短い指示に素早く答えると、ミズミをその場に下ろして、ハクライはあの黒い術士に突っ込んでいった。爆風の中、あの黒い術士が手足に傷を負い服のちぎれたボロボロの状態で立ち上がったのを見て、ハクライは跳び上がり、またも背後で声が響いた。
『呪封印』
聞こえたのはウリュウの呪文の声だった。直後あの黒い術士の動きが止まりその次の瞬間には、血しぶきと共に男の胸を串刺しにする長髪の男が立ち上がっていた。容赦ない一撃だ。腕に貫かれそのまま彼の頭上に持ち上げられた男は、苦しげに一度激しく吐血すると、そのまま事切れてしまったようだった。それを確認したかのように、ハクライが腕を振り下ろすのと同時に、地面に黒い男の骸が砕け落ちた。
相変わらず目を覆いたくなるような戦い方だけれど、この時ばかりは敵が無事仕留められたと分かって、少しばかり安心してしまったのも事実だ。ミズミの危機を脱せたことにホッとして、私は声を上げていた。
「ミズミ!」
地面に座り、頭を下げているミズミに私は思わず走り寄っていた。珍しく疲れているような様子の彼女を心配して、ミズミと同じようにしゃがみ込むと彼女の顔を覗き込むようにして私は肩を掴んで揺すった。
「大丈夫? 怪我はない?」
すると彼女は俯いた頭の位置のままで私に顔の向きだけを変え、首を傾げた状態でニヤリと口元を歪めて見せた。しかしあの憎まれ口は聞こえない。見れば少し肩を上下させて少しばかり疲れているような雰囲気だ。
「ミズミ、無事?」
同じく彼女に歩み寄ってきたハクライが私同様しゃがみ込むと、今度は彼に顔を向け、瞳を閉じて肩をすぼめるようにして笑みを浮かべていた。
「……ミズミ……?」
ハクライも同じように疑問に思ったのだろう。彼女のあのいつものぶっきらぼうな返事がないことに、私もハクライも首を傾げていたその時だ。
「スティラ様、言葉を封じられたね?」