未知なる相手1
穏やかな昼下がりだというのに、部屋の空気は随分重く暗かった。部屋の気温はどちらかと言えば夏のような暑さ、唇がカラカラになるような乾燥した空気を吸い、額に薄っすらとにじんだ汗を拭えば自然とため息が零れた。そんな私の隣には、長いまつげで縁取られた垂れ目を細める色白の女性が、あごを押さえひたすら沈黙を貫いている。石の机に広げられた地図を睨みながら椅子の上で足を組み、部屋の空気を重いものにしているのは彼女だ。私同様確かに薄着なのだけれど、暑さなど微塵も感じていないような様子で、見れば汗一つかいておらず険しい表情だ。
「……まだ行方知れずの女が十数名……か……」
重い口調でようやく呟く女は、絹糸のようにサラサラな髪の隙間から、彫刻のように整った横顔をのぞかせ瞳を鋭く光らせた。
「うん、ボクがこないだ雪の町と大木の村、それとこのオアシスの町で聞いた話ではね。ここ一ヶ月までの話だと、まだ助けられそうな人たちはそのくらいかな〜」
そう茶髪の女性の目の前で立ったまま説明をするのは、腕をはじめ体が異様に細い緑色の髪をした男だ。茶髪の女性の従者である彼は、従者という立場でありながら平気でタメ口を聞いている。一応頼まれた仕事はこなしているようだけれど、それでも随分ふざけた空気の人だなぁと改めて思ってしまう。
「でもその人達、売られた先がわかんないんだよ〜。姦族が怪しいなと思って調べてきたけど、そこで助けられたのは数名だけ。大半は売り先が不明なんだよね〜。ただ……一年くらい前になるけど、女の子以外の奴隷を大量取引していた履歴はあってさ。それ買い取ってたのが、黒尽くめの陰気臭い男たちっぽいって情報はあったんだよねぇ〜。ともすると、この大半の女の子たちも、もしかすると……」
従者が続ける説明に、茶髪の女性はまた目を細めた。
私達は砂漠のオアシスのとある宿屋の中にいた。暑い日差しが降り注ぐ砂漠の昼間を、石の建物の中で日差しを避けるようにして過ごしていた。尤も、ただここでのんびり旅を楽しんでいたわけではなくて、先程細身の男――闇族王ミズミの従者ウリュウ――が報告していたように、調べ物に明け暮れていたのだ。しかしそれは今日一日に限った話ではない。
そう、私達はオアシスの町で既に数日を過ごしていた。奴隷商人に囚われていた奴隷の女の子を助け出して、それよりも前に助けた女性たちの安否を確認していたのだけれど、彼女たちの友人や知人など、まだ安否の確認ができていない人たちが複数残されていることを、茶髪の美女――というのは多くの人に隠していて、男性のふりをして闇族の王をしているのだけれど――のミズミが憂いでいたのだ。そしてその行方不明の女性たちの情報を探っていたけれど、それといってめぼしい情報が無く、困っているところだったのだ。
従者の報告に暫し沈黙を続けていた闇族王は、静かに息を吐いて重い声で呟いた。
「……やはり……アイツらの所……か」
その言葉に、従者は細い目を更に細め口の端を歪めた。
「……独族……ですか?」
「……ああ」
細身の男の言葉に、茶髪の美女はわずかにその瞳を揺らめかせた。緑色の筈の瞳が徐々に色を紫色に変えようとしていた。
「……で、スティラ様。これからどうするの?」
雰囲気が更に険しくなる茶髪の美女に、従者の男は口の端を歪めて横目を向けて尋ねた。
「……可能性があるのなら……やはり独族の土地にもいかねばな……」
もはや紫色の瞳に変わり、今ここにはいない敵を睨むようなミズミの言葉に、初めて彼女の隣に座る男が口を開いた。
「……でも、今のままでは……危険じゃないの、ミズミ?」
その言葉に、視線も向けずに闇族王は唇を噛む。そんな女に言葉を続けるのは先程の男、長身で黒い長髪、長く尖った耳と切れ長の瞳が特徴の、闇族王の相棒ハクライだ。
「ミズミ、技が効かなくて一度死にかけてるワケだしさ。戦うことになったら危ないよ」
いつもなら穏やかな空気を醸し出す彼だが、この時ばかりは真顔で声色も低く感じた。いまいち感情をつかみにくいけれど、きっと彼なりに相棒のミズミを気遣っているのだろう。
「まあ……確かにボクもイキナリ突っ込んでいくことはオススメしないかなぁ。独族が今どのくらいの力があるのか、流石にボクも分からないしさぁ」
立て続けに従者も口を挟むと、隣の女性からため息が零れた。
「……ともなると……まず独族のことが知りたい。俺もこの闇族の種族は数多く知っていたつもりだが……正直独族は初めて知った民だ。メイカ、何か知る方法はないか?」
主の問いかけに、呼びかけられた従者は珍しく笑みも浮かべずあごを押さえながら俯きがちに答えた。
「……気は乗らないけど……まずは奴らの土地に行ってみたら? 少しでも接触して、情報を得るべきじゃないかなぁ。今の独族に関しては情報がなさすぎるよ」
彼の言い方には含みを感じた。闇族王のミズミも、そして恐らく相棒のハクライも知らない独族について、彼はある程度知っているようだった。でなければ、「今の」独族、なんていい方はしない筈だ。
でもそこを詳しく聞きたい私をさておき、彼女たちの会話は続いていた。
「独族の領地か……。俺が行ったことのない土地の……もしや火山地帯の方か?」
茶髪の隙間で目を細める美女に、向かい側の従者はニヤリと微笑んだ。
「ピンポーン。彼らは火山地帯に多かったって先代から聞いてる〜。今も変わっていなければ、同じ領地に居る筈だね」
「そこまでの道は作れるのか?」
「火山地帯の隅っこの領地辺りなら安全だと思うし、その辺でよければ」
「ミズミ、いつ出発するの?」
二人の会話に長髪の男が口を挟むと、ミズミはちらと相棒の男に視線を向けて口の端を歪めていた。
「準備を整える必要があるからな。今日には準備して明日早朝に動こう。ティナ、それでお前もいいか?」
「……っ……ぷはっ……」
今までずっと蚊帳の外で話に混ざれなかった私に、唐突にミズミが話を振ってくるものだから、私は飲みかけのお茶にむせてしまっていた。