侵入2
相棒のハクライと従者のメイカが倉庫に入ったのは、その後すぐだった。
「いやぁ、流石スティラ様。獲物が引っかかる様も見事ですねぇ」
薄暗い倉庫に入った途端、細身の男がヘラヘラと声をかける。その言葉に鼻を鳴らす女は、つい今しがた気絶させた男を縛り上げ、倉庫の奥の方へと蹴りやっていた。
「ミズミ、こういう場面は俺に任せてくれてもいいのに。コイツ仕留めれば鍵なんてすぐ出てくるじゃん」
まだ不機嫌顔で倉庫の扉を閉めるのは長髪の男だ。後ろの相棒に横目を向けながら唇を尖らせている。そんな相棒にこちらも不機嫌そうに目を細めているのはミズミだ。
「自ら鍵を開けて、しかも中に招き入れてくれるなら、その方が見つかる危険も少ないし成功する確率も上がるだろ」
「でも、ミズミが他の男に言い寄られるのは何かヤダ」
「我儘言う子どもか!」
「いやぁ、どっちかっていうと彼氏的セリフですよ、それ」
早速男女がそんなやり取りをしているところに、細目のメイカが茶々を入れる。
「それより、牢の様子を見て侵入方法を考えるぞ」
倉庫の高い位置の窓を親指で指しながら、茶髪の女は男二人に背を向けた。
倉庫の中を見回せば、大きな樽ばかりが並んでいた。おそらく運んできた水や酒が置かれているのだろう。乾燥した砂漠地帯の倉庫にしては、中はひんやりとしていた。
巻きスカート姿だと言うのに、太ももまでをあらわにしてひょいひょいと積み上げられた箱をよじ登り、茶髪の女は高い位置にある窓から外を眺める。窓と言ってもガラスなどははめられておらず、石の柵で格子が支えられているだけ、通気口の意味合いが強い窓だ。高い窓の位置では、いくら涼し気な倉庫とはいえ空気もムワッと感じる。
「……成程、確かに奴隷のいる牢が丸見えだ」
独り言のように呟く女の目線の先には、かつて自分が侵入したあの牢の鉄格子が見えた。細長い窓は牢の高い位置にあり、それを上から眺めるような位置に倉庫の窓がある。流石に牢の中全ては見えないが、牢の中で生活しているであろう女の顔くらいは識別できそうな距離だ。
「……やはり結界があるな……。ここからでも中の音が聞こえん」
小さく舌打ちして呟く女の隣には、長髪の男も箱をよじ登って同じ景色を見に来ていた。
「あそこにミズミも居たんだね。なんだか……牢屋、空っぽみたいだね」
その言葉に女はニヤリと微笑んだ。
「そりゃあな、俺が全員逃した。ほら見ろ、あそこの壁なんか最近無理に瓦礫で埋めた感じだろ。あそこを壊したのが俺だ」
その言葉に、ようやく箱を登り終えた細身の従者が口を挟む。
「ははーん、あそこから奴隷ちゃん逃してあげたんですねぇ。で、肝心のお仲間っていうティナちゃんは何処に?」
そう言って牢をきょろきょろ見回す男に、主の女も小さく唸る。
「……ぱっと見たところ見当たらんが、あの牢にいることは間違いない筈だ。窓から見える位置に居ないだけだと良いんだが」
主の言葉を聞きながら、細身の男は目を細めていたが、呆れるようにため息一つ挟んで答えた。
「ははーん、結界で中を探知できないようにしてるんだぁ。姦族にしては考えましたね」
「ああ、おかげで中に侵入しなければ何も手が出せなくてな。どうだメイカ。この結界、侵入しても大丈夫そうか?」
ミズミの問いかけに、メイカは目を細めて様子を窺う素振りを見せた。細目の奥で細長い瞳孔を光らせて、珍しく目線は鋭い。暫しの間を挟んで男は答えた。
「あくまで目くらましだねぇ。恐らく外からの侵入者に対して警告するようなものはないですね。きっと見張りも居るから、そこまで結界に期待してないんですよ〜」
「そうか……ならば、ここから牢に侵入するくらい、簡単だな」
そう言って口の端を歪める主に、従者は呆れ顔だ。
「ここから……って、こっからあそこの牢までそこそこ距離ありますけど……まさか跳び込む気〜?」
男がそう言うのも無理はない。確かに奴隷商人の牢は見える距離だが、目と鼻の先というほど近いわけでもない。距離にして十数メートルは離れている。普通の者ならば確かに跳び込むには難しい距離だが、どうやらそれくらい跳ぶことは彼女にとってきつくない様子だ。
「行けなくはないだろ。問題はこっそり侵入ってのが難しいだけだ。強引に壁を壊せば見張りに気付かれる。中にいる奴隷を盾にされたら厄介だ。どうにかこっそり入る手立てを考えねばな」
「ね、ミズミ」
今まで無言だった相棒が口を挟んだ。女が視線を向ければ長身を折り曲げるようにして箱の上に座っている男が、屋敷の牢をあごで指しながら続けた。
「あの柵、引っこ抜ければこっそり行けない?」
その提案に、小さくため息をつきながら女も頷いた。
「あの柵が木材か石材なら俺も考えた。しかしあれは金属製の柵でな。素手で壊すには無理が……」
とそこまで言いかけて、女は目を細めて首を傾げた。その視線は男の手に注がれていた。
「……ハクライ、お前の得意の爪、何まで壊せる?」
急な問いかけに、問われた黒髪の男は瞬きして答えた。
「うーんと、石は壊せる。鋼製の鎧は無理だったよ」
その言葉に女は手を伸ばし、男の手を取った。
「試す価値はあるか。ハクライ、俺の術をお前に託す」
「ん、ミズミの?」
不思議そうに首を傾げる男の目の前で、女はかがむようにして男の左手の甲に指先で何かを書いていた。勿論指でなぞるようにするだけでは何も文字は見えない。しかし一通り何かを書き終えた時、男の手の甲は一瞬だけ奇妙な文字を白く浮かび上がらせ、すぐにそれは見えなくなった。術が発動した証拠だった。
「……ん? これなあに?」
何度も瞬きするようにして、自分の手の甲を持ち上げ見上げる男の隣では、女は男の右手を引き寄せ、その右手の甲にも文字を書いていた。
「俺の体術強化の術だ。攻撃態勢に入った時だけ体の硬度を極端に上げる。もしかしたらお前の爪なら、術で強化すれば金属も斬れるかもしれん。試してくれないか」
男を見上げるその緑色の視線をまっすぐに見つめ、男はにこりと微笑んだ。
「分かった、面白そうだしやってみる」
二つ返事で承諾をもらうと、女は少しだけホッとしたように表情を和らげ、すぐに牢に視線を戻した。
「問題は……タイミングだな……。見張りがいない時にあちらに跳び移らないと……」
と、女が目線を鋭くした時だった。牢の一箇所の柵に、二つの手が一瞬見えた。白い手のひらがひらりと見え、また薄暗い牢の様子に戻る。しかし、またしばらくするとすぐに白い手がひらりと見えた。その牢の場所を女がじっと見つめていると――
「……あそこに女が一人いるな……」
ミズミの言った通り、ある牢の一角で、窓の鉄格子にちらちらと白い両手が見え隠れしていた。動きから察するに柵に掴まろうと跳び上がっているようで、白い手のひらが下から上へ何度も跳び上がりながら、それが鉄格子を握ろうとしている様子が見えた。それに気が付いてミズミは薄っすらと笑った。
「くくっ……ハクライ、見えたか」
「見えた。あれ、ティナかな?」
二人は思わず顔を見合わせていた。女は口の端を歪めるように笑い、男は穏やかな笑みを一つ浮かべていた。笑い方に違いはあれど、どちらも安堵の表情に見えた。
「かもな……。ハク、あそこに跳び移ってやってくれ」
「今行っていいの?」
「ああ、あんな動きをしているということは、見張りが近くに居ないからだろ。メイカ、侵入しても、結界は大丈夫なんだろうな?」
念の為警戒して確認を取る主に、従者は珍しく真面目に答えた。
「大丈夫。多分外から侵入者が入っても気付くような結界じゃないよ。ま、念の為ボクもうまく入れたら、中から結界壊しますよ〜」
従者の提案に女は頷き、今度は相棒に声をかけた。
「ハクライ、中に入れば気配は感じ取れる筈だ。無事中に入って見張りが居なければ合図をくれ。俺もメイカを連れて跳び移る」
「うん」
その言葉に男は短い返事をし、窓から顔を出して外の様子を探り出した。
「……人なし。距離……屋根から行くか。助走ちょっと欲しい」
言うが早いが、男は身軽に窓からその長身を滑り出すと、そのまま窓の上へよじ登っていた。そしてミズミ達の真上の屋根で数歩踏み込む力強い音が響いたと思った直後、窓の外を眺める視界に、長髪を流すようにして隣のレンガ造りの建物に飛び移ろうとする男の姿が映った。直後男はさして物音も建てずに、レンガ造りの平たい屋根に飛び移っていた。それはまるで、ネコ科の肉食獣が獲物を狙って木によじ登るようなしなやかさだ。
「流石だな、ハクライ。……さて、お姫様救出となるかな……?」
口の端だけ歪めるように笑いながら、茶髪の女は自分の両腕を右手左手と握りしめていた。
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