拐われた美女1
薄暗い階段を再び降りていた。しかし、先程までと違うのは、降りている人物が二人ということ、そしてその足音は先程よりも急いでいるということだ。
表情にこそ出てはいなかったが、その足取りで彼女が焦っていることに男は気づいていた。
「あの落とし穴はそこまで危険なものではないんでしょ?」
気遣いのつもりだろうか、呟くように問いかければ、茶髪を揺らしながら女は短く答えた。
「の、筈だ。しかし」
「落ちた場所が場所だから、心配してるんだね」
男の的確な指摘に、女は答えなかった。しかし男の回答は的を得ていた。落とし穴は、位置的に丁度地下の牢屋の真上に来ているのだ。そしてその牢屋は奴隷として売買される予定の女達がいた場所だ。そこに仲間のティナが紛れてしまった可能性があった。
「今すぐ行けば大丈夫だって。いくら奴隷商人でもそこまで早くは動けないっしょ」
あっけらかんとハクライは言うが、ミズミの表情は重い。
「俺たちの侵入がバレた時点で、アイツがそれを知らせていたとしたら、油断はできん。予想以上に奴隷商人の動きは早かったからな。俺があっさり侵入できたのも、姦族の奴らの動きが早かったからだ」
その言葉に男はそっか、などと短い返事だが、その足の速度は早まった。相棒の女の言葉に即座に反応した行動だ。それを感じ取ったミズミも更に速度を上げた。二人は無言のまま石造りの冷たい階段を降りていった。
丁度二人が地下牢にたどり着いた時だった。牢のある方向に二人が急ごうとすると、地下通路のはるか遠くでバタンと何かが閉まる音が響いていた。それに気がついてミズミがその方向を睨むと、思いの外相棒がそんな女を制し、その音の方向に二、三歩駆け出した。
「ミズミは鍵あるから牢屋。俺見てくる」
言うが早いが長髪の男は、あっという間に真っ暗な地下通路に駆けて行った。その姿は一瞬で闇に溶け、後は駆けて行く足音だけが響いていた。
言葉数こそ少ないが、お互いの行動をよく理解しあっているが故の行動だった。確かに暗闇での行動にミズミは自信があった。しかし速度重視なら話は別だ。身体能力で言えば、ハクライの方がそこは上だった。地下牢に音が響いたその時の、彼女の一瞬の反応で、相棒の男はそこまで見抜いていた。ここはできるだけ急いだ方がいいのだと。
そんな行動の早い男の様子を見つめていたミズミだったが、それも束の間。すぐに牢屋のある方向を向くとそちらに駆け出していた。
牢屋に到着すれば以前見た時同様、冷たい鉄格子に閉じ込められた何人もの女性たちが怯えたように顔を上げていた。現れたのが強族でも姦族でもないと気がついた途端、彼女たちの顔にぱっと明るさが戻った。
「も、もしかして……鍵を……」
牢の女が一人ミズミに問いかけると、彼女はふっと一瞬笑みを浮かべ、その掌にある鍵をつまんでみせた。途端、女性たちの安堵する声が響いた。安心のあまり崩れ落ちる者、隣同士で抱き合う者、中には涙ぐむ者など、それぞれがこの恐怖の空間から逃れられることを、心底喜び安堵しているのだった。
「もう城には危険な者は居ない。安心して城を出ろ。行き場がないものは近くの大木の村に身を寄せるといい。あそこなら簡単に強族も手出しできん」
そう言って牢の鍵を開けると、女達は嬉しそうに礼をいい、次々に地下牢の階段目指して駆けていった。それを見送っている茶髪の美女だったが、不意に目線を落とすと隣の牢屋を見つめていた。
(牢屋は二つ……。しかし鍵がかかっていたのは今の牢だけ……。残る一つは……)
細められた緑色の瞳が見つめる牢屋は、彼女が開ける前に既に鍵が開けられ、中は空になっていたのだった。
あの中にも女は数人居た筈だった。しかし今はもぬけの殻だ。それは、彼女が危惧していたことが現実になったことを意味していた。
「ティナ……」
思わずそう声が漏れると、ミズミはその瞳を紫色に燃やしていた。