闇族王2
「失礼いたします」
急に扉がノックされ、部屋に入ってきた人がいた。振り向けば一人の兵隊が扉を開けていた。お城に入ってきた時にまっさきに出迎えてくれた、先ほどの近衛隊長だ。
「ミズミ様、雪国へのルートの説明に窺いました。それと……」
と、彼が両手を差し出すと、その上には綺麗に折りたたまれた衣服が乗っていた。
「ミズミ様ともあろう方に、そのような服のままでは、こちらとしてもいたたまれません。どうかお召しになってください」
そう言って近衛隊長が服を差し出す様子を横目で見て、ミズミは背中を向けたまま片手で指示する。
「そこに置いてくれ。今着替える」
その言葉に、隊長は入り口近くの小さなテーブルの上に服を置き、頭を垂れた。
「では、着替え終わりましたらお呼びください。廊下にて待機しております」
そう言って頭をあげると、ふいに隊長の視線が私に向く。思いがけないことで私が首を傾げると隊長は困ったような顔をして再び口を開いた。
「ミズミ様、この女、外にお連れしましょうか?」
「は?」
なんで私が? と疑問が浮かんだが、間髪入れずミズミも横顔を彼に向け、意地悪に笑って言った。
「そうだな、着替えるから一人にしてくれ」
「ええっ!? 私はいいじゃない!」
思わず口走るが、ミズミが意味深に私に向けて目を細め少々顔を険しくした。それを見て急に思い出した。そう言えば、鬼族のお姫様のこと……「本当の性別を知らない」って……。
「…………」
なんだか触れてはいけない話題のような気がして、私はそのまま隊長に案内されるままドアに近づいた。その間も思考がグルグルと頭の中を巡る。もしかしてミズミって、あんな体しているけど、実は男性……? 女性の呪いって、鬼族の王様も言っていたし……。
と、そこまで思って、私は一つの確信を持つ。ううん、違う。ハクライは「封印」と言っていた。もしかして、ミズミは……自分が女だってこと、隠している……?
「おい、ハクライ」
私がそんなことを考えていると、背後からミズミの不機嫌な声がした。振り向けば、ミズミが腰掛けたままのハクライに声をかけている。
「……お前も出てけ」
……ああそうか、私は女性だから近衛隊長が気を使ったけど、ハクライは男性だから大丈夫と判断されていたのね。でも、ホントは私より、ハクライが外に出なきゃいけないんじゃ……。
そんなことを思って二人を見ていたが、思いがけずハクライは満面の笑みで答えた。
「え、いいじゃない。『男同士』なんだし」
「……!」
後ろで見ていても、ミズミが怒りで肩を震わせたのが分かる。ハクライの悪戯なのは私にもミズミにも当然分かるけれど、気が付かないのは近衛隊長だ。ハクライの発言を鵜呑みにして、扉を開けると、
「では、廊下におりますので、終わりましたらお呼びください」
と、私と一緒に廊下に出てしまった。閉まる扉の隙間から、ハクライが無邪気にケラケラと笑っている姿が一瞬見えて、扉はバタンと閉まった。
*****
「まったく、何考えてやがる」
不機嫌な声が響き、それを聞いて男が肩を震わせて笑っていた。
「あはは、ゴメンゴメン」
「……お前な、一応後ろ向け」
笑う男とは真逆で、本気で不機嫌なのはミズミだ。茶色の髪の隙間から怒りに燃える紫の瞳が揺れている。それを見て、黒髪の男は肩をすぼめてため息混じりに答える。
「何も本気で怒らなくても。どうせ一回見てるじゃない」
「そういう問題じゃない!」
「ハイハイ」
素直にミズミの言葉に従うと椅子の向きはそのままに、ハクライは逆向きに腰掛ける。ため息をつきながら椅子の背もたれに腕を置き、男はそこで退屈そうに片腕で頬杖をついた。ミズミの位置から、男の黒髪とそこから飛び出した尖った耳しか見えないことを確認すると、不機嫌にため息を一つ挟んで彼女は首のベルトに手をかけた。
「まったく……」
「悪戯のつもりだったんだけどね。こんなにうまく行くとは」
そう言ってまたケラケラ笑う男の背後で、マントが床に落ちる音がする。それを聞きながら、唐突に黒髪の男が呟く。
「ティナは大丈夫かな?」
彼女を一人にしていることを、彼なりに案じているのだろう。その言葉に女の着替えの手が一瞬止まる。
「精霊族と言えども、鬼族なら心配無かろう。近衛隊長も紳士な奴だ」
「あ、いや、そっちじゃなくてさ。あの子、好奇心旺盛って感じだから、勝手に出歩いてないかなって」
その言葉に、ミズミが小さくため息を付いた。
「……あり得るな……」
「あはは、着替え終わったら探しに行くようかもね」
呑気な返しを聞きながら女は着替えの手を進める。金属がぶつかり合う小さな高い音をさせながら、呟くように言った。
「落ち着きは無さそうな奴だからな」
「俺らと年が近そうだけどね。幾つなんだろう」
さりげない質問の筈だった。その言葉に、再び女の手が止まる。紫から緑に戻った垂れ目の奥で何か深く考え込んでいるような色が浮かぶ。
「……それが……アイツ、あれで子どもがいるようなんだ」
「え? ホント?」
言いながら首がわずかに動いたのを確認して、ミズミの鋭い声が飛ぶ。
「紛れて振り向くなよ」
「ハイハイ……でもさ、俺が見たのなんて、見たうちに入らないんじゃない? 別にその上に服着るだけでしょ?」
後ろ向きのまま呟く男に、茶髪の女は無言だ。男の背後で布が床に落ちる音がした。その音に、男が静かに背後に向けて首を動かすと――
案の定とでも言うべきか、男に向かって勢いよく靴が飛んできた。それを思い切り額に受けて、思わず男はその額を押さえる。
「いたた……」
痛みに額をさすりながら視線を向ければ、既に下半身の着替えが終わったようで、不機嫌に腰のベルトを止めている女が睨んでいる。とはいえ着替えはまだ下だけのようで、相変わらず胸をかろうじて隠すだけの薄着の上半身は露わなままだ。
「ちぇ、もう下、着替えちゃったの」
「……後ろを向けと言った筈だ」
振り向いたのに悪びれた様子もない男に、再び女の不機嫌な声が飛ぶ。
「いいじゃない、上はもう既に見られてるんだし」
そう言って笑う男に再び迷いなく靴が突っ込んでくる。今度は正面を向いていただけにかわすのは余裕だったようで、男の背後で壁に靴が激突する激しい音が響く。それを確認して、女は不機嫌そうに男に背中を向けると、そのまま服の腕を通しはじめた。
「ちぇ、残念」
男の言葉にミズミはあからさまな舌打ちをすると、そのまま黙々と着替え始めた。
「でも、子どもがいるような感じには見えないよね」
着替え中の女の背中を見ながら、ハクライがぽつりと呟いた。視線こそは彼女に注がれているがその意識は違うところにあることが、女にはすぐ分かった。不機嫌そうな顔色を変え、真剣にドアの向こうを睨むように見つめていた。
「なんだか、随分明るい感じの子だけど……何者なんだろ……?」
背中で聞こえる疑問の声に、ミズミは小さく唇を開いた。
「記憶をなくした精霊族……か……」
言いながら胸の前のボタンを止める女の表情は、何処か険しく見えた。
*****